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書籍一巻該当部分1
蒼い満月が昇る夜だった。
世界最優の大国と名高い『ラ・ヴァナ帝国』首都、通称『帝都』。
都を覆う外壁、その北門にて。
「……ん?」
それに気付いたのは、門前に立っていた2人の警備兵の片割れ。
淡い蒼に照らされる、街道の彼方。
紅い何かが、こちらへと向かって来ていた。
「おん? どーした、兄弟」
相方の訝しげな表情に気付いたのか、もう1人の警備兵が声をかける。
「いや、あっちに何かが……」
「お? 何処だよ、なんも見えねーぞ」
あまり夜目が利かないのだろう。指差される先を見て、しかし視界に映るのは夜闇だけ。
警備兵達がそうやって問答をしている最中にも、紅い何かは彼らの方へと近付いて来る。
尋常ではない速さだった。小さな影だったそれは瞬く間に大きく、ぼやけた輪郭を明確にさせて行く。
片割れもまたそれの存在に気付き、そして朧げながらも紅い影の全容を把握するまで、1分も要らなかった。
「ありゃ、人か!?」
蒼の中に浮かぶ、ダークレッド。
風に棚引くコートの裾は、揺らめく炎を思わせる。
まるで地を這う獣のような姿勢で、1人の男が駆けて来ていた。
「何てスピードだ! まさか魔族!?」
「クソッ止まれ! 止まらんか!」
一拍の緊張と共に、怒声を上げる警備兵。しかし男は止まらない。
それどころか。目深に被ったフードの隙間から覗く口元を、にぃと吊り上げ、更に加速した。
「チィ……ッ! こうなったらやるしかないぜ、兄弟!」
「相手は恐らく魔族だ! 一斉にかかるぞ!」
人間との敵対種である魔族、そうでなくとも怪しげな者を都内に進入させるワケには行かない。
戦闘を覚悟し、武器を手に取る2人。
だが、彼らの間合いへと入る直前。
眼前まで迫っていた男の姿が、跡形も無く消えた。
「「なっ!?」」
想定外の出来事に、警備兵達は慌てふためく。
周囲を見渡し、蒼い闇夜の中で殊更に異彩を放っていた紅を探す。
「ヒャッハハハハハハハハハ!!」
不意にそんな笑い声が響き渡ってきたのは、頭上。
まさかと思いながらも、反射的にそちらを見上げる警備兵。
男が、空に居た。
「が、外壁を跳び越えただと!?」
「んな馬鹿な!」
都を守る為に張り巡らされた、高さにして15メートルは下らない外壁。
しかし男は、それを易々と跳躍で以て越えていた。
「あぁ……この景色! この風! この肌触り!」
蒼い月光をその身に浴び、紅い姿が照らされる。
ふわりと音も無く、レンガ造りの地面に降り立ち。
「漸く帰ってきた……ここからが本当のスタートラインだ!!」
男――戌伏夜行は、高らかに吼えた。
某県某市、私立川ヶ岬高校3年2組。
何の変哲も無い学校、何の変哲も無いクラス。
そんな普通を絵に描いたような組織に所属していた生徒達は、ある日。
教室ごと、異世界に召喚された。
「……は?」
最初に異変に気付いたのは、教室最前列中央と言う大変有り難くない席に位置する戌伏夜行だった。
鬱陶しい授業が終わり、昼休みに入って弁当を食べようとしていたら……突如、目の前の黒板が消えたのだ。
一瞬景色がぐにゃりと歪んだかと思えば、教室から全く別の場所。
頭の理解が追い付かず、おかずに伸びていた箸も止まる。
「どーしたヤコ、目ぇ丸くして……なんでぇこりゃ」
彼の傍で焼きそばパンを齧っていた、大柄で見るからに屈強そうな強面男、鬼島千影もまた周囲の異変に言葉を失くしていた。
直に他のクラスメイト達も、俄かに騒ぎ始める。
夜行達が居たのは、中世の聖殿をそのまま体現したかのような場所であった。
周囲には鎧を着て武器を携えた者や、黒いローブを身に纏った者。そんな時代錯誤的な恰好をした者達が、ずらりと並んでいて。
そんな中心に机や椅子が教室にあったとき同様の配置で存在する光景は、酷くシュールで。
「あ、何だ夢か。ちー君ちょい殴って、起きるから」
「ん? おう、分かった」
「ぶはふっ!?」
千影に外見通りの膂力で以て殴られた夜行が、椅子と机を幾つか巻き込んで吹き飛んだ。
数秒後、顔を押さえてよろよろと起き上がる。脚は生まれたての小鹿の如く震えていた。
「痛い、痛過ぎる……頼んだのは俺だけど、出来ればもっと手加減して欲しかった……!」
「わりわり、つい。で、起きれそうか?」
「鼻が折れるかと思ったわ! 夢であってたまるかこの痛み!」
涙目で夜行が喚く。相当痛かったらしい。
そしてそうこうやっている内、やがて喧騒の声が少しずつ収まっていく3年2組の面々。
が……落ち着いてきたと言うよりも、理解不能な現状に対しての不安から押し黙ってしまうと言う結果から生まれた静寂であった。
ざわめきが収まった頃合いを見計らったのかどうか、夜行達の周囲を取り囲んでいた人垣の奥から、1人の少女が進み出てくる。
シンプルながらも高価であることは一目瞭然なドレスに身を包み、小柄でふちの無い眼鏡をかけた中学生くらいの年代。セミショートに切り揃えられた水色の髪は、染髪とは到底思えない程の鮮やかな色合いだった。
事態の全く飲み込めていない彼等へと、ゆっくり歩み寄る少女。その後ろには、2人の鎧を着た大柄な男達が控えていた。
必然夜行達の間に、緊張が奔る。
「異界へようこそ、勇者様方。わたしの名はクリュス=ラ・ヴァナ、この『ラ・ヴァナ帝国』の第2皇女で御座います」
どこか眠たげな表情に似つかわしい、ゆるりとした口調。
クリュスと名乗った少女は恭しく跪くように膝を折り、たじろぐ夜行達に一礼する。
「先ずは御詫びの言葉を。此度は不躾にもお呼び立てしてしまったこと、大変申し訳なく思っております。現状についての御説明を――」
ふと、クリュスの言葉が止まった。
更にそれだけでなく、ゼンマイの切れた人形の如く動きまでもが止まっていた。
何事かと思い、彼女の1番手近に位置していた夜行が恐る恐る顔を覗き込む。
瞬きさえも忘れたこのように不動を貫いていたクリュスの視線は、ある一点に固定され文字通り微動だにしていなかった。
「……?」
首を傾げ、クリュスの視線の在り処を追う。
その先には、椅子や机が倒れたにも拘らず奇跡的に無事だった――
――夜行の弁当があった。
「…………」
「…………」
いやいやまさか、と夜行は思う。
何かの間違いだろう、とも。
しかしながら、やはり不安は拭えない。
かぶりを振りながらも、ひょいと弁当箱を持ち上げてみる。
「ッ!」
それと同時に、クリュスの視線が上がった。
続けて右へ左へと、弁当箱を動かす。
動きに応じてクリュスの視線も右へ左へ移動する。
完璧に、ホーミングされていた。
もっきゅもっきゅ。
そんな擬音を立てながら、クリュスが夜行の弁当を頬張る。
「申し訳ありませんね。なんか催促したみたいで」
「……いや、別にいいんだけどさぁ」
気の抜けた返事を返す夜行。彼女の無言の要求に屈して弁当箱を渡した際、緊張まで何処かに行ってしまったらしい。
クラスメイト達も同様に毒気を抜かれたようで、少なくとも先程のような張り詰めた空気は薄れていた。
代わりに、クリュスの後ろに居る騎士風の恰好をした男達は、今にも頭を抱えだしそうな表情をしていたが。
「腹ペコ系美少女……いいわ、マジいいわ!」
「黙りなさい」
背後で鈍器が叩き付けられるような音が響き、それと入れ替わりにさっきからうるさかったハァハァと言う荒い息遣いが消えた。
振り返らずともこの場の面子を考えれば大体の事情は把握できた夜行は、ひとつだけ呆れた風に溜息を吐く。
ちなみにこうして1クラスごと全く別の場所に移っているのだが、3年2組に所属する生徒全員がここに居るワケでもない。
夜行達がここに来た――自らの意思ではないので、正確にはこの表現は正しくないが――のは、昼休みに入って5分少々が経った頃。昼食購買組はチャイムと同時にクラウチングスタートを切り、学食組も疾うに教室を出ている。
残る弁当組も半数近くは屋上や部室で食べることを選び、結果として教室に居たのはクラス総員35名の内わずか7人。つまり5分の1のツイてないメンバーの中に、夜行達はそれぞれ入ってしまっていたのだ。
尤も、彼らがそれを真に自覚するのは、邂逅早々他人の弁当に舌鼓を打つこの少女からの説明を仔細に渡り聞いてからであるが。
「もきゅ……んく。御馳走様です、大変美味しゅう御座いました」
やがて弁当を綺麗に平らげたクリュスが、ぺこりと一礼する。
あまりに深々と頭を下げてくるものだから、ついつい夜行も「お、御粗末さまでした」などと返しつつ同様に頭を下げてしまう。
しかしどうでもいいが、やや細身とは言え仮にも男子高校生である夜行の弁当を3分足らずで完食するとは、中々侮れない少女であった。
「さて。では少々脱線してしまいましたけれど、お腹もそこそこ膨れたところで説明に入らせて頂きます」
クラス7人(1人死亡)一同は思った。
脱線させたの自分だろう。そしてあれだけ食べてそこそこかよ、と。
早いところ説明に入って欲しかったこともまた全員の総意だったので、誰もそれを口には出さなかったが。
「あぁ、ですが……ふあ……なんだか、食べたら眠くなってしまいました。説明、明日でいいですか?」
「「「「「「「さっさと話せや!!」」」」」」」
くしくし目蓋を擦るクリュスに、夜行達の怒声が飛ぶ。
彼女の後ろに控える騎士達が、この上なく申し訳無さそうな顔をしていた。
「軽いプリンセスジョークなのに……」
絶対半ば以上本気だった。明日でいいと言ったら、確実にそうなっていた。
小さく咳払いをして、場を仕切り直すクリュス。
「では先ず……ここは、皆様方が今まで生を送って来られた世界ではありません」
「分かり易く言えば、異世界なのです」
しん、と。
再びクラスの一同から、ざわめきが消えた。
静寂を破ったのは、とんとんと夜行の肩を控え目に叩いた細い指。
振り返ると、何時の間にか彼のすぐ後ろにクラスメイトの1人が。
「戌伏君……あの子、何を言ってるのでしょうか……?」
鳳龍院躑躅。
腰まで伸びる艶をたっぷりと含んだ栗毛と、常に優しく細められた目付きが愛らしい夜行のクラスメイトだった。
仰々しい苗字からもある程度予想のつく典型的なお嬢様で、その気品ある立ち居振る舞い故に、入学当初から学園でも屈指の人気を誇っていた。所謂学園のアイドル、と言うやつである。
偶然にも夜行とは1年の頃からずっとクラスメイトで、こうして気軽に声の掛け合いをする程度には親交があった。
柔らかい笑みの形で固定されている、そう言っても過言ではない躑躅の表情は、しかし微妙ながらも確かな困惑を示していた。
そんな彼女の姿を珍しいと思いながらも、夜行が小声で返す。
「気にしない方がいい、鳳龍院さん。きっとアレだ、春先によく出てくる人だ」
「まあ……そろそろ夏も本番に入りますのに、お可哀相……」
「いや、ただの厨二じゃね? 丁度見た目からして歳もそんぐらいだろ」
2人のひそひそ話に千影も加わる。
そして彼等の中では、既に眼前の少女が厨二病患者かキ●ガイであるとの共通認識が生まれつつあった。
