須玖タカウタ遺跡:国内最古の青銅鏡鋳型 福岡で出土

毎日新聞 2015年05月27日 20時38分(最終更新 05月28日 02時32分)

須玖タカウタ遺跡で出土した、国内初となる多鈕鏡石製鋳型=福岡県春日市で、津村豊和撮影
須玖タカウタ遺跡で出土した、国内初となる多鈕鏡石製鋳型=福岡県春日市で、津村豊和撮影
須玖タカウタ遺跡
須玖タカウタ遺跡

 ◇生産開始200年さかのぼる

 福岡県春日市教委は27日、同市の須玖(すぐ)タカウタ遺跡で、弥生時代の青銅鏡「多鈕(たちゅう)鏡」の鋳型(弥生時代中期前半=紀元前2世紀)が国内で初めて出土したと発表した。国内最古の青銅鏡鋳型で、国内の青銅鏡生産の開始時期が200〜150年さかのぼる。多鈕鏡は国内に最初に流入した青銅鏡で、従来、朝鮮半島製とされていたが、今回の出土で国内での生産の可能性も出てきた。日本の青銅器の技術や生産実態を知る上で画期的な発見になりそうだ。

 出土した鋳型は長さ5.1センチ、幅2.5センチ、厚さ2.3センチ、重さ39グラムの滑石(かっせき)製。鈕(ひもを通す穴を開けたつまみ)の基部を鋳造する溝や、鈕に穴を開けるため粘土を詰めた溝、曲線の文様「重弧(じゅうこ)文」を描く線の溝(幅1ミリ)があった。年代や鈕の形状から、文様の線が細い「細文(さいもん)鏡」用の鋳型という。

 石材は朝鮮半島製とみられるが、「重弧文」は日本の弥生土器や銅鐸(どうたく)に施されている文様のため、渡来人ではなく倭人(日本人)が鋳型を作った可能性があるという。国内での青銅鏡生産はこれまで弥生後期初頭(1世紀)の「小形仿製(ぼうせい)鏡」が最初とされていた。

 多鈕鏡の鋳型は朝鮮半島では以前から出土している。また、国内で12点見つかった多鈕鏡はすべて、朝鮮半島で48点出土しているのと同じ「細文鏡」だった。このため、日本で見つかった多鈕鏡は半島製と考えられていた。

 今回の鋳型は石製のため文様の線が粗く、これまで見つかっているような「細文鏡」を直接作ることはできない。ただ同遺跡では昨年、今回の鋳型と同時代で国内最古となる、銅剣や銅戈(どうか)などの青銅器用の土製鋳型が出土していた。土製鋳型は石製鋳型より細い線を作り出せる特徴がある。そこで同市教委は、半島製の「細文鏡」を模して今回の石製鋳型を作ったものの、実際は線の細い土製鋳型で「細文鏡」を作った可能性があると判断。日本で出土する「細文鏡」も一部は国内産の可能性があるとした。

 同遺跡を含む須玖遺跡群は弥生時代有数の青銅器生産遺跡として知られ、魏志倭人伝に登場する「奴国」の中心地にあたる。鋳型は28日から6月3日まで、同市の奴国の丘歴史資料館で展示される。【大森顕浩】

 【ことば】多鈕鏡

 鏡の背面に二つ以上の鈕(ちゅう)を付けて幾何学的文様を描いた鏡で、直径10〜15センチ程度。文様線の幅0.1〜0.2ミリの細文(さいもん)鏡と幅0.5〜2ミリの粗文(そもん)鏡があり、鋳型は前者が土製、後者が石製とされる。中国・遼寧地方で紀元前8〜4世紀に粗文鏡、朝鮮半島で紀元前4〜2世紀に細文鏡が登場する。国内には紀元前3〜2世紀に登場し、吉武高木遺跡(福岡市)、名柄(ながら)遺跡(奈良県御所市)など、北部九州から長野県にわたる11遺跡で12点出土し、すべて細文鏡。

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