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【再掲】怪文書「天鼓」の真相  抜粋

 投稿者:谷川ひろし  投稿日:2015年 5月23日(土)15時29分47秒
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  【怪文書「天鼓」の真相 二】抜粋(改行変更)

投稿者:イササカ先生 投稿日:2014年10月16日(木)17時28分0秒

先ほどの社員の証言にもあったように、「天鼓」の第一の大儀名分は「A見副会長の排除」。

しかし「天鼓」の矛先が、徐々にA谷元会長に向けられていることを見ると、
H社にとってA谷元会長は目の上のタンコブであった可能性があります。

つまり「天鼓」のねらいは、A見副会長を追い落とし、あわよくば
会長の責任問題に発展させようとしていた、と考えられるのです。

その理由は、平成九年八月の先生の発言を受けて、本気で次は
「T川会長・S籐理事長」体制だと信じて、K林氏は勝ち馬に乗ろうとしました。

そして、T川・S籐体制に移行するためには、A谷会長の交代が大前提となるからです。

http://sgi-shiteifuni.com/?p=1653

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【怪文書「天鼓」の真相 三】抜粋(改行変更)

投稿者:イササカ先生 投稿日:2014年10月16日(木)17時29分25秒

そこでH社(葬儀屋)は、勝ち馬に乗るために「反A谷」という利害が
一致したT川・S籐を接待漬けにし、彼等にカネを流します。

事実、この証言をしたH社(葬儀屋)の社員も、S籐から「不破優を守れ !」
との厳命を受けて、H社(葬儀屋)に就職していました。

これに対して、A谷元会長はA見を守もりました。

総県長会議で公式に「天鼓」を否定したのもそうですし、平成十一年六月八日には、
総務会の決議を経て、A見を創価学会の責任役員に出世させています。

それは、A見が責任役員になったことに、業を煮やして「天鼓(十一号十二号)」を再開したことからもわかります。

その後、聖教新聞紙上を見ると、平成十一年十二月二十八日付けの最高協議会の出席者に
A見の名前を連ねたのが最後でその後、パッタリ、A見は新聞紙上に出なくなりました。

次にA見が新聞紙上に登場したのは、平成十二年七月十一日付けの本部人事で、第三東北総合長(A見)の発表でした。

これはおそらく、平成十一年の晩秋ごろ、
何か、A見をこれ以上守れない事実が発覚して、はずされたのだと思います。
それはまた、「天鼓」の内容が事実であったことの裏返しでもあります。

A谷はなぜ、A見をかばいきれなかったのでしょうか。

それは、A谷元会長は、「H社(葬儀屋)の謀略だと見抜けなかった」というよりも、決定的な証拠がなかったというべきかも知れません。

というのは、当時、こうした仏敵との攻防戦を仕切っていたのはS籐(当時 青年部長)です。

「天鼓」犯人探しの会議で、一番責任あるS籐が、何度も、K林氏(H社社長)に会って確認したけど、
絶対に違うと言い張って、かばっていたため詰め切れなかったのかも知れません。

また、もしくは、A谷は会内のパワーバランスを考えていたのかも知れません。

H社(葬儀屋)のバックは、Y尋副会長です。

Y尋はこれまで、裏の謀略部隊として、汚れた仕事にH社(葬儀屋)を使ってきた関係で、
ちょっとやそっとのことでは、H社(葬儀屋)を切ることはできません。

http://sgi-shiteifuni.com/?p=1655
 
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