心なしか、夜行達のクリュスを見る目が生温かい。
「……? 皆様方をお呼び立て、この世界へと召喚させて頂いた理由ですが――」
そんな夜行達の視線を訝しみながらも、クリュスは淡々とした声音で話を続けて行く。
だが彼等のそんな目も、話が進むに連れ徐々に驚きへと変わっていくのであった。
「――以上です。御理解頂けたでしょうか?」
およそ30分、或いはそれ以上か。
それだけの時間をかけてクリュスの口より行われた、現状の説明。
今それがひと通り終えられ、そしてクリュスが僅かに首を傾げながら夜行達7人にそう問うた。
彼等は各々驚きや困惑などの織り交ざった複雑な表情を見せつつも、一応の理解は届いた様子であった。
クリュスの話を大まかに纏めると、こう。
・ここは『大陸』と呼ばれる異世界であり、その中でも中央部に位置する『ラ・ヴァナ帝国』と言う名の国である。
・この世界は大陸北側と南側で分かれ、それぞれ北を『魔族』が、南を『人間』が治める形で住み分けされている。
・しかし近年北側の魔族が人間の領土に侵攻を始め、大規模な戦争となる1歩手前。
・そこでクリュスを筆頭とする帝国上層部が、戦争に勝利する切り札として『勇者召喚』を行った。
・その勇者と言うのが、何を隠そう夜行達である。
他にも話の合間に差し挟まれた質問等によって、異世界なのに言葉が通じる理由やどうやって召喚されたかと言った事柄も説明されたのだが。
魔法がどうたら認識置換がどうだのと小難しい話だったので、夜行は半分聞き流していた。
「ふむ。つまり君は、オレ達に戦争へ参加しろと?」
そう尋ねたのは、怜悧な雰囲気を持った男性にしてはやや長髪なことが目立つ美形。
伊達雅近である。
「有体に言えばそうなります」
「……回りくどい言い訳をしないことは評価に値する。幾ら口上を並べたところで、誠意など感じられない」
やもすればずり落ちそうなクリュスのものとは違う細めの眼鏡をクッと上げ、頷く雅近。
これまた珍しいことに機嫌が良さそうだと、彼の姿を見て夜行は思った。
雅近は几帳面そうな外見に反してその実、面倒事を極端に嫌う。
故に冗長な言い回しをせず、ストレートに本筋を伝えてくるクリュスに、一種の好感を覚えたのだと思われる。
と、言っても。
「だが、断る」
要求を安請け合いするかどうかは、全くの別問題であった。
それも内容が、魔族などと言うフレーズの響きからしてヤバげな輩相手の戦争に参加して欲しい……なんてモノであれば、尚更である。
真面目で融通が利かなそうな外見に反し、ネタを好む性質の雅近はドヤ顔で言い放つ。
「そもそもオレ達は忙しい。高校3年だ、ただでさえ面倒な大学受験やら就職活動やらで切迫しているんだ。魔族だか魔王だか知らないが、そんなのを相手している暇は無い。今すぐ元の教室に戻して貰おうか」
「そうだそうだ! 俺とヤコなんて今週末に合コンあんだぞ!? やっとのことで聖女のコ達と取り付けたこのチャンス、逃してたまるか!!」
雅近に続き、千影も反対の意を示す。
ちなみに聖女とは『聖花女学院』の通称であり、ハイレベルな容姿の生徒が集まっていると近隣で名高いお嬢様学校である。躑躅も最初はこっちに入学する予定だったらしい。
「……そうですか。やはり、そう簡単には承諾して頂けませんか」
「そりゃま、普通はね。俺だってヤだし」
そもそも戦争に参加したところで、役に立てるかどうか。生まれてこの方武器なんて使ったことも無いし。
そんなことを思いながら、顔を俯かせるクリュスと話す夜行。
周りを見ても、乗り気な面子は1人も居ない。
当然だ。いきなり異世界に前触れ無く呼び出され、戦ってくれなど冗談ではない。
「話を聞くに、召喚されてすぐならあっちの大門を潜れば帰れるらしいな。行くぞ、皆」
「おう。んじゃ、さっさと帰ろうぜヤコ」
「はいはいっと。どうせもう午後の授業始まってるし、このままサボってカラオケでも行こうか」
「私、ずる休みなんて初めてです……ふふっ、何だかワクワクしますね」
既に全員帰る気満々で、夜行や雅近達を先頭に『帰還の門』へと歩いて行く。
――しかし。
「無論、タダとは言いません」
ぴたり。
クリュスの呟くようなその言葉に、夜行達の足が止まる。
「元より皆様は、この世界の確執に何ら関わりの無い御方々。確かにいきなり喚び出した上、異世界の為に戦ってくれなど虫の良過ぎる話」
ですから、と。クリュスが言葉を続ける。
「我がラ・ヴァナ帝国は、人間の治める領内に於いて最も栄えた国。もし助力をお約束頂ければ、それなりの報酬はご用意してあります」
「山のような金銀財宝が思いのまま。7代先まで贅の限りを尽くせましょう」
「世界中の美味珍味も選り取り見取り。存分に異界の食を堪能して下さいませ」
「美男美女も口説き放題。敵方の魔族には、サキュバスやダークエルフなんて美形揃いな種族も存在します。捕虜とするもどうするも、勇者様のお好きなように」
「その他、財力権力でどうにかなる望みであれば、当国が全て叶えて差し上げます」
3度目の静寂が訪れた。
やがて声を押し殺すように、夜行が笑い始める。
「クク、ククク……聞いた? ちー君、マサ。このお姫さん、俺達を買収するつもりらしいよ」
「呆れてものも言えんな。札束で頬を叩かれた気分だ」
「これだからお偉い奴はよぉ……金さえ積めばどうにかなると思ってやがる、嫌になるぜ」
3人から、剣呑な雰囲気が漂う。『買収』などと言う俗物的な行為が、彼等の気分を著しく害したのだろうか。
揺らめくようなその空気に、クリュスの背後に立つ騎士達が顔を顰め、思わず武器に手をかける。
そして。
「「「その話のったぁッ!!」」」
騎士達がこけそうになった。
「財宝……これでオレは一生働かないで済む!」
「美味珍味、楽しみだねぇ……」
「ダークエルフ! サキュバス! まさに男の浪漫だ、合コンなんぞもうどうでもいい!」
一転して掌を返す3人に、唖然となったのは残るクラスメイト達である。
更に。
「俺っちもやるぜ! うひひひ、美女美少女……たまりませんなぁ!」
「戌伏君達がやるんでしたら、私も参加致します。何だか面白そうですし」
「……やる」
ほんわか笑う躑躅と、もう2人。柳本平助、そして美作サクラが名乗りを上げた。
学園でも『スケベ』『変態』『女の敵』と名が知れ渡っている平助は、既にピンク色の楽園が脳内に広がっているようで、だらしなく顔が緩んでいた。ちなみに、最初の方で不用意な発言をかまして痛い目に遭わされたのはこの男である。
対して、小柄な体躯に陰の差した表情が特徴的なサクラ。普段から口数が少なく、変わり者と言われることも少なくない彼女の心中は、さほど親交の深くない夜行には窺えなかった。
とにかく、これで一気に6人。慌てたのは瞬く間に孤立化した残りの1人である。
キツめの吊り目をしたショートカットの少女、クラス委員の雪代九々が声を張った。
「ちょ、本気なの貴方達!? ゲームじゃないのよ、戦争だって言われたでしょ!? 人が死ぬのよ!?」
「承知の上だ。敵方には、オレの素晴らしきニートライフが為の贄となって貰う。そもそも人間、大なり小なり他人の生命を喰って生き長らえている」
「自分が死ぬかも知れないって言ってるのよ!! それに今帰らなかったら、当分は戻れなくなるんでしょ!?」
「人は死ぬ、いずれ死ぬ。ニート道を極める為、志半ばで果てるのならそれも本望だ」
「何その無駄に固い意志!?」
無駄に男前な顔で、とてもかっこ悪いことを堂々と言い放つ雅近。
てか、ニート道って何だ。
「あなた達ねぇ……もう少しちゃんと考え――」
「委員長! 貴様にひとつ、真理を教えてやる!」
「――はい? 真理?」
首を傾げ怪訝な表情をする九々へと、一拍置いて雅近が叫んだこと。
それは確かに、真理なのかも知れないと夜行は思う。
「現代日本でまともに就職するより――魔王でも魔族でも倒す方が、百倍は楽だッ!!」
「――――」
そんな雅近の魂からの叫びに、残る唯一の反対派であった九々は唖然とした。
まさに『ぐうの音も出ない』と言う有様を、そのまま体現したかのようで。
そして、その1分後。
夜行達7人は誰1人として欠けることなく、勇者となることを決意するのであった。
「戌伏夜行。生活スタイルは朝型、どっちかっつーと猫派」
「鬼島千影だ。『川ヶ岬高校ベンチプレスが似合いそうな男』ランキング2年連続1位」
「伊達雅近……好きな言葉は『悠々自適』、嫌いな言葉は『骨折り損』」
「鳳龍院躑躅と申します。犬派です」
「柳本平助! エルフは耳が弱いって割と鉄板スけど、マジッすか?」
「……美作サクラ……よろしく……」
「雪代九々です。これからお世話になります」
「はい、勇者様方。快い御協力、誠に有難う御座います」
……やべえ、なんかやたらとキャラの濃そうな連中が集まったぞオイ。
自己紹介する夜行達の姿を見て、クリュスの後ろに控える騎士2人が思ったことである。
「では皆様。早速ですが、ステータスの御確認をお願いできますか?」
「先程の話にあった、個人の能力を数値化して表すという奴だな。どうすれば出せる?」
雅近の問いに、今までずっとクリュスの後ろに居た騎士達が前へと出てきた。
彼らは夜行達1人1人へ掌に収まるくらいの大きさをした黒い金属板を手渡すと、元の位置に戻る。
「そちらは『パーソナルカード』と言って、この世界で最も数多く作られている『魔具』です。ステータスの開示には、主にそのカードを使用します。身分証にもなりますので、失くさないよう御注意下さい」
と言うことで、先ずは手渡されたパーソナルカードに持ち主認証させる流れとなった。
認証させるには、対象者の血を一滴カードに垂らさなければならないらしい。
メンヘラじゃあるまいし、自分を傷付けるなんて行為には少し抵抗があるなあ……夜行はそう思ったが、しかしやらないことには話が進まない。
苦い顔をしながらも、貸して貰ったナイフで親指の付け根辺りを軽く切り、滲み出た血をカードに擦り付ける。
すると黒いカードが一瞬、淡く発光した。どうやらこれで認証完了のようだ。
他の面子も同じようにして、カードの認証を終わらせる。
ワイルド気質な千影に至っては、指先を噛んで血を垂らしていた。
逆に問題だったのが、躑躅であった。
「い、痛くしないで下さい……戌伏君、お願いですから……!」
「多少は仕方ないし、あと震えを止めてくれ。手元が狂う」
自分ではどうしても刃物を指に突き立てられず、文字通り夜行の手を借り何とか認証。
やはりお嬢様育ちには、自傷行為は厳しかったようである。
ともあれ、ひと悶着ありつつも全員無事カードの認証は完了。
いよいよステータスの開示となった。
「では、ステータスの開示方法ですが」
使い終えたナイフの刃をハンカチで拭いながら、クリュスが一拍置く。
必然、夜行達全員の視線が彼女へと集中する。
「自身の思う最高にカッコいいポーズを決めつつ、声の限り叫んで下さい。『オープン・ザ・ステータス』と」
…………はい?
