|
〈萩原流行〉 まゆ美夫人独白「うつ」「台湾移住」「警察への怒り」
「私を納得させてください。主人が亡くなってから一カ月が経ちましたが、この間、警察の話はコロコロ変わるばかりで、誠意も思いやりのかけらも感じられません。道理さえ通っていれば騒ぐ必要もないし、私自身も納得できるんです」
四月二十二日にバイク事故で亡くなった俳優の萩原流行さん(享年62)の妻、まゆ美さん(62)が、最初の月命日となった今月二十二日に会見し、警察への不信感を露わにした。会見後、まゆ美さんは本誌の求めに応じ、現在の胸中、夫婦の歩みを初めて明かした。
「警察の対応については、事故直後から『おかしいな』と思う部分が少なからずありましたが、真相が知りたかったので静観していたのです。
ところが十四日に事故現場で行われた実況見分の際、主人の転倒の原因となった護送車が所属する高井戸署の捜査員が、まるで世間話をするかのように近づいて来て、『賠償金は公費になるんです。金額が三千万円を超えると、都議会の承認を得なくちゃいけない』と言われました。
示談する用意があるような言い方だったので驚きましたが、後からそのような会話があったことを否定されるかも知れないと思い、『その話は弁護士にして下さい』とお願いしました」
一方で、捜査を担当した杉並署の署員には、萩原さんの患っていたうつ病が原因であるかのような発言を繰り返されたという。
「司法解剖の直後から『病歴は?』などと聞かれていましたので、うつ病で投薬を受けていたことと事故を関連付けたいのだろうと思っていました。その後、主人が通っていた精神科にカルテの開示を求めていることもわかりました。弁護士が抗議すると、『押収することも出来る』と言われたそうです。
私たち夫婦が長年にわたり、うつ病と闘ってきたことは周知の事実です。主人は三十二歳の時に舞台でセリフを忘れたことからうつ病の治療を受けるようになり、投薬を続けていました。私自身はそれより前からうつ病と診断されています」
晩年の萩原さんの奇行を報じるメディアもあったが、まゆ美さんの目には変化は感じられなかったという。
「常に薬がないと不安な人でしたから、月に一回必ず薬を処方してもらっていましたが、以前は一日三回飲んでいた薬を最近は朝晩の二回に減らし、症状も落ち着いていました」
幼い頃に実家が夜逃げをし、天涯孤独だった萩原さんにとって、まゆ美さんはたった一人の家族だった。
「同じ劇団に所属していた主人と二十代で結婚。その後、家庭に入りました。主人がうつ病と診断された頃、相談して子供は作らないことに決めました。以来ずっとセックスレスの関係でしたが、仕事を生き甲斐に支えあって来ました。
数年前に中国のドラマへの出演を巡って所属事務所を辞めた後は、私がマネージャー代わりにもなった。当時、反日ドラマの出演にこだわったなんて書かれましたが、主人は一度受けたオファーを覆すべきじゃないと思っただけ。
最近は仕事が沢山あったわけでもないので、台湾の高雄への移住を計画していました。静かで親日的な台湾で過ごすのも悪くないと」
まゆ美さんが会見を行った二十二日、警視庁は護送車を運転していた高井戸署の警部補(55)の後方確認不十分が原因とみて捜査していることを明かした。
「現場近くのコンビニの防犯カメラには制限速度で走る萩原さんが映っていた。警部補の自動車運転処罰法違反(過失致死)の疑いで調べています」(社会部記者)
真相は明らかになるのか。
「週刊文春」2015年6月4日号
|
|