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こんにちは!
スーパー摧邪人さま、お元気そうでなによりです。
おたずねの件です。
>大御本尊を否定されたのが先生であり
ある期待を持って、宿坊にコメントを入れたのですが、反応は鈍いようです。
サイトでは、正義の言論が飛び交っていますが、本当に変革改革を考えているのか疑問に思いま
す。ただ議論しているだけなのではないでしょうか。
議論している間に時は過ぎて、旬の話題も過去のものになってしまいます。普遍的問題を議論する
ためにも、最適な時期があるということかと思います。
スーパー摧邪人さまが、大御本尊への絶対的な信を強調されていることは当然です。創価の会員以
前に、わたしたちは大聖人の信徒なのですから。
しかし、以前にもお伝えしましたが、会則変更に関係した混乱について、池田先生が知らないはず
がありません。過去の指導と相違する教義の変更なのに、関心を払わないなんて、とても考えられ
ません。
そういった諸々の総合的判断で、この度の会則変更は先生の指示によるものと結論づけました。
でも先生のコメントなり、御指導がないのですから、確かなことは言えません。ですから、個人が
判断するしかないですね。こういうときこそ、依法不依人を思い出すべきです。
またこれからも、ソースを示して、文献的資料を示して、自分の意見が正しいことをできる限り補
強するしかありません。
わたしは先生を尊敬しております。だから創大にも進学しました。しかし、絶対に間違いを犯さな
い指導者であるとは考えておりません。
先生の晩年において、このような根本的問題が出てきたことに、創価の不幸を感じます。わたし
は、わたしが信じる正しいと思う行動を選択するだけです。一人になっても行くだけです。
池田思想の多岐にわたる展開は、正直なところ、わたしにとって難しい課題です。
学んだことを行動に移していかなければならないのですが、組織のなかでは、どこか違和感を感じ
ます。
画一主義、組織順応主義と言えばよいのでしょうか、誰でも個性があり、その個性の発露として、
自らの力を発揮する人材に乏しいように思います。
妙法における多様性とは、まず、信仰者の考え方と行動の多様性に実現されるものだと思うのです
が、それを許さない組織にできあがっているようにも感じられます。
組織に馴染めないのは、わたしの信心がおかしいのだろうかと、チョット複雑な気分になります。
凡夫である自己から出発して、信仰のなかで鍛えられ、世界を見渡すような真理を手に入れて、菩
薩となり、菩薩からまた凡夫に還り、法を説く。
このようなプロセスの生命変革を、言葉は違っても、先生は絶えず投げ掛けていると思います。自
己の信仰を厳しく見つめること、池田思想と言われるものは、結局、そういうところに収斂してい
くのではないでしょうか。自己から始まり、自己で終わる。その積み重ねに信仰の醍醐味があるの
ではないか。ソフトパワーは内発啓蒙ということですよね。堅固な自己を築くと同時に、柔軟で寛
容の内面充実。
苦しむのも心、喜び楽しむのも心、地獄に縛られるのも心、解放され、苦しみを苦しみのまま自由
に楽しむのも心。心の問題が仏教の出発点だと思います。
そういう当たり前のことが、会員の間でもおろそかにされ、見落とされ、仏法を実践することは、
実は自分の弱い心と対峙し、見つめ、克服することなのだと気づかない。
底が浅く、一様だから、青年部と話してもとてもつまらない。時代に沿おうとする柔軟性に欠け、
思考が硬直化しつつあると思います。
改革努力は継続して会員に切望されるものでしょう。もちろん、そういう自覚を持つ人だけに課せ
られるという限定つきですが。
個人的なことですが、実はこの5月に結婚しました。婦人部1ヶ月です。さっさと引き継ぎを済ま
せて、さよならしてきましたが、女子部からは全く無視されました。とても悲しかったのですが、
これも宿命でしょうか。
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