クリュスの放った言葉は、夜行達の想像を遥かに超えていた。
ナイフで指を傷つける、なんて程度の話ではない。7人全員が絶句する。
「……冗談、だよな?」
「マジですヤコウ様、私は冗談なんて言いません。この世界では常識です、町に出れば皆してポーズ決めまくりの叫びまくりですよ」
明らかに嘘だ、と夜行は内心で叫ぶ。
何故なら彼女の後ろに控える騎士達も、驚愕の表情になっていたから。そもそも、さっきプリンセスジョークとか普通に言っていた。
しかし、その冗談を真に受け、且つ覚悟を決めてしまった人物が1人。
千影である。
「ッ……お、オープン・ザ・ステータァァァァァァァァスッ!!!!」
顔を羞恥で赤く染めながら、荒ぶる鷹の構えで千影が叫ぶ。
………………………………。
……………………。
…………。
10秒が経過。彼の持つパーソナルカードは、何の反応も示さない。
夜行も雅近も他のクラスメイト達も、クリュスの後ろに居る騎士も、周囲から遠巻きにその様子を見ている者達も。
誰もが気まずそうに、千影から目を逸らしていた。
「……うわ……冗談はさておき、カードを持って『ステータスよ開け』みたいなことを念じれば、普通に表示されます」
「伊達ぇぇぇぇッ! ヤコォォォォッ! 離せ、離してくれ! こいつだけは1発殴らないと気が済まねえッ!!」
「抑えるんだ、ちー君! 後ろのおじさん達が凄い勢いで頭下げてるから!」
「あんなでもこのボロ儲けを提供してくれた、謂わば雇い主! 報酬を貰うまでは耐えろ、鬼島!」
夜行、雅近両者の制止と説得により、どうにか怒りの矛先を納める千影。
とにかく今はステータスだ、と気を改め。手にしたパーソナルカードを見遣りながら、夜行達はそれぞれ念じる。
「(ステータスよ、開け)」
…………。
数秒が経ち、夜行は眉を顰めた。
何も出てこなかったのだ。カードはうんともすんとも言わず、ただ黒い光沢を跳ね返すのみ。
やり方が間違っているのかと思いつつ、夜行はなんとはなしに他の面々を見回してみる。
「なあヤコ、どうだったよ? 俺はこんな感じなんだが」
「わたしにも見せて下さい」
そうしていると、不意に千影がカードを差し出してきた。
どうやら彼は無事にステータスを開けたようで、黒の表面に光る文字が映し出されている。
夜行は興味津々な感じで割り込んできたクリュスと一緒に、その内容を見た。
===============
『鬼島 千影』
Lv.1
クラス:機甲将軍
称号:無し
HP:500/500
MP:60/60
SP:350/350
STR:100
VIT:90
INT:15
RES:80
DEX:30
AGI:50
・個人技能
古傷(頭):頭を強く打って出来た古傷。INTマイナス補正。
体術Lv.6:数多くの喧嘩で培われた技術。格闘戦での能力補正。
男の友情:特定の人物がパーティ内に居る際、攻撃力10%アップ。対象者『戌伏夜行』。
日々鍛錬:筋トレ趣味。STR上昇率アップ、INT上昇率ダウン。
・クラス技能
機甲マスタリーLv.0:機甲系アーツを習得可能
鎧の加護:全身鎧を装備時、INT、MP以外の全能力上昇。
===============
『クラス』に『技能』。この世界の住人なら誰もが持っている物である。
平たく言ってしまえば、クラスとは『才能』。技能とは、『努力により得た結果』と呼べる。
だが、夜行達異世界人はクラスを持っていない。
故に召喚の際各々へとクラスが与えられ、その力は総じて強力な物となり易い。各能力も、それに応じて強化されると言う。
現に千影のステータスを見たクリュスは、目を丸くして唖然としていた。
「これってどんなもんなんだ? つーか何だよ、このマシナリーなんたらって」
「マシナリー……? まさか、機甲将軍ですか!?」
「お?」
興奮した様子で鎧をガシャガシャ鳴らし近寄って来たのは、今まで一度も口を開くことのなかったクリュスの護衛。
その片方が出した叫びのような声によって、周りを囲んだ者達もまたざわめき始める。
「始皇帝アレクサンドラ様がお持ちであったと言う稀少クラス! 纏う鎧を意のままの形へと変え、白兵戦においては最強のひとつに数えられる騎士の憧れ!」
「お、おう。そうなのか」
「……ステータスの高さも驚きです。我が国の一般的な兵士の能力平均が大体30弱、HPやSPも150あればいい方。この数値なら、すぐにでも近衛隊に所属できるくらいです。レベル1でこれなんて、予想以上……まあ知力はかなり残念な様子ですけど」
「残念言うな!!」
憤慨する千影だが、実際の数字が物語っている。
彼の成績が不時着寸前の低空飛行であることをよく知っている夜行からすれば、妥当な評価であった。
「では、オレはどうだ? こんな感じなんだが」
続いてパーソナルカードを差し出してきたのは、雅近。
こちらのステータスは、このような感じであった。
===============
『伊達 雅近』
Lv.1
クラス:滅魔導
称号:無し
HP:110/110
MP:600/600
SP:90/90
STR:30
VIT:25
INT:105
RES:95
DEX:55
AGI:40
・個人技能
怠惰:生来の怠け者。取得経験値10%ダウン。
秀才:優れた頭脳の持ち主。INT上昇率アップ。
幼馴染本願:パーティメンバーに『戌伏夜行』が居る場合、全能力ダウン。
不屈の精神:曲げることのない信念。INT、RES、MP上昇率アップ。
・クラス技能
殲滅魔法マスタリーLv.0:殲滅系魔法を習得可能。
精神の泉:MP回復速度上昇。上昇率はMP最大値とINT値に依存。
術式合成:異なる2つの魔法を組み合わせ、行使することが可能。
===============
……個人技能とやらが半分近くアレなことは置いておいて。
クリュスと騎士さんの反応を見るに、こちらも結構凄いらしかった。
「滅魔導! なんと、またも稀少クラスではありませぬか!」
「殲滅戦において最強のクラス……そして数千から数万に1人の稀少クラスが、一気に2人も……既にこれだけで、大金をかけ召喚の儀を執り行った価値がありますね」
白兵戦特化らしい千影に、強力な魔法使いである雅近。
クリュス達の想像を超えるらしい素質を備えていた彼等に、周囲は興奮冷めやらぬと言った様子であった。
「魔法使いか。忙しなく動かずに済むのはいい、正に天職だ」
「マサは平常運転だなぁ……そだ、鳳龍院さんはどうだったん?」
「え!?」
何気なく夜行がそう尋ねると、躑躅はどう言うワケか引き攣った表情を浮かべてパーソナルカードを見ていた。
どうしたのかと思い、首を傾げつつ近寄る。
「? 何かステータスにおかしなことでも――」
「そ、そんなことありませんよ!? 至って普通、極めて普通です!!」
さっとカードを背後に隠し、じりじり後ずさりながら笑みを浮かべる躑躅。
努めて冷静を装っていたが、内心では気が気でなかった。
「(こ、こんな物を誰かに見られるワケには……!)」
躑躅は頬に冷や汗を伝わせ、必死に愛想笑いで誤魔化そうとする。
===============
『鳳龍院 躑躅』
Lv.1
クラス:強奪者
称号:無し
HP:80/80
MP:120/120
SP:70/70
STR:20
VIT:20
INT:60
RES:50
DEX:90
AGI:25
・個人技能
本性偽装Lv.8:己を偽る技術。卓越しており、日常の態度からこれを見破ることは困難。
サディスト:他者を痛め付けることに快感を覚える。攻撃力30%上昇、防御力30%ダウン。
楽器演奏Lv.4:楽器を扱う技術。アマチュアクラスでは最上級。
権謀術数:裏での暗躍に秀でている。諜報、政治能力に補正。
・クラス技能
強奪マスタリーLv.0:強奪系アーツを習得可能。
エクスペリエンス・グリード:取得経験値20%上昇。
ピックポケット:スリの成功率上昇。上昇率はDEX依存。
アンロック:鍵開けの成功率上昇。上昇率はDEX依存。
===============
彼女の持つそれもまた、紛れもない稀少クラスであった。
強奪者。あらゆる物を『奪う』ことに特化したクラスで、極めれば『レベル』や『ステータス』と言った形のない物さえ奪取可能となる。
しかし躑躅からしてみれば、とりあえず今はそんなこと凄くどうでもよくて。
「(こんなの見られたら、私の今まで築き上げてきたものが全部パーじゃない! 何とか、この場は誤魔化さないと……!)」
プライバシーも何もあったものではないパーソナルカードに怨みの念を飛ばしつつ、躑躅はほわほわとした笑みを浮かべさせた。
「え、えっと……そ、そうだ! 戌伏君はどうだったんですか? 気になります、見せて下さい」
「俺の? ああ、そう言や何かステータスが出てこないんだよな……おーい、お姫さーん」
躑躅の態度に若干違和感を覚えつつも、そう言えば自分のカードが機能しなかったことを思い出す夜行。
九々やサクラのステータスを興味深げに見ていたクリュスの方へと歩いて行った彼の後姿に、彼女はホッと息を吐く。
ちなみに、パーソナルカードのスキル欄は任意で隠すことが出来る。
後日それを知った躑躅は、真っ先に個人技能の幾つかを隠蔽させていた。
「クク様は『狙撃手』ですか、早急に銃を手配しましょう……サクラ様? この個人技能にある『腐敗思想』って何ですか?」
「……さあ、身に覚えないわ」
「姫さん。俺のカード、認証してもステータス出てこないんだけど」
「え? ああ……初期不良ですかね、たまにあるんです。振ったり叩いたりすれば大体直りますよ」
昔の電化製品かよ。
そんなことを思いながら、言われた通り振ったり軽く叩いてみたりする夜行。
やがてチカチカとカードが明滅し、切れかけの蛍光灯のような光で危なっかしくステータスを映し出す。
クリュスと、そして自分のステータスを確認し終えたクラスメイト達も、彼のカードを覗き見た。
===============
『戌伏 夜行』
Lv.1
クラス:!#$%&=?
称号:無し
HP:100/100
MP:0/0
SP:290/290
STR:45
VIT:15
INT:20
RES:10
DEX:120
AGI:100
・個人技能
料理Lv.5:調理技術とその知識。アマチュア以上プロ以下。
刀剣目利きLv.3:刀剣限定の鑑定能力。大まかな性能くらいは分かる。
金属アレルギー:重度。金属系防具の装備不可能。
魔力拒絶:中度。魔力に対する拒絶体質。魔力を含む武器防具の装備不可能。呪い無効。
・クラス技能
不明
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…………。
何と言うか、これは。
「文字化けしてるんですけど……」
困惑した風に、夜行がそう呟く。
かくして彼の異世界生活は、その1歩目から暗礁に乗り上げたようなスタートを切るのであった。
夜行達7人が、人間領最大の国である『ラ・ヴァナ帝国』の勇者として召喚されてから、早いもので2週間が経った。
各々のクラス能力を最大限発揮させられるよう、個別で訓練を受ける彼等の実力は、鍛錬と呼ぶにはあまりに短すぎるその2週間で、瞬く間に向上している。
既に彼等は、日本に居た頃では考えられないほどの力を身に付けていた。
日を跨ぐ毎に強くなる彼等へと、周囲の者達は畏怖と憧憬の念を抱く。
これが勇者の力か、と。
それは7人の中で唯一『クラス』の正体が分からない夜行もまた、例外ではなく。
今日も今日とて彼は、己が力を引き出す為の訓練に励んでいた。
「よし、完成! 満漢全席異世界エディションお待ち!」
中華鍋を剣の如く振り回し、鮮やかな手並みで料理を皿に盛り付ける。
無数の料理が並べられたテーブルには、箸を片手に待ち構えるクリュスの姿が。
「中々の量ですね。腕もお腹も鳴ると言うものです」
「ハッ! 食い尽くせるものなら食ってみな、幾ら胃袋ブラックホールな姫さんでもこれは流石に――」
「御馳走様でした」
「」
横綱5人が1日かけても食べ切れるか危うい量のそれらが、一瞬で消えていた。
更に言えば、それを成したのは小柄且つ痩躯な中学生くらいの少女である。
化け物だ。人の皮を被ったポリバケツか何かだ。
およそ信じ難い眼前の光景に絶句し、慄き、後ずさる夜行。
そんな彼の様子を尻目に、ナプキンで口元を拭きながらクリュスがドヤ顔を見せた。
「ふふん。どうしましたヤコウ様、この程度ですか?」
「ッ……上等だこの暴食プリンセス。晩飯は覚悟してろ、懐石御膳フルコースを当社比20倍のスケールで堪能させてやる!」
「楽しみです」
余裕たっぷりな彼女に歯噛みしつつ、今度こそギャフンと言わせてやると夜行は決意する。
「今すぐ晩の仕込みに入るぞ! スピーディーにこなせよお前達!」
「「「「「ハイ、料理長!」」」」」
声の揃った返事と共に、夜行配下の料理人達がテーブルに並ぶ空いた皿を片付け始める。
夜行自身は己の言葉通り、仕込みの為に厨房へ戻ろうとして。
「…………って」
途中でくるりと踵を返し、優雅にお茶など飲んでいるクリュスの方へ。
そして。
「何で姫の専属料理人をしとるんだ俺はぁぁぁぁッ!!!?」
被ったコック帽を床に叩き付け、あらん限りの叫びを上げる夜行。
延べ2週間。彼が現状に対し、初めてツッコミを入れた瞬間である。
「随分と長いノリツッコミでしたね、ヤコウ様」
「戦闘訓練とか言って、当たり前のように厨房に案内されたからね! なんか意味あるのかと思って、ここ数日はすっかりその気になってたわ!」
テーブルに掛け、紅茶を飲みながら夜行は荒い声で悪態を吐いた。
対してクリュスは、相変わらずのぽーっとした顔でデザートの杏仁豆腐を食べている。
……自分で作っておいてなんだが、子供1人ぐらいなら余裕で納まるサイズの器一杯のそれを見る見る胃袋に収めていく様は、見ているだけでお腹が苦しくなりそうな光景だった。
「嘘は申しておりません。料理人にとって調理場は戦場、包丁こそが彼等の剣です」
「俺、料理人じゃないんだけど」
「例え新兵であっても軍人は軍人。今まで料理を一度もしたことが無かろうと、包丁を手にすれば料理人なのですよヤコウ様」
「上手いこと言って誤魔化そうとしてないかアンタ」
疑わしさを前面に押し出したジト目で、クリュスを見る夜行。
彼女は心外だとでも言わんばかりに、レンゲをくわえたまま頬をわずかに膨らませた。
「だって仕方ないじゃないですか。ヤコウ様のクラスが未だ分からない以上、どのような訓練を課す必要があるのかを考えることさえ出来ないのですから」
「……そいつは、そうだが」
一応尤もであるクリュスの言い分に、夜行はなんとも言えない気持ちで頬を掻いた。
――帝国に召喚されたその日。彼のステータスがまともに開かれなかった理由は、パーソナルカードの不具合ではなかった。
夜行の個人技能に記されていた、ある項目。『魔力拒絶』と名付けられた、一種の特異体質によるもの。
その名の示す通り、魔力や魔力を含む物品による干渉を弾くそれの影響を受け、カードの機能が阻害されバグを引き起こしたことが原因だったのだ。
「とは言え、幸いヤコウ様の拒絶体質は中度。今現在、開発局の皆さんが貴方様に合わせてパーソナルカードのアップデート作業をしていますから、その内クラスも判明しますよ」
「魔法関連のクラスだったら最悪だなオイ。ただでさえ等級の高い強力な武器防具は、9割方魔力含んでて装備できないって話なのによ」
「あの残念INT値で魔法関連と申しますか」
「残念言うな! ちー君よりはマシだ!」
マシとは言っても、15と20である。
そろそろ少なくなってきた杏仁豆腐を惜しみながら、五十歩百歩だとクリュスは内心思った。
「んぐ……けれど魔力拒絶は、デメリットばかりでもありませんよ? 呪いの類が無効化される、なんてプラスもあります。何であれ使いようですね」
ざぱー、と最後に杏仁豆腐を流し込み、満足そうにお腹を叩くクリュス。
本当にあんな細身の何処に、あれだけの量を収めるだけの容量があるのか。
「……姫さんの言いたいことはまあ、分かったけど……だからって料理ばっかしてても何にもならないだろーが」
「でもレベルは上がってるでしょう?」
「…………」
そう。そうなのだ。
夜行はこの2週間、料理以外のことなど殆どしていない。
にも拘らず、彼のステータスはこの世界へ来た当初と比べて明らかな成長を見せていた。
一応は機能するパーソナルカードをポケットから取り出し、ステータスを表示させる。
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『戌伏 夜行』
Lv.1→7
クラス:!#$%&=?
