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金庫には主に創価学会の陣中見舞が入っていた。
思わぬ要求にあわてた地元の幹部は野村夫人を担ぎ出した浅見に連絡したところ、
「後でなんとかするから渡しとけ」と述べた。
金庫にあった約一千万円を野村夫人は「出演料」として持って行ってしまった。
世田谷の地元幹部としては、副会長であり東京長であり選挙の総指揮をとっている浅見が
承諾したのだから当然のことながら金銭的なフォローはのちにしてもらえるものと思っていた。
ところが浅見は全く責任を回避。
当然のことながら区幹部から浅見に抗議がなされたが、逃げの一手。
非常識な女を浅見が担ぎ出したばかりに、世田谷の組織は紛糾した。
だが結局のところ種々の支払いは、泣く泣く地元幹部たちで身銭を切り、処理することになった。
ここにも浅見の無慈悲な体質があからさまに出ている。
現場で戦う人々に対するおもいやりなどさらさらないのである。
栄誉栄達のみを考え、馬鹿げた判断をし、創価学会員に迷惑をかけ、
指示を出せば人が動くと錯覚し、金を出させ、平気でいる。
このような男が創価学会の中枢にいることは、決して許されていいことではない。
ますます増長することは目に見えている。今、叩かなければ手におえなくなる。
筆者はこの男を守り、筆者を「魔」と名指しする一部の本部職員の在り様が
あまりに現場で戦っている創価学会員の心情とかけ離れているとしか思いようがないのである。
自己保身の故に魔が魔として見抜けない、「事勿れ主義」の故に魔と詐親し魔の所為を隠蔽する。
よって魔が広宣流布の本陣に根をはやしはじめた。
「事勿れ主義」が先生を勇退に追いやったことは、これまで何度も指摘してきた通りである。
その「事勿れ主義」がいまや一部の本部職員の常識と化し、
小役人のように前例のないことはことごとく否定し、
創価学会員を管理するのが自分達の仕事であると錯覚し、
「これもダメ、あれもダメ」と創価学会員の戦いの芽をつんでばかりしている者までいる。
責任の問われることは一切関わらず、部下や他人の手柄を横取りし、上に報告することばかり考えている者がいる。
浅ましい限りであるが、「事勿れ主義」の故に、それらの者が調子よく組織の中枢に派閥を作り始めたのである。
「事勿れ主義」は日蓮大聖人の仏法に背反するものである。
断じてその根を断ち切るべきだ。
いまやその「事勿れ主義」の凶元が誰人にあるか考える時に来ている。
先生が勇退された時、傍観していた者が自己批判もせず平然として本部の中枢に座っている。
「無難」「無難」で、師が守れるものか。
昭和五十四年にはそれ故に先生のそばにいる者が魔に刺し込まれ、魔の片棒を担ぎ、先生を勇退に追いやったのである。
師を裏切り広宣流布を退歩させたのである。
日蓮大聖人曰く、「難来るを以って安楽と意得可なり」
「事勿れ主義」こそ、創価学会の敵であり、獅子身中の虫の温床である。
次回の投稿は 最終号(十五号)と番外編(十一年七月 天鼓《共鳴》)です ※後日投稿予定
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