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【社会】

戦争経験 日系人医師の志継ぐ 親族ら古民家改装へ

改装を進める西村暢子さん(左)と竹内寛さん=東京都杉並区で

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 太平洋戦争中、敵国だった米国で収容所に入れられ、苦難の道を歩んだ日系人医師の実家を国際交流の拠点にする取り組みが、瀬戸内海の小島で進んでいる。医師の志を継ぎ、外国人を受け入れるゲストハウスにする構想で、中心になっているのは東京都内の若者や医師の親類ら。夏に改装工事が始まり、秋からの営業を目指す。 (石川修巳)

 この医師は日系一世の故汐見一(しおみはじめ)さん。瀬戸内海に浮かぶ佐島(さしま)(愛媛県上島(かみじま)町)に生まれた。十三歳だった一九一八年、米国へ出稼ぎに行った父を追って西海岸のオレゴン州ポートランドへ渡り、苦学してオレゴン大医学部を卒業した。

 医師となった汐見さんは、在米日系人協会ポートランド支部の理事長も務めた。日米開戦直前の四一年には白人と日系人の相互理解のため、奨学金を贈る活動もしていたという。しかし戦時中は、妻と生後間もない娘とともに日本人収容所での生活を余儀なくされた。

 戦後は生活に困窮した日系人を無報酬で診療したほか、日本から来た留学生たちの支援も惜しまず、その中には後にオレゴン大名誉教授になった夏目漱石の孫、故松岡陽子マックレインさんもいたという。二〇〇四年、九十九歳で米国で亡くなった。

 佐島の実家は、木造平屋約百平方メートル。現在は汐見さんの兄の孫で、東京都杉並区の会社員西村暢子(のぶこ)さん(50)が母親とともに所有する。長く空き家で、築六十〜七十年と老朽化も進んでいた。西村さんは土地建物の売却を考えていたが、過去の米紙の記事などで汐見さんの足跡をたどるうち、国際親善の遺志を継いでゲストハウスとしての活用を思い立った。

 今年一月、古民家活用の集会で運営者を募ると、名乗りを上げたのが八王子市の日本語教師、竹内寛(ひろし)さん(31)。インターネットを使って海外の人々に日本語を教え、これまでに約三十カ国を旅行してきた。「海外の人たちに、日本の田舎の良さも見せてあげたかった」と振り返る。

 竹内さんは今春、ゲストハウス開業に向けて佐島に移住し、地元の町役場の臨時職員として働き始めた。ハウスは「汐見の家」と名付け、秋に開業の予定。宿泊できるのは最大十人で、十八畳の和室を男女別の部屋に分けたり、トイレを増設するなど改修工事に入る。

 西村さんは「異なる民族の相互理解に基づく平和こそが、大叔父の生涯を通しての願いだったのではないか」と思いをはせる。竹内さんも「海外の人たちが、一度来たら日本を一生好きになるゲストハウスにしたい」と意気込んでいる。

 

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