称号:無し→『帝国皇女専属料理人』
HP:100/100→130/130
MP:0/0
SP:290/290→420/420
STR:45→52
VIT:15→18
INT:20
RES:10→12
DEX:120→168
AGI:100→133
・個人技能
料理Lv.5→7:調理技術とその知識。今すぐにでも店を開けるレベル。
刀剣目利きLv.3:刀剣限定の鑑定能力。大まかな性能くらいは分かる。
金属アレルギー:重度。金属系防具の装備不可能。
魔力拒絶:中度。魔力に対する拒絶体質。魔力を含む武器防具の装備不可能。呪い無効。
・クラス技能
不明
===============
「やたらDEXとAGIに偏ってるけど……なんで料理やっててレベル上がるんだ?」
「戦うことだけが人間の能ではありません。人生全てが経験値なのです」
一見もっともらしいが少し考えたら極当然のことを、何故か胸を張って偉そうに語るクリュス。
幾ら張っても残念な胸が、涙を誘うような有様であった。
「つーかMPは体質的にしょうがないとして、INT上がってないんだけど」
「そこがヤコウ様の限界ってことじゃないですかね」
「…………」
勇者として召喚された夜行らには、素質や能力へ大きく補正がかかっている筈である。
なのに知力は一般兵士平均以下。しかもそれが限界値など、首を吊りたくなるような話だ。
「なんて冗談はともかくとして、料理の経験によるレベルアップですからね。関連した数値が上がりやすいのは当然ですよ」
「だよな!? 俺の知力がここで頭打ちとか、そんなワケじゃないよな!?」
「それは……――」
「黙り込むな! 否定しろよ、否定して下さい!」
土下座しそうな勢いの彼に、とうとう気まずそうに視線を逸らすクリュス。
マイペースな暴食プリンセスのそんな態度に、夜行は本気で泣きたくなってきた。
「しかし、勇者様方のレベルアップは異常な早さですね」
食事を終え、クリュスを連れ立って宮殿内を歩く夜行。
その最中で呟かれた彼女の言葉に興味を持ち、彼は聞き返した。
「やっぱ早いのか? 確かに、日に日に自分の能力が上がってるって自覚できる程度には成長してるが」
これは料理を何度もこなす内に感じていたことだった。
昨日よりも緻密に指先が動き、一昨日よりも目に見えて速く身体が動く。
どうやら速さと器用さ特化らしい自分のステータス。それでも1日2日で明確に差が出てくるのは普通じゃないと、夜行はこの2週間で何となく思ってはいた。
「はい。人生全て経験なんて言いましたが、レベルを上げるのに1番なのはやっぱり戦いです。その戦闘訓練に日夜勤しむ兵士達でさえ、1ヶ月にひとつレベルが上がればいい方ですよ」
低レベルの内は確かにある程度レベルアップし易い。
だがほんの2週間、それも料理による経験で6つもレベルが上がるのは、クリュスにとっても信じ難い速度だった。
「更に、一般的な兵士のレベル平均は40半ば。近衛兵クラスともなれば、60を超える者もザラです。ヤコウ様達は未だレベル10に届いてさえも居ないのに、下手すれば既に将軍級の能力を備えているのです」
「はあ……そいつは凄いな」
具体的にどれくらい凄いのかは分からないが、少なくともクリュスの求めた勇者の素質を備えていることは理解できた。
現に眠たげな表情ですごいすごいと繰り返す彼女の声音は、とても嬉しそうであったから。
「良かった良かった。帰る為の門も一度閉めたら当面は開けられないって話だし、もし役立たずだったら放り出される所だった」
「失礼ですね、そんなことしませんよ。もし戦えるだけの力をお持ちでなかったら、次に門を開けるまでこちらで生活して頂いた後、元の世界にお返ししてました」
「ほーん」
ぷくっと頬を膨らませるクリュスに、気の抜けるような声を返す夜行。
ネット小説なんかだと、召喚しておいて役に立たなかったら即ポイされるのが近年の王道であっただけに、少し肩透かしを食らった気分だった。
でも考えてみれば、王族貴族だからとそれイコール横暴なんて考え方はそれこそ偏見だろう。
確かに自分達のような得体の知れない輩が宮殿内をうろついていることに対して、良くない顔をしている連中も居るには居る。
しかし親切な人だって大勢居るし、そもそもそれは一般ピープルにだって言えることだ。
「やはり召喚の儀を執り行う際、お供え物を惜しまなかったことが功を奏しましたね」
「はい? お供え?」
クリュス曰く、勇者召喚の際には神への捧げ物をするのが通例なのだと言う。
それが多ければ多いほど、高価ければ高価いほどに、召喚される勇者へと与えられる才能や能力が強力になり易いらしかった。
「この法則を最初に発見した第3代皇帝ペルセウス様は、これを『カキン』と呼んでいたそうです」
「カキン? ……あ、課金?」
ネットゲームかよ、と夜行は小さく呟いた。
まあ実際ステータスだの何だのがあるこの世界、彼等日本人からしてみればゲームの中にでも入ったみたいなものであったが。
「地獄の沙汰も金次第、勇者の素養も金次第ってことですね」
「夢も希望もあったもんじゃない……」
金次第の素養って一体。だがその恩恵で、自分達は加速度的に強くなっているのだろう。
複雑な心境を抱えながら、夜行は通路の突き当りを曲がった。
「それでヤコウ様、何となくついてきましたけどこれからどちらへ?」
「ん? いや、そろそろ皆と1回顔合わしとこうと思って。忙しくて初日以降会ってなかったし」
「成程。わたしも皆様の成長振りを確認しておきたかったので、ちょうど――」
「こんな所に居られましたか、姫様」
クリュスの言葉を途中で遮る形で、落ち着きのある女性の声音が響いた。
夜行達が後ろを振り返ると、そこに居たのは女性にしては変わった服装と高い背をした姿。
178センチメートルある夜行とほぼ変わらない身長、本来なら男性が身に纏うであろう執事服。
しゃらりと腰まで伸びた金紗の髪を鳴らし、彼女は一礼した。
「セバスチャン。どうしたんですか?」
「姫様。何度も申し上げている通り、私めの名はホイットニーで御座います」
この宮殿で執事長を務める妙齢の美女、ホイットニー。
彼女は常に目蓋を閉じているのではと見紛うほどの糸目をクリュスに向けると、慣れた風に訂正する。
「そしてどうしたも何も、政務のお時間になっても部屋へお戻りにならなかったので、こうして探しに参った次第に御座います」
「あー」
すっかり忘れていた、とばかりにポンと手を叩くクリュス。
これで国の第2皇女なのだから、思わず帝国の将来が心配になるような構図であった。
「すみませんヤコウ様。そんな訳なので、わたしはこれで」
「おー」
クリュスはスカートの裾を摘んで一礼、踵を返す。
彼女に向けて手をひらひらとさせながら、夜行もまたホイットニーに少し頭を下げた。
「じゃ、綾崎さんもお仕事頑張って」
「ヤコウ様まで……私はホイットニーです、妻か恋人でも呼ぶような甘い声音でそう囁いて下さいまし」
「どんな声だよそれ……」
首を傾げつつ、クリュスと別れるヤコウ。
そして2週間振りのクラスメイト達の様子に思いを馳せつつ、先ずは第3練兵場へと向かうのであった。
第3練兵場は、宮殿敷地内の裏手側に設けられている。
主に宮殿勤務である近衛隊所属の兵士達の為の訓練場で、夜行がここへ来るのは初めてであった。
「こりゃ、中々に壮観だな……デカい城だけあって、訓練場も広いもんだ」
数百人が一斉に槍を振り回しても尚、余裕のありそうな敷地。
そこでは鎧に身を纏った屈強そうな近衛兵が、そこかしこで鍛錬に励んでいた。
「…………」
何と言うか、正直見ていて暑苦しい。こうして遠目に眺めていても、熱気が伝わって来そうなくらいである。
近衛隊と言えば確かに紛れも無いエリート集団だが、それにしたって凄まじい気の入れようだった。
ついでに申せば、見渡す限り野郎ばかり。男女の身体能力差を考えれば構成が偏るのは仕方の無いことだろうけれど、多少の華はあっても罰は当たらないと思われる。
そしてこんな所で訓練をしなければならない我が親友は可哀相なもんだと、夜行はかぶりを振りつつ同情した。
野太い掛け声を叫びつつ、手にした得物を素振りするムサい集団に紛れているだろう千影の姿を探すべく、辺りを見渡す夜行。
一応自分以外のクラスメイト達が何処で訓練しているのかは聞いていたので、話によれば此処に居る筈なのである。
「あっれ……ちー君何処だ?」
しかし軽く練兵場を見て回るも、それらしい姿が見当たらない。
必要以上に重そうな鎧を着込んで走っている若者。違う。
右へ左へ時には両手で、さながら体の一部が如く豪槍を振り回す苦みばしったナイスミドル。違う。
上半身裸で凄まじい筋肉の鎧を晒し、背に2人も大柄な男を乗せて腕立てしている巨躯の男。絶対違う。
幾ら探しても見付からないので、場所を間違えたかと首を傾げながら。夜行は手近に居た兵士を呼び止めた。
「あの、ちょっといいですか?」
「む? おお、これはヤコウ様ではありませんか! 何か御用ですかな?」
人の良さそうな笑みを浮かべて近寄ってくる、中年の男。よくよく見れば、召喚初日にクリュスの後ろで控えていた騎士であった。
全くの偶然だが、一度きりでも顔を合わせたことのある人物ならその方がいいかと思い、千影の所在を訪ねる夜行。
「ちょっと聞きたいんですけど、ちーく……チカゲ・キシマが何処に居るか知りません? 此処で訓練してるって聞いてたんだけど、見当たらなくて」
「チカゲ様ですか! あの方ならあちらです、ほら!」
そう言って彼が、練兵場の一角を指差す。
しかし、そこには先程も見た腕立てをしている大男が居るだけ。当然その上に乗っている2人の兵も、千影ではない。
「……? いや、どう見ても別人――」
「チカゲ様ー! ヤコウ様が来られましたぞー!」
「ん?」
またも首を傾げて言葉を返そうとした夜行だが、その前に中年の騎士が大声でそちらへ呼びかけた。
すると、腕立ての最中だったので当然伏せられていた大男の顔が上がり、こちらを向く。
そしてその男は背に乗っていた兵達を退かし、夜行の方へと歩いて来て。
にっと歯を見せ、笑みを浮かべた。
「おー、ヤコじゃねえか! こっち来て以来だから2週間振りだな、元気してたか!?」
「」
バシバシと肩を叩いてくる大男に、夜行は絶句した。本日二度目である。
何せ見慣れた友人の姿が、ほんの2週間見なかっただけで変わり果てていたのだから。
確かに顔をよく見れば、千影で間違いなかった。強面だがどこか人懐こい印象のある、大型犬を連想する容貌。
しかし彼は確かに大柄だったけれど、それでも確か身長184センチメートル。背の高さだけで言えば、自分と大差なかった筈。
どう考えてもこんなに――優に2メートルを越す程の巨躯などではなかった。
体型に至っては、原形を留めてすらいない。元々筋肉質な方ではあった。だがあくまで常識的な範囲で、だ。
なのに何だこの身体は。腕など丸太のように太いし、脚なんてその倍近くある。
正味、熊と戦ってもワンパンでKOしてしまいそうだ。そも、骨格からしてもう既に別人ではないか。
「お、おおぉ」
脳の思考能力が一時的にシャットダウンされる。一体この2週間で彼に何があったのか。
まさか、勇者の素質と経験値効率が良いとされる戦闘訓練を掛け合わせると、こんなマッスルクリーチャーがインスタント製造されてしまうのか。だとすれば、まさかまさか他の面子までこのような姿になっているのか。
脳裏に浮かぶのは、線の細い美形である雅近とたおやかお嬢様な躑躅。
あの2人までこうなってしまっているのではと考えたら、思わず絶望しそうになった。
「――いやいやいやいや、マサは魔法使い。こんなことにはなってない筈だし、鳳龍院さんも前衛職じゃないらしいし。びーくーるびーくーる、餅つけ俺」
「お? 餅なんかついてどーすんだヤコ、てかお前少し見ない間に縮んだ?」
「シャラップ! 言葉の綾だ、そしてお前がでかくなったんだよ!!」
異世界に来て2週間。なんか親友が筋肉達磨になってしまった。
そんな事実に若干涙目となりつつ、千影を指差す夜行。
「本当に何があったんだよお前! 雑誌の裏表紙にある怪しげなプロテインで3食生活でも送ってたのか!? ありえねーだろそのビフォーアフター!!」
「はっはっはっは! そーなんだよなー、レベル上がる度にムキムキになっちゃってよー。すげーだろこの究極肉体美」
「え? 不満とかないのお前、もしかしてそれでいいの?」
「不満も何も大満足だけど?」
筋肉を盛り上げ、ポーズまで決める千影。
親友の台詞に本気で泣きたくなった夜行は、その場に崩れ落ちる。
「そーだヤコ、お前レベルどーなった? 俺今9まで上がったんだけどさー」
自分の足元で小さく嗚咽を漏らしている夜行へと、千影はパーソナルカードを差し出した。
もうこうなったら矢でも鉄砲でも持って来いとばかりに、捨て鉢な気分でそれを見遣る。
===============
『鬼島 千影』
Lv.1→9
クラス:機甲将軍
称号:無し→『二重鎧の怪童』
HP:500/500→850/850
MP:60/60→70/70
SP:350/350→570/570
STR:100→184
VIT:90→131+65
INT:15→14
RES:80→120+60
DEX:30→34
AGI:50→56
・個人技能
古傷(頭):頭を強く打って出来た古傷。INTマイナス補正。
体術Lv.6→7:戦闘訓練を積み重ねた格闘技術。格闘戦での能力補正。
男の友情:特定の人物がパーティ内に居る際、攻撃力10%アップ。対象者『戌伏夜行』。
日々鍛錬:筋トレ趣味。STR上昇率アップ、INT上昇率ダウン。
筋肉の鎧:VIT、RES数値1.5倍、ノックバック率減。 NEW!
