2015年5月28日05時16分
■ザ・コラム 編集委員・稲垣えみ子
前回、節電のため冷蔵庫のプラグを抜いた体験を書いたところ、テレビに出ませんかというお話を頂いた。大好きな高野山からの中継と聞き、釣られてノコノコでかけた私が浅はかであった。
想像をはるかに超える反響。中でも予想外の反発にたじろぐ。「お前は電車に乗らないのか」「電気なしでは工場も動かぬ」「高齢者にも節電を強いるのか」
週刊誌からも取材がきた。尋問のごとく数時間で答えよと迫る某誌の質問状にも全力で答えたつもりだが、バカ、偉そう、さんざんな書かれようである。
いやはやテレビに出る人を尊敬します。皆さん心が強い! 私1回で折れました。
それにしても、節電生活を伝えることが批判の的となることに驚く。血が上った頭を冷やし、そのわけを考えた。
もしや「恐れ」ではないか。電気の否定は豊かさの否定につながる。貧しさの強要。そう受け取られたのではないか。
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改めて、我が家で使わなくなった家電製品を振り返ってみた。炊飯器、電子レンジ、冷蔵庫、ドライヤー、掃除機、洗濯機……社会人になり一人暮らしを始めたとき「これがなくては暮らせない」と、引っ越し当日に買いそろえたものばかりだ。
私とて、一つとして手放す気はなかった。それがなぜこんな地点まで来たのか。
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