(2015年5月27日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
金融活動が行われ過ぎているなどということがあり得るだろうか。金融危機の余波で傷を負い、金融機関の救済に腹を立て、高額な報酬を得ているとの話に苛立ち、繰り返される違法行為に愕然とし、責任者が罪を免れる様子に怒りを覚えている大半の普通の人々なら、迷うことなく「あり得る」と答えるだろう。
そう思っているのは彼らだけではない。複数の学者、そして国際通貨基金(IMF)や国際決済銀行(BIS)といった影響力のある国際機関のスタッフも同じ意見だ。
金融活動が行われ過ぎているということはあり得る。そしてより重要なことに、日本と米国などの主要国がその状態にある。
金融活動の役割に疑問を呈することは容易だ。何と言っても、金融機関は2012年1月から2014年12月までの間に計1390億ドルもの罰金を米国の法執行機関に支払っている。
さらに根本的なことを指摘するなら、1998年から2014年にかけて金融セクターは米国の国内総生産(GDP)で平均7%のシェアを得ているが、同じ時期の企業利益におけるシェアはこれを大きく上回る平均29%にも達している。
市場でレントを得る金融機関が経済に及ぼすダメージ
組織化された社会でお金持ちになる道は2つある。1つ目は、独占力を行使するという通常のやり方だ。歴史をひもとけば、土地(大抵、力ずくで奪ったもの)に対する独占的な支配が富に至る主要ルートになっていることが分かる。競争的な市場経済では、財・サービスの発明・生産という社会的に見てより好ましいルートも提供される。
悲しいかな、市場でレント*1を得ることも可能だ。業務が複雑で暗黙の補助金も受けている金融セクターは、レントを手に入れるのにうってつけの立場にある。しかし、そのような行為は、多くの比較的貧しい人々から少数の比較的裕福な人々にマネーを移転させるだけではない。経済全体にもひどいダメージを及ぼす恐れがある。
*1=独占・寡占、あるいは政府の規制への働きかけなどにより得られる超過利潤のこと