・クラス技能
機甲マスタリーLv.2:機甲系アーツを習得可能。
鎧の加護:全身鎧を装備時、INT、MP以外の全能力上昇。
===============
「なんか見れば分かるのが増えてる……」
そしてINTが減ってる。これは一体何がどうなっているのか。
もしや短期間で筋肉を鍛え過ぎたあまりに、脳が筋肉に侵食されつつあるのだろうか。眼前の現実を目にすれば、十分有り得る話だった。
と言うか、レベル一桁にして既にステータスの一部が化け物である。
確か夜行の聞いた話では、能力のどれかひとつでも100を超えるのはこのラ・ヴァナ帝国でも将軍クラスの者達のみ。そして彼等のレベルは、70や80にも届くと言う。
自分もDEXとAGIは高い数値を示しているが、それ以外はSTRが一般兵よりは高い程度で軒並み低い。戦闘能力と言う面において、比べるべくも無かった。
「へっ、中々のもんだろ? ここ数日は女とすれ違う度にキャーキャー言われるモテッぷりだぜ」
「それ多分ガチの悲鳴だからなお前!? 世紀末とかに居そうだもん今のお前!」
「よーし、折角ヤコが見に来てくれたんだ! いっちょ、この2週間の成果ってのを披露しようかね」
「人の話を聞け!」
駄目だ、もう確実に脳筋への道を歩み始めている。
豪快に笑いながら練兵場の中央へと歩いて行く千影の背を、何やら遠くに感じてしまう夜行。
在りし日々の想い出が、彼の中で走馬灯のように駆け巡る。
「ッシャ手前等! 組手すんぞかかって来いやぁッ!!」
「「「「「お願いします、師匠!!」」」」」
「センセイ!?」
2週間も彼から目を離していたことを、夜行は本気で悔やんだ。
これまでに一体何があったのか、凄まじく知りたい。
「アーマーセットォォォォッ!」
「何だありゃ!?」
突然千影が拳を天に掲げ、叫んだかと思えば。一瞬の閃光の後、彼の全身に漆黒の鎧が纏われていた。
強靭な筋肉で覆われた巨躯を更に一部も余すことなく包み込んだ、仰々しい全身鎧。成程、『二重鎧』の称号も頷ける姿である。
「ってそうじゃない! なに、何処から出したあの鎧!?」
「ふっふっふ。チカゲ様は最初から鎧を纏われておりましたよ、ヤコウ様」
「は?」
頭上に幾つもの疑問符を浮かべた夜行の疑問を晴らすべく、解説役を買って出た中年の騎士。
「説明しましょう! チカゲ様のクラスである機甲将軍は、身に纏った鎧を自在に変形させることが可能な『機甲系技』の習得が可能となる唯一の稀少クラス! その力を応用し、チカゲ様は御自分の鎧を普段はベルトに変形させているのです!!」
「は、はあ……」
ぐっと拳を握り締め、熱く語る彼に夜行は1歩引いた。
中年のハイテンションというやつに、どうも付いて行けなかったらしい。
「ハァァァァッ! 『腕部武装化』ッ!」
「…………」
「おおお! あれぞチカゲ様の得意技、『腕部武装化』! 鎧の篭手部をあらゆる武器へと変貌させるアーツ! 凄いぞー、カッコいいぞー!」
「…………」
はしゃぐオッサンにドン引きな夜行であったが、見れば周りの連中も中年騎士と似たような反応だった。
その熱気に一瞬、冷めてる自分の方がおかしいのかと思うが、きっとおかしいのは彼等である。
瞳を少年のように輝かせながら、千影の姿を見つめる者。
猛るような雄たけびを上げつつ、彼に武器を振りかざして攻めかかる者。
もしかして、近衛隊とはこんなのばっかりなのだろうかと、夜行はふと思う。
最初に此処へ来た時、妙に暑苦しいと思ったのも当然だ。こんないい年してテンションのおかしい奴等が集まってるなら、そりゃあ暑苦しくもなると言うもの。
見渡す限り野郎しか居ないのも、近衛隊そのものに女性が居ないとかでは無く、女性隊士達はこの熱気に付いていけなかったのだろう。
「オオォォォォッ!! 必・殺! 螺旋豪殺圧掌撃ィィィィッ!!」
なんか腕がドリルみたいに回転したかと思えば、掌部から衝撃波みたいのが炸裂した。
千影の振るった拳、その直線上に居た兵士達が紙屑のように吹き飛ばされる。
「出たぁぁッ! ドリルの如く回転させた掌打に、『腕部武装化』で作り上げた圧力砲の威力を上乗せした必殺の一撃!!」
「うおーッ! 凄過ぎるぜ師匠、流石は勇者様にして俺達の師匠だーッ!!」
「あ、あれ……なんか、感動のあまり涙が……畜生、前が見えねえ……!」
「センセイィィィィィ!! セェェェェンセェェェェイッ!!」
「よし、次行くか」
もう突っ込むのも甚だ面倒になったらしく、死んだ魚の目で夜行は踵を返した。
本人が楽しければそれでいいじゃないか。これから先の付き合いを多少考えさせられる変貌振りだったが、一応元気なのは確認できたからよしとしよう。
「ドリル! 砲撃! ロケットパンチ! これぞ男の花道、至高の浪漫! 浪漫サイコォォォォッ!!!!」
「「「「「サイコォォォォォォッ!!!!」」」」」
「はいはいロマンロマン。俺はもう突っ込まないから好きにやってくれ」
むさくるしい歓声を背の向こうから感じつつ、次へと向かう夜行。
……果たして他のクラスメイト達は、大丈夫なのだろうか? 大丈夫であって欲しい。
異世界に来て、2週間。
俺の親友は、どうやら頭のネジが外れてしまったようです。
家のリフォームを頼んだら、何故か巨大戦艦に改造されていた。
千影との対面でそれぐらいの衝撃を受け。そしてその容認しがたい事実に頭を抱えながら、今度は雅近の元へと向かっていた夜行。
クリュスより伝え聞いた彼の所在。宮殿敷地内中央部に位置する本殿、その四方に陣取った4つの別殿のひとつ、『魔術殿』。
本殿東側に建てられた此処は、文字通り宮殿勤務者の中でも魔法や錬金術などに関連した者達の所属する部署であり、夜行達が最初に召喚された場所でもある。
ちなみに残りの3つは『武術殿』『技術殿』『医術殿』と区分けされ、魔術殿を含めたこれらにはそれぞれ帝国将軍が配備、統括を任されている。
そんな俄仕込みの知識をふと思い出し、夜行が本殿から魔術殿に続く、やたらと長い上に大人5人は横並びで行けそうな渡り廊下を歩いていると。
「あ! ちょっとそこのアンタ!」
「……?」
彼の向かう先、つまり魔術殿側から渡り廊下を走ってきた見知らぬ少女に、突如呼び止められる。
夜行は一応軽く周囲を見回すが、近くには誰も居ない。呼ばれたのは、自分で間違い無いらしかった。
「……何か?」
「ちょっと聞きたいんだけど、バカチカ――じゃない、マサチカの奴を見なかった!? あのバカ、アタシが少し目を離した隙に逃げ出して!」
「あー」
爪を噛み、地団駄を踏むような勢いの少女とは裏腹に、心の底から安堵する夜行。
もし千影のような変貌を遂げ、あの怠け者が例えば働き者にでもなっていたらどうしようとの不安を抱えていたけれど、杞憂に終わってくれたらしい。
この様子だと、異世界だろうと何処だろうと、彼は平常運転のままだろう。ホッと息を吐く。
「いや、俺も今からマサの顔を見に行くとこだったんでね」
「そう……今度と言う今度は、見付けたらタダじゃ置かないんだから……!」
どうやら雅近の逃亡、今回が初犯ではないようだ。まだほんの2週間しか経っていないのに、一体何度逃げ出したのか。
口振りから察するに恐らく彼の指導役か目付け役、或いはその両方だろう夜行達とそう変わらない年頃の少女。彼女の肩が小刻みに震え、怒気を滾らせている姿を見遣れば、まあ察しはつくが。
しかし見渡す限りむさ苦しい野郎共に囲まれていた千影とは一転、雅近の方は随分と可憐な指導者が付いているようで。
やはり訓練、鍛錬、修行と言えど華は欲しい。その辺眼前の少女なら、華としての水準を充分に満たしていた。
ツインテールに纏められた、ボリュームのある鮮やかなブロッサムピンクの髪。スレンダーな体型に、やや吊り上がった目付きが特徴的な整った小顔。
レースが付いたブラウスの膨らみは……少々物足りないが。好みは人それぞれだし。
「時間取らせて悪かったわね! もしバカチカを見付けたら教えて! て言うか、とっ捕まえて大声で叫んで!」
言い終えるか否かの内に、少女はもう走り出していた。
その背に向け、「善処はするよー」と手をひらひらさせながら返す夜行。
「苦労してるなぁ……て、名前聞いてなかったわ」
台風とまでは言わないが、強風のようにやって来ては過ぎ去った為、すっかり忘れていた。
が、雅近の指導役ならいずれまた会う機会もあるだろう。自己紹介はその時でいいかと、夜行は軽く両肩を上げる。
さて。7人唯一の魔導師である雅近が居ないのなら、魔術殿に行く用はない。
彼の所にはまた日時を改めて顔を出せばいいかと思い、踵を返してもと来た道を戻る。
「にしても、異世界ってのは美人が多いな。姫さんもロリ入ってるけどあと3年も育てばいい具合だし、綾崎さんだって――」
「ホイットニーです、ヤコウ様」
突然耳元で囁かれた声に飛び上がりそうになりながら、弾かれるように振り返る夜行。
するとそこには、直前まで人影も見当たらなかったにも拘らず、ずっと居たと言わんばかりに佇んでいたホイットニーの姿が。
「はい!? いつから居たの綾崎さん!?」
「ですからホイットニーです。鼓膜を舐るような声音で、そうお呼び下さいまし」
「だからどんな声!?」
彼女は相変わらずの開いてるか閉じてるかもよく分からない糸目でじっと夜行を見ると、やがて優雅な仕草で一礼し。そしてそのまま、魔術殿の方へと歩き去って行く。
何と言うか、謎な人であった。
「キャアァァァァッ!」
雅近とはニアミスして会えなかったので、ここからだと誰が1番近かったかなどと考えながら、夜行がぷらぷら歩いていると。
突如何処からか、絹を裂くような女の悲鳴が聞こえてきた。
なんだなんだと駆け出し、悲鳴の出所へと向かう夜行。
廊下の突き当りを曲がってみれば、声を上げたと思しき若いメイド。そしてその傍らには男の影が。
まさか昼間から猥褻行為に走るような馬鹿でも居たのかと思い、すぐさま助けに入ろうとした瞬間。
「イヤァァァァッ!!」
「ぐべっ!?」
叫ぶメイドの放った蹴りが、男の鳩尾に突き刺さった。
「寄らないでッ!!」
「ごば!?」
そしてそれだけには留まらず、更に顎を蹴り上げる。
その凄まじい威力に、男の身体が宙へと浮いた。
「このこのこのこの! このッ!!」
「あぶびばぼばびぶ」
浮かせたまま空中コンボ。一介のメイドに出来る芸当とは思えない。
彼女は元格闘チャンプか何かなのだろうか。
「助けてぇッ! イヤァァァァッ!!」
「台詞と行動が欠片も噛み合ってないんだが」
ぼそりと呟かれた夜行のツッコミなど耳に届いていない様子で、メイドはトドメとばかりに後ろ回し蹴り。
吹き飛ばされ、壁に叩き付けられる男。此処まで来ると、もうどっちが被害者なのかよく分からない。
メイドはキャーキャー叫びながら、一瞬姿がブレて見えたほどのスピードで逃げ出した。
DEX&AGI特化の夜行が、本気で走るのとほぼ変わらない脚力。彼女は本当にメイドなのだろうか、メイド服を着ているだけの格ゲーキャラではなかろうか。
期せずして、ボコボコにされた男と2人残されてしまった夜行。放っておくのも気分が悪いと、壁に埋まった男に近寄る。
そしてよく見ればその男、思いっきり顔見知りだった。
「…………何やってんだ、お前」
「お、おぉ……その声、戌っちか? 顔ヘコんでて前が見えねえ……助けてくれぇ」
柳本平助。スケベでお調子者で脳内の8割がエロスで埋め尽くされている、夜行同様勇者となったクラスメイトの1人。
思わぬところで2人目と遭遇を果たしたワケであるが、もう少しマシな状況で会えなかったものかと、夜行は溜息と共に額を押さえるのだった。
「いやー助かった! 俺っち、あのまま壁の装飾として未来永劫観賞されて行くさだめかと思ったぜ!」
「著しく景観を損ねるから、それは無い」
壁にめり込んだ平助を引っ張り出し、再度溜息を吐く夜行。
その表情は、けらけらと能天気に笑う眼前の馬鹿に向けた呆れで占められていた。
「何したのお前? 聞かなくても大体分かるけど」
「それが聞いてくれよ、酷いんだぜあの子! 俺はただパンツの色を聞いて、その後おっぱい揉ませてくれって頼んだだけなのに!」
「…………」
そりゃ蹴られもする。そりゃあ空中コンボを決められもする。
壁にめり込ませられたって、何の文句も言えない。
軽く頭痛を訴えてきた頭に、夜行はもう溜息を吐く気にもなれなかった。
千影の時はそのあまりな変貌振りに絶句したが、平助の場合微塵も変わらない平常運転なことに、かえって閉口してしまいそうだった。
何せこの男、日本で極普通の高校生活を送っていた時からこんな感じなのだ。
エロスの権化、女の敵。クラスどころか学年女子全員のスリーサイズを把握し、体育の際に着替えを覗こうとするなど日常茶飯事。
だから今更何をしようと、夜行とて呆れはしても驚くことなどなかった。
「で、断られたから自分で確かめようと思って、スカート覗こうとしたら蹴られた。酷いぜ全く」
「逆に聞くが、なんで蹴られないと思ったんだお前」
寧ろ蹴りで済んだのは幸いだと思えるレベルだった。
日本で同じことをやったら、5分後には両手が後ろに回ってる。
「仕方ないから、今度は技能で気配を消してこっそり覗こうと思う」
「……お前にその技能を与えたことは、神の行いの中で最大級の失態だよ」
平助のクラスは『暗殺者』。夜行と同じくDEXとAGIに特化したクラスで、『気配消失』と言うクラス技能を有している。
本来はそれを用いて敵対者の懐に潜り込んだり、情報収集に役立てたりするのだろうが……彼がどんな使い方をするのか、そう考えただけで夜行は頭痛が酷くなりそうだった。
潜り込むのは懐でなくスカートの中、集める情報は女性陣の入浴時間。そんなところだろう。
「無論のこと、網羅してるぜ! 昨日は委員長と鳳龍院さんが一緒に風呂入っててさあ……天国があるんなら、きっとあんな光景だと思うんだ俺っち」
「だとしたら天国とやらは、生きてる間が見納めだな。お前はきっと地獄行きだ」
既に覗いているらしかった。平助の顔はその時のことを思い出しているのか、緩みきっていてぶっちゃけ酷い。
どれぐらい酷いのかと言えば、写真に撮られて後々見せられたら首を吊りたくなるぐらい酷い。
「ぐへへへへへへ……目に焼き付いたあの光景、少なくとも1ヶ月は困らないよマジ」
「その顔を止めろ。そして俺から少し離れろ、知り合いだと思われたくない」
最早性犯罪者を絵に描いたような面構えになっていた。これがクリュス曰く戦争の切り札である勇者の1人なのだから、救われない話である。
とは言え、平助が一応ギリギリの節度を持って行動していることは夜行も知っているので、本気で洒落にならないことはしないだろうと何となく信用してはいたが。
平助は職員室への呼び出しや、反省文を書かされることはしょっちゅうであったが、停学や謹慎などを食らったことは一度も無い。
最悪の一線は守る、それと偏に彼の持つ奇妙な人徳の賜物だろう。覗きなどの被害者である女子生徒達でさえ、最後には「まあ、柳本だし」と勘弁してしまうのだから。
馬鹿でスケベでお調子者、オマケに品性の欠片も無いが、不思議と憎めない奴。
千影や雅近とは違い付き合いこそ長くないけれど、そんな評価を下して夜行は平助とそれなりに親交を持っていた。
「ん? おっと、こうしちゃいられねえ。そろそろ美作さんが日課の素振りをする時間だ、たゆんたゆんと揺れるおっぱいを拝みに行かなければ」
しかしこう平常運転過ぎると、逆にそれが凄いとさえ思えてくるから不思議である。
無論少し考えれば、全くの勘違いだと結論できるのだが。
「……お前まさか、この2週間そんなことばっかやってたのか? 訓練どうしたんだよ」
「ッ……」
訓練。その単語を聞いて、平助の顔から表情が消える。
お調子者だけにコロコロ表情を変える彼が、そのような姿を見せるのは珍しいことだった。
ふと夜行は考える。暗殺者に課せられるだろう訓練、と言うものを。
自分は未だ不明だから除外するにしても、彼の持つクラスは6人の中で最も『殺し』に直結する。
影に潜み、闇の中で蠢き、音もなく標的を殺す。そんな才能を与えられてしまった平助の行う訓練は、きっと苛烈で血生臭いものだ。
『勇者』と言う題目を背負い、戦争に参加することを約束した夜行達。いずれは通らなくてはならなくなる血塗れの道を、一足先に平助は歩んでいるのだろう。
だからこそ、こんな風におどけて自我を保っていたのかも知れない。
もしそうだとしたら、自分はなんて軽率だったのだろう。
軽はずみにも程がある発言で、友人を苦しめて――
「俺以外の暗殺者、全員男だから行きたくない!」
全くの勘違いだった。
平助は所詮、何処に行っても平助であった。
「縛り上げて技術殿まで引っ張ってくぞ、お前」
「やだいやだい! 俺っちはエロい女スパイ的な感じの指導員を期待したんだ! なのに蓋を開けてみれば、指導員どころか諜報部の殆ど全員が男なんだもん! そりゃ乳揺れのひとつも拝まなきゃやってらんないし!」
年甲斐もなく床に転がり、じたじたと手足をばたつかせて駄々をこねる平助。
そんな彼の姿を、夜行はゴミ虫でも見るかのような冷めた目で見下ろしていた。
「む、こんな所に居たぞ」
「捕らえろ! 抵抗するようなら麻痺毒を使っても構わん!」
数分後、騒ぎを聞き付けた諜報部の者達が現れ、平助は呆気無く捕獲される。
「ギャース、見付かったー! そして捕まったー! 戌っちヘルプ、ヘールプ! ダチが売られた仔牛だぞー!!」
「申し訳ない、恥ずかしいところをお見せした」
グレイを髣髴とさせる両腕を抱えられた姿勢で、数人の男達に運ばれて行く平助。
無論夜行にそれを助ける気概などこれっぽっちも無く、ご苦労様ですとばかりに男達へ頭を下げる。
「裏切り者ー! 呪ってやるー! ドナドナドーナー!」
往生際が悪いとは、まさにあのようなサマを指すのだろう。
本人の言葉通りに売られた仔牛よろしく、平助は訓練に戻されるのであった。
「…………」
親友が思いもよらぬ変貌を遂げていたかと思えば、少しは心改めろと常々思っていた輩は何ひとつ変わらない。
世の中とは、無常である。
場所は変わり、宮殿北側『武術殿』第1練兵場。
帝都に勤める兵士や警備隊の大半が所属する武術殿に設けられたこの練兵場は、当然利用者もそうした者達が中心になる。
それ故、経験と実績を兼ね備えた近衛兵の集まりであった第3と比べ、圧倒的に若者が多い。
……だからこそ、この光景は余計に目の毒なんじゃなかろうか。
木陰で幹に背を預けながら、夜行はそんなことを思っていた。
「――ふっ!」
彼の視線の先に居るのは、1人の少女。
綺麗な濡れ羽色の長い髪を細いリボンでポニーテールに纏めた、小柄な身体つき。
どこか陰の差した印象がある顔立ちは真剣な表情に彩られ、無心に刀を振り下ろしている。
美作サクラ。高校3年になって初めて同じクラスになった彼女のことを、夜行はよく知らない。
口数は少なく、あまり親しそうにしている友人も見当たらず。部活も何かやっていると聞いたことは無かった。
成績も運動神経も良いけれど、どちらもトップクラスに1歩及ばないレベル。まじまじ観察すれば整った容姿だと気付くも、それだってクラスで3番目か4番目程度。
つまり、どのスペックも上の下から上の中止まり。
全体的に見れば充分に優秀なのだろうが、目立つような決定打に欠ける少女。
ついでに、少し変わり者。
とある事情でポニーテール女子が苦手な夜行は、積極的にサクラと対面して会話することをどこか無意識に避ける傾向があり。
だから当然、彼女とはさほど親しいワケでもなく。精々が数度言葉を交わした事が程度の関係でしかない彼女に、ぼんやりとそんな印象を抱いていた。
……が、しかし。
視界の先に映る彼女の姿を見て、彼はそれが間違いであったと気付く。
「――ふっ!」
たゆん。
「――ふっ!」
たゆん。
「最早凶器だろ、アレ……」
サクラが刀を振り下ろす度に大きく揺れる、胸。
学校では、制服もジャージもぶかぶかな物を着ていた為に気付かなかったが、彼女はその小柄さとは不釣合いなまでの巨乳だった。
恐らく服を身長に合わせると、胸がつかえてとても着れたものではないのだろう。
夜行は以前に躑躅のサイズはDだと平助が言っていたことを思い出し、そしてその彼女より大きいことは目算でも明らかで。
EかFか、はたまたそれ以上か。あのスケベが訓練をサボってまで拝みに来ようとしていたこと、得心の行く胸部装甲だった。
そして何より、格好が不味い。
自身の持つ『侍』のクラスに適した装備として着用しているのか、サクラの衣服は和装。
無論異世界ゆえ、正確には少し違うのであろうが、少なくとも見た限りでは日本の着物と大差ない代物で。
それだけなら別になんでもなかったのだけれど、サクラはあろうことか本来なら上に着込んでいるだろう羽織を脱ぎ、畳んで足元に置いていたのだ。
袴と薄襦袢。そんな格好で刀を振り、しかもどうやら襦袢の下には何も着ていないらしく。
結果、揺れる。薄手の布の下、これといって固定もされていない胸は大層揺れる。
オマケにサクラの持つ刀は、野太刀。大太刀とも呼ばれる刃渡りだけで1メートル近くあるような物を振り回していれば、更に拍車がかかって揺れる。
もう目の毒以外の何物でもない。現に彼女の一定距離は全体を見渡して不自然なほど人口密度が高く、顔を赤くした若い兵士達がちらちらと視線を向けている。
気持ちは理解できるが、思わず溜息を吐いてしまう夜行。
「ぐへへへへへへ、たまりませんなぁ」
「何で居るんだお前」
ふと気付けば、諜報部の方々に連行された筈の平助の姿が。
ゲスい笑みを浮かべた彼は、サクラに視線を向けたまま親指をグッと上げる。
「誰にも俺っちの迸る衝動は止められないぜ! 全員麻痺毒で動けなくしてやった!」
「…………」
エロスの為、仮にも指導者に麻痺毒を打つ。これが勇者のすることだろうか。
そろそろ呆れることにも疲れてきた夜行。その肩に、平助がポンと手を置いた。
何だと思って横を見る。
「にしても、戌っちもやっぱりオトコノコですなぁ。お主も好きよのう好きよのう」
「殴る」
振りぬかれた拳。めり込む顔面。
少し前の焼き回しが如く、前が見えねえと騒ぐ平助。
だが夜行は謝らないし、後悔もしない。それ以上に、この男に同類扱いされたことが不愉快極まりなかった。
「……?」
そんな騒ぎに気付いたのか、素振りの手を止め夜行達の方を見遣るサクラ。
そのまま鞘に野太刀を収めると、少しばかり荒くなった呼吸を整えながら歩み寄ってくる。
「戌伏……此処に来るなんて、珍しいわね……何かあった?」
淡々とした、抑揚に欠ける口調。
いつも通りなその仕草に、夜行は少し口角を吊り上げて。
「なに、そろそろ一度皆の顔でも見とこうと思っただけだよ。どうだ、調子の方は」
夜行の問いに、サクラは一瞬考え込むように中空を眺め。
数拍の間を置いた後、「まあまあ」とだけ短く答えた。
次いで彼女は夜行と、そして陥没した顔面を押さえ呻いている平助を順番に見遣り。
――何故か、頬を赤らめた。
「……もしかして、私……お邪魔、だった?」
「は?」
サクラの言っていること、その意味が理解できず目を点にする夜行。
邪魔とは一体何のことか。そもそも夜行はクラスメイト達の様子を見て回っているのに、その対象者であるサクラに話しかけられて邪魔なワケが無い。
「違うの……? ……残念」
「???」
更に僅かながら落胆した様子で呟かれた言葉により、益々夜行は混乱する。
何が邪魔で、違うと残念とはどう言う意味なのか。言葉の真意、と言うか意味が繋がっていない。
思えば学校に居た時もそうだ。時折熱心に観察するような視線を向けられたり、よく分からない質問をされたり。
夜行が雅近や千影と話している際、こちらを見ながら凄まじい勢いでペンを走らせていたこともあったし、「戌伏×伊達」だの「鬼島……三角関係」とか、意味不明なことを呟かれたりもした。
サクラに対する印象として、少々変わり者だと夜行が思っているのは、時折見るそんな奇行が故であった。
「……よく分からないが、まあいつも通りみたいで安心し……た……――」
苦笑気味な夜行の言葉尻が、ふと萎む。
そこから徐々に表情が消えて行き、じっとサクラを見つめる。
そんな顔と視線を向けられた彼女は、首を傾げながらもどうかしたのかと尋ねようとして。
しかし口を開く前に、夜行はサクラの脇をするりと通り抜けて行ってしまう。頭に疑問符を浮かべたまま、サクラはその背を目で追った。
彼はサクラが素振りをしていた位置まで歩くと、彼女の物である羽織を拾い上げて戻ってくる。
「……着ろ」
「?」
差し出された羽織。しかしその真意が分からず、首を傾げるばかりのサクラ。
直に業を煮やした夜行が、顔を横に逸らしながらぼそりと呟いた。
「透けてる」
「え……?」
「汗で襦袢が透けてるんだよ! さっさと着ろ!」
遠目では分からなかったけれど、薄地の布で作られた彼女の襦袢は汗で濡れ、透けてしまっていて。
その結果、本来見えてはいけないものが浮かび上がっていたのだ。
「? ……ッ!? あ、や、やぁっ!?」
指摘され、一瞬遅れて夜行の言わんとしたことに気付いたサクラ。
耐え難い羞恥にぼっと顔を火がついたと見紛うほどに真っ赤にさせ、ひったくるようにして夜行の手から羽織をもぎ取り、前を隠す。
「あー!? 戌っちバカヤロー、何で教えちまうんだよ!? せっかく美作さん気付いてなかったのに!!」
そこでちょうど顔面陥没から復活した平助が、大ポカやってくれたなとばかりに声を張り上げ、夜行を攻め立てた。
まさかと思いながら、夜行は口元をひくつかせて彼に問う。
「……お前、気付いてて黙ってたのか?」
「ったりめーだろうが! みんな暗黙の了解で黙ってたのに、なんてことを!!」
最低だった。分かってはいたが、この男最低であった。
そして平助の口振りから、どうやらここに居る者達も気付いてはいたらしい。
近くの兵士の1人を見てみれば、誤魔化すように顔を逸らされた。
何やってんだこいつ等とばかりに、頭を押さえる夜行。
この世界に来てから、何かと頭痛を覚えたり溜息を吐いたりすることが格段に増した彼である。
「どうしてくれんだ、折角のパラダイスを! 責任取れ!」
今にも男泣きしそうな勢いの平助。最早ドン引きでも足りないくらいだった。
あと。そんなことを言ってる暇があるのなら、他にもっと優先することがあるだろうと。
視界の端で肩を震わせる少女の姿を見遣りつつ、夜行はかぶりを振る。
「……それより俺は、逃げるか謝るかした方がいいと思うけどな」
「へ?」
しゃりん、と。金属の擦れるような冷たい音が、静かに周囲へと響いた。
それと同時に、肌がひりつくほどの凄まじい怒気が溢れ出る。
出所は無論のこと、俯きながらも野太刀を握ったサクラからで。
――ああ。どうやら、手遅れらしい。
「戌伏。巻き込まない自信、無いから……向こう行ってて……!!」
「……は、はい。分かりました」
自分に向けられたものでないにも拘らず、思わず震えて敬語になってしまった夜行。
そして言われずとも、5秒後には惨劇の舞台となるだろうこんな所に居られるかと、脱兎の勢いで駆け出した。
「有罪、有罪、有罪……この場に居る奴は全員ギルティ……」
「え? いや、ちょ、戌っち!? ヘルプ、ヘールプ! ダチが絶体絶命、イッツ風前の灯ィィィィッ!!」
自業自得なバカの叫びを筆頭に、轟き響き渡る阿鼻叫喚の悲鳴。
後ろを振り向いてそれを見遣る勇気は、夜行には無かった。
「去勢して、同性しか愛せないようにしてあげる……くふ、くふふふふふふ」
ぼそりと聞こえてきた世にも恐ろしい刑罰に、背筋が凍りつく。
夜行にしてやれたことは、両手を合わせて彼等の冥福を祈ることのみであった。
ついでに今回の教訓。
理屈云々問わず、女性を怒らせたらダメ、絶対。
『技術殿』、中庭広間。
昼下がりの空模様は青々として、雲ひとつ無く。
静かにそよぐ風の音が、優しく耳を撫で上げる。
くるくる、くるくる、くるくると。
差した日傘を手に弄び、柔く微笑む少女が1人。
肌を包むドレスの色は、彼女の名前と同じ色。
刺繍ひとつの飾り気さえ無い、それ故に。清廉と言う名の目に見えぬ飾りを纏った、その少女は。
倒れ伏し蠢く、死屍累々の中心に立っていた。
「ふふふ……」
淡い赤に色付いた唇を、慈悲深い笑みへと形作り。
手近に居た、倒れた男の顔を覗き込むように、鳳龍院躑躅は腰を曲げる。
「痛そう……だいじょうぶ?」
この言葉だけを聴いた者が居たとすれば、ただ怪我人の身を案ずる優しい少女の言葉だと思うだろう。
そして、ほんの15分前にこの場で起きたことを知る者が今の言葉を聴いたなら、口を揃えてこう叫ぶだろう。
自分でやっておいて、どの口が言うのか、と。
「ふ、ふふ、ふふふふふ……」
躑躅の唇より紡ぎ出される笑み声が、徐々に艶を含んだものへと変わって行く。
それに応じるかの如く、頬に差した赤みも増す。瞳に宿った光は揺れ、とろりと目尻が垂れ下がる。
やがて聖女を思わせるかの笑みは、まるで男を誘う遊女の如き蟲惑に転じて。
その表情を近くで見遣った倒れる男は、思わずごくりと喉を鳴らした。
「――みっともなぁい」
甘い、蜜を吐き出すかのような声音。
とろとろに蕩けきった声を奏でながら、躑躅は笑う。
「オトコが10人がかりで。アタシみたいな、か弱ぁい女の子に負けちゃうなんて」
ぺろり。
舌先で舐められた彼女の唇が、より一層の艶を持つ。
その唇で以って、躑躅は甘く甘く男達をなじる。
「どんな気分……? ねぇ……今、どんな気分? 毎日毎日剣を振って身体を鍛えて、この国を守る為に積み重ねてきた努力が。精々ピアノを弾くぐらいしか出来ないこの指に、ちょんって突付かれただけで崩れちゃうのって」
辺りを見渡し、倒れ動けない男達に問う躑躅。
普段の優しく温和な彼女を知っている者には到底信じられない、心を抉るような言葉。
――が。鳳龍院躑躅にとって、その皆が知る普段こそ偽りであった。
良家の子女として産まれ、何ひとつ不自由なく育ち。
おしとやかで心穏やかな女性になるべく両親恩師から教えを受けた彼女は、しかしある悪癖を抱えていた。
彼女がそれをハッキリと自覚したのは、齢11の時。
学校で怪我をしたクラスメイトを、当時保険委員だった躑躅は保健室に連れて行った。
けれど間の悪いことに、養護教諭がちょうど席を外していて。
幸い薬の場所は知っていたので、そのクラスメイトの手当てをする躑躅。
怪我と言っても膝を擦り剥いただけで、消毒液をかけ絆創膏を貼る程度の簡単な作業だった。
消毒液を傷口に垂らすと、痛いと涙目でクラスメイトが喚いた。
当然だ。消毒すれば多少は染みるし、幼い子供なら小さな痛みも中々に耐え難いもの。
そしてその姿を見て……躑躅はふと、ある衝動に包まれる。
――高揚だった。眼前のクラスメイトが、自分の手による行いで痛みに喘ぐ姿。
そんな姿に、興奮を覚えていることに気が付いたのだ。
無論最初は気のせいかとも思ったけれど、それからも似たような出来事が幾度も重なり、躑躅はそれが気のせいではないことを悟った。
嗜虐趣味。優しい外見や仕草とは裏腹に、他人を甚振り痛め付けることで快楽を享受する。
鳳龍院躑躅は、そんな悪癖を抱えて産まれた少女だった。
更に幸か不幸か、彼女は自分のそんな感情が異常であると理解していた。
しかし、生まれ持ってしまった性癖を治すことなど出来ず。苦心の末に次善の策として彼女が採ったのは、偽ること。
心の裏側に闇を隠し、誰もが思う優しいお嬢様としての姿を演じた。反動として闇もどんどん大きくなる一方だったけれど、上手く抑え込んでいた。
親や友人へ向ける親愛には一切の偽り無い彼女にとって、その愛する者達に自分の本性を知られ拒絶されることは、何より恐ろしかったから。
だが、それも永劫には続けられない。
どれだけ耐えたところで、膨らみ続ける風船は……いつか割れ、飲み込んだ全てを爆発させる。
故に。躑躅がこうして異世界の勇者として召喚されたことは、彼女にとってある種この上ない僥倖であった。
訓練と称し、どれだけ相手を虐めても咎められない。何をしても。
自分の行いは決して口外しないよう、こうして今倒れている輩を含めた関係者各員には厳重に言い含めてある。クラスメイト達に、夜行に、この行為が知られることは無い。
最高だった。誰かの困った顔も、泣きそうな声も、傷付いた姿も、何もかもが躑躅を高揚させる。
異世界ならば、何をしたところで帰ってしまえばそれまで。どんな悪評も、同じクラスメイト達にさえ知られなければ消えて無くなる。
報酬など要らない。仮にも良家の生まれである彼女は元々金銭の悩みなどとは無縁だし、食事にだって充分満足している。男遊びなんてものをする気も、今のところは無い。
他人の身も心も踏み付けに出来る異世界と、それを力尽くで行うことの出来る勇者の資質こそが、躑躅にとって何にも勝る報酬だったのだから。
「ホント、弱ぁい。すっごく――情けなぁい。どんなに頑張っても、アタシの指ひとつで組み伏せられてぇ……」
言葉の途中で、男の上に腰掛ける躑躅。
悦楽と興奮により頬はすっかり上気し、息も荒く熱く成り果てていた。
「こうして、椅子にされるしか能の無い、ブタにも劣る劣等種……生きてて恥ずかしくないの、ねぇ? 女の子のオモチャにされて、悔しくないのぉ……?」
「あぐぐ……ッ!」
形の良い爪を立て、男の背中を引っ掻く。
誇りも尊厳も踏み躙られ、弄ばれた男の顔は、痛みと屈辱に歪んで――
「あ……ありがとうございますッ!!」
――は、いなかった。
寧ろボロボロな風体ではあるが、顔はこの上なく嬉しそうだった。
「て……手前、羨ましいぞこんちくしょう……」
「ツツジ様ぁ……どうか、どうかこの卑しいブタにもお仕置きをぉ……!」
倒れている他の連中も、躑躅に非難や恨みの目を向けている者など1人も居ない。
それどころか頬を赤らめる者、だらしなく顔を緩ませる者ばかりで。
……誤解の無いように言うと、躑躅は性癖こそ歪んでいるが常識に基づいた価値観をちゃんと持っている。
己の快楽が為に他人を傷つけることは決して許されないと分かっているし、だからこそそんな感情を隠し、耐えてきた。
今こうして彼女からの責め苦を受けボロボロになっている男達は、全員が躑躅の性癖を知った上で訓練の相手を志願した者。
つまり。生粋の被虐趣味共であった。
訓練と言う名目で、理不尽に、必要以上に痛め付けられているのではなく。
自分から踏み躙られたいと望んだ、言うなれば筋金入りの変態集団である。
「お願いします、ツツジ様ぁ……」
「我等にもご褒美を……!」
「ッ……」
方々から仕置きを懇願する声に、気分を害したのか。
躑躅は足元の小石を拾うと、適当な者の顔面にそれを投げ付けた。
「うべ!? っぐ、おぉ……美少女から与えられる痛み、たまらん……!」
「うるさいからぁ、黙りなさい。アナタ達の誰を痛め付けるかなんて、アタシが決めること。アタシは本でも読んでるからぁ、そこで無様に倒れてればぁ?」
そう言って男の背に座ったまま、この世界に召喚された際一緒に持って来ていた文庫本を広げ読み始める躑躅。
椅子代わりにされた男は恍惚の笑みを浮かべ、それ以外はと言えば気味悪く身悶えしている。
そんな混沌極まる光景だったが、まあ本人達が良ければそれでいいのではないだろうか。
鳳龍院躑躅。
彼女は異世界『大陸』に来て、存分に己が羽根を広げることが叶ったのである。
「鳳龍院さんは取り込み中か……まあ突然来たのはこっちだし、仕方ないかね」
今度は躑躅に会おうと技術殿まで足を運んだは良いが、肝心の彼女が忙しくて手が離せないらしく、会えなかった夜行。
申し訳無いとばかりに、頻りに頭を下げてくる職員を宥めた後。彼は宮殿の外、帝都を囲う門の外に出てきていた。
「さーて、委員長は何処かなーっと」
委員長……雪代九々は『スナイパー』のクラスを持つ為、訓練にも広い場所が必要となる。
一応宮殿内にも射撃場のような施設は設けられてはいるが、あれは主に弓兵の為のもの。射程において比べるべくもない狙撃銃の訓練には、少しばかり手狭なのだ。
それ故、練兵場ではなく都外で狙撃訓練を行っている九々を訪ね、こうして外まで出てきた夜行であったが。
「うひょひょひょひょ……本日のベストポジションはここだぜ……」
「…………」
2度あることは3度ある。
性犯罪者の顔で草むらの陰に隠れた怪しい男……平助の姿を見付けてしまい、げんなりする夜行。
女として恥をかかされ、修羅と化したサクラによる制裁を、どうやって掻い潜ったのか。
全身包帯塗れになりながらも元気そうな彼の元へと、一気に重くなった足取りで歩み寄る。
「……もうあんま聞きたくもないが、何してんだお前」
「すわ!? な、なんだ戌っちかよ脅かすなよ! 一瞬美作さんかと思ったじゃねえか!」
「逃げてきたのか。そして逃げながらも尚、こんな所で覗きか?」
「あたぼうよ! 鬼だろうが神だろうが、俺っちの心の油田で燃え盛る炎を絶つことは出来ないぜ!」
ぐへへへと笑いながら、堂々と宣言する平助。
何でもかんでも堂々と言えば格好が付くものではないが、意気込みだけは取り敢えず伝わってきた。
そして平助がここに居ると言うことは、彼の視線の直線上に九々が居ると言うこと。
しかし、狙撃訓練など見てどうするのだろうか。
「委員長って胸は控えめだけどよー、腰と脚のラインが最高にエロいんだこれが! しかも戦闘服がぴっちぴちのライダースーツみたいなやつで……かー! たまんねー!」
「本当にぶれないな、お前」
行動原理のほぼ全てがエロ。
こうまで欲望に忠実だと、きっと人生楽しいことばかりなんだろうなと夜行は思う。
思うだけで、尊敬したり真似てみようと考えたりすることは絶対にありえないが。
「エロい! ボディラインが浮き出て凄くエロい! エロ委員長サイコー!」
「……なあ、あんま騒いでると隠れてる意味ないんじゃ――」
「――ッ!!」
ぱしゅん、と小さな音が響く。
刹那、草むらの向こうから紫色の閃光が煌いたかと思えば、平助の身体が吹っ飛んで行く。
彼は断末魔の声を上げる暇も無く、吹き飛ばされた先にあった大木の幹に叩き付けられ、ずるずると地面にずり落ちる。
息は……あるようだが、意識は完全に失っていた。
次いで、ガサガサと音を立てて草むらから飛び出してくる人影。
夜行がここへ来た目的である探し人、雪代九々であった。
「柳本! やっぱりアンタだったのね、毎日毎日性懲りも無く!」
彼女は夜行に気付いていないのか、肩を怒らせて気絶した平助を睨み付け、肩に担いだ差し渡し1メートル近いライフルの銃口を向ける。
と言うか、案の定毎日覗きに来てたらしい。予想を全く裏切らない行動ルーチンに、最早呆れも湧いてこない。
「今度と言う今度は容赦しないわよ……まず気付け代わりにもう1発!」
白目を剥いた顔面へと、宣言通りに撃ち込まれる弾丸。
見た所、最初に撃ったものと同じ『衝撃弾』だろうから、命に別状は無いと思われるけれど。
「がふべ!?」
……命に別状は無いと思われるけれど。
「はぼっく!」
無いと思われる。
「ぶげら!」
命に別状は無い。多分。
「ホンットあの馬鹿には困ったものよ、全く」
水筒の水を直に呷りながら、つかつか硬い足音を響かせ歩く九々。
それに並行する夜行は、何とも言えないとばかりに両肩を上げた。
「性分だろ。どうにもならんよ、あれは」
「アレはそうやって周りが諦めるから付け上がるの。もっと厳しく行かないと」
厳しくしたところで暖簾に腕押しだ、と思いはすれど言葉にしない夜行。
言えば彼も説教を受けそうな空気だった。触らぬ神に祟りなし、である。
あの後、顔面が原形を失うまで撃たれ続け、ピクリともしなくなった平助。
それでもまだ撃とうとする九々に、流石にやりすぎだと夜行が止めに入ったのだ。
彼女はちょうど訓練を切り上げるところだったようで、こうして2人一緒に宮殿への道のりを歩いている。
その中で幾つか言葉を交わしている内、夜行の視線が九々の担ぐライフルに向けられた。
「中々イケてる銃だな。自分じゃ使えないのが残念だ」
「いいでしょ? 技術殿と魔術殿の人達が、私専用に作ってくれたオーダーメイドなんだから」
勇者として召喚された当初は一応最後まで反対派であった彼女だが、満更でもないらしい。
ショルダーストラップを軽く引っ張り、自慢するように銃を見せる。
ちなみに夜行は、この世界の銃を使うことが出来ない。
何故かと言えば、『大陸』の銃は全て半魔具……魔力を用いて扱う兵器だからである。
実弾ではなく固めた魔力を銃弾として撃ち出す為、威力や射程、弾の種類を瞬時に切り替え扱うことが可能。
火薬を使わないので汚れにくく、メンテナンスも地球の銃より遥かに簡単なつくりとなっている。
つまり、魔力の無い者には使えない。
オマケに使用者の体質に合わせた微細な調整も必要で、コストがかかり過ぎてそうポンポンとも作れない。
その代わり、射程も威力も弓とは比べ物にはならず、多数の弾を使い分けた幅広い戦術が取れる。
優等生の九々には適した武器かも知れないが、夜行にはあらゆる意味で扱えなかった。
MPゼロ。魔力拒絶体質。しかも勇者7人中6番目と、千影の次に残念INT値。
そして実は夜行、そこそこ賢そうに見えて学校では赤点補習の常連組だった。成績だけなら平助より悪い。
「はぁあっと……強力な武器防具も、魔力拒絶と金属アレルギーのせいで殆ど装備できないし。クラスなんて未だ不明ときたもんだ……こんなんで戦えるのかね、俺」
「私としては、寧ろ戌伏君には回復に特化したクラスであって欲しいけど」
少し苦笑気味にそう言った九々へ、首を傾げた夜行が問い返す。
「……なんで?」
「他に誰も居ないから」
雅近。クラス『滅魔導』、魔法使いの中でも『殲滅』に一点特化した後衛戦闘クラス。殲滅魔法しか使えない。
千影。『機甲将軍』、ガチガチの前衛戦闘クラス。本人も脳筋化進行中。
サクラ。剣士系の中でも極東の島国、『ワコク』に住まう者だけが発現するクラス『侍』。当然前衛の戦闘クラス。
平助。奇襲暗殺に特化した『暗殺者』、中衛戦闘クラス。
躑躅。夜行は中衛戦闘クラスとしか聞いていない。『強奪者』。
そして九々。後衛戦闘クラス『スナイパー』。
回復系どころか、下手すれば補助系まで1人も居ない有様であった。
「偏り過ぎだろ……」
「ねぇ?」
今度は2人して苦笑しながら、陽もだいぶ下がってきた空を見上げて。
それからとりとめの無い談笑を交わしつつ、宮殿へと帰って行った。
「誰か……助けてくりぃ……」
殺傷性の無い『衝撃弾』とは言え、散々撃たれてほうほうの体である平助。
彼のそんな微かな呟きは、当然ながら誰の耳にも届かなかった。
約5秒。
この数字は、夜行が今現在キャベツひと玉を千切りにするまでの所要時間である。
「よっ」
17口。
夜行が同時に調理作業を行うことの出来る、魔力コンロの数である。
「次ッ」
魚を三枚におろし、包丁を宙に投げ、その間にフライパン上で脂を弾けさせる肉を返し、背後を見もせずに手だけ伸ばし、煮込み中のシチューにかけた火を弱める。
投げた包丁が重力に引かれ落ちてくる前に、そんな一連の動作を行い。今度は手元の台に置いてあった玉葱と人参をひとつずつ片手で掴むと、それもまた宙に放って。
入れ替える形で再び包丁を手に取り、視認さえ出来ない太刀筋で以って玉葱と人参をそれぞれ微塵切り、銀杏切りに捌く。
空中で捌かれたそれ等を火にかけていた鍋を掴み、その中に落とし。
鍋を再びコンロの上に戻し、調理台に拳を叩き付けた。
拳の衝撃で浮き上がる、つい数秒前におろされた魚。
血が滴るようなレアに焼き上がった肉を皿に移し、一瞬遅れて放物線を描いた魚の身が熱いフライパンへと収まった。
それとは別に、アラと頭がフライパン横の同じく火にかけられた網の上へと落ちた姿を見遣りもせず、夜行は皿の上の肉にグレービーソースをかける。
「レアステーキ上がり! あと18秒でから揚げも頃合いだ、油切りの用意しとけ!」
「ハイ、料理長!」
「料理長! クリュス皇女殿下が第1波の料理を全て食べ尽くしました! お代わりを要求しています!」
「チッ……やっぱ懐石御膳だけじゃ話にならなかったか、昼に満漢全席も食っておきながらなんつう食欲! 第2波の全メニュー完成まであと61秒、それまでそこに転がってる余ったリンゴでも食わせとけ!」
指示を出しながらも、夜行の身体は淀みなく動き続ける。
網上のアラと頭に塩をふりかけ、オーブンを開きベストタイミングで仕上がったアップルパイを取り出す。
クラス『暗殺者』である平助にも並ぶ敏捷性と、そのスピードを完璧に制御する技巧力。
そしてこの短期間でLv.5からLv.7へと成長した『料理技能』があるからこそ、可能な動作。
スピーディーにしてリズミカル、華麗にして峻烈。調理と言うよりも、曲芸染みた道具捌き。
これが異世界の勇者が成せる業なのか。調理場に立つ彼の姿を見た者は、誰もがその言葉を口にする。
そして夜行の技量を間近で目にした者達は、さながら踊るかの如き動きになぞらえ、単なる『料理』に収まらないその技能を、こう呼んだ。
――『舞踏調理』、と。
『腹八分目ってとこですね』
100人前近くあるんじゃないかと思えるほどの量を完食した後、クリュスが口をナプキンで拭きながら呟いた言葉である。
あの腹ペコ皇女の胃袋は冗談抜きでブラックホールに繋がっているか、胃液が濃硫酸なんじゃないかと疑いながら、妙な敗北感を抱え夜の宮殿内を歩く夜行。
魔力に反応して発行する鉱石により、夜間でも建物内は割と明るい。
便利なものであった。
「……ん? なんだ、そこに居るのは夜行じゃないか」
「あ、マサ」
特に行き先もなくぷらぷら歩いている内、辿り着いたのは本殿中庭。
そこには、夜行が昼間に会えなかった雅近の姿があった。
噴水近くに植えられた大樹の根元へと腰掛ける彼の傍に歩み寄ると、ポンと隣を叩かれる。
座れと言うことだろう。
「ここは気に入りの場所なんだ。あまり人も来ないし、夜は星がよく見える。暇さえあれば、ここでずっとぼーっとしてる」
「成程。てか、暇がなくてもぼーっとしてるんだろ? 今日マサの顔を見に魔術殿まで行こうとしたら、ピンク髪の子が探し回ってたぞ」
「……ああ、テスラか。彼女はいちいち口喧しくてかなわん」
煩わしげに眉間を歪め、かぶりを振る雅近。
「やれ真面目に訓練を受けろだの、やれサボるなだの寝るなだの。全く以って鬱陶しい」
「ちー君とかヤナギよりは、随分恵まれた環境だと思うけどな……そう言えばマサ、ちー君に会った?」
「……昨日、な。何があったんだ鬼島の奴、改造手術でも受けたのか?」
「いや、それは流石に……いや……」
割と真剣な顔で呟かれた言葉に、それは無いと笑い飛ばすことは出来なかった。
何故なら夜行自身、改造とまでは行かずとも似たようなことを思っていたから。
「もし他の連中も同じようなことになっていたら、どうしようと思っていたところだ。お前は変わらない様子で安心したぞ」
「俺もだよ。まあ他のみんなの様子も今日ひと通り見てきたけど、あんな変貌を遂げてるのはちー君だけだった」
「何よりだな……あんなのが2人も3人も量産、委員長や鳳龍院達まで鬼島と同様になろうものなら、悪夢以外の何物でもない」
「同感」
とは言え、夜行は今日躑躅には会えなかったワケだが。
しかし千影以外の面子に取り立てて外見の変化が無かったことから、恐らく彼の変貌こそが異常なのだろうとあたりを付けていた。
それから2人は互いの近況を話したり、しょうもない冗談を交わしたりして。
ほんの2週間前。けれど異世界で過ごす日々があまりに濃密で、懐かしささえ感じてしまう日本に居た頃のような空気を、感じていた。
夜行と雅近。『大陸』に召喚された7人の内、最も付き合いが長いのはこの2人だった。
小学生時代からの幼馴染で、中学に入ってすぐ夜行が千影を引っ張ってきて、それ以来3人でつるむようになった。
昔から面倒臭がりで、そのくせ要領は良く頭を使うことなら何でも人並み以上にこなす雅近と、頭の出来は多少残念だが器用で人当たりのいい夜行。
どちらも特色は違えど長短ハッキリ分かれた気質だったからか、よく一緒に遊ぶ仲だった。
「見ろ夜行。星の配列が全く違うどころか、地球の月ほどにも大きく見える物が幾つもある。こうした風景もまた、異世界ならではの醍醐味だな」
「そだね……夜空を見上げてると、何か眠くなってくるけど」
現在の時刻は、地球換算で言うと大体夜9時過ぎ。
名前に似合わず昼型健康優良児な夜行は、どんなに遅くとも夜12時には寝ちる。ネットゲームとか出来ないタイプだった。
「そもそもオレに、訓練なんてものは大して必要ない」
話題がそれぞれの指導員や訓練内容についてのものになった辺りで、心底煩わしいとばかりに嘆息しながら雅近が言う。
「習得と制御が困難極まる殲滅魔法だか何だか知らないが、同じものを三度も使えば十全に扱える。一昨日山をひとつ消した」
「怖ッ!?」
どうやら雅近もまた、千影とは違う方面にて変貌を遂げていたらしい。
事も無げに山ひとつ消したとか、怖ろし過ぎる。と言うか、個人で山って消せるのだろうか。
「鬼島もこの前、森を更地にしたと言っていたな」
「何でお前等力試しにいちいち地形を変えるんだよ!? 自然破壊ダメ絶対!」
少年誌で連載してるバトル漫画じゃないんだから。
「だと言うのに、テスラの奴はオレに訓練をしろと言う。無駄且つ面倒極まりない、だからオレが盗んだバイクで走り出すのも無理はない」
「意味分からんがな」
つまり訓練を逃げ出すのは、無駄なことを押し付けてくる指導員が悪いと言いたいらしかった。
その指導員が美少女だと知れば、平助辺りは血涙を流しながら「この贅沢者がぁぁぁぁッ!!」と叫ぶことだろう。
「柳本に同じことを言ったら、血の涙を流しながら贅沢者と叫ばれた。何が不満なんだ彼は」
既に叫ばれていた。
何処までも行動の予測が簡単な男である。
「報酬がかかっている以上、最低限の労働はする。しかし意味のない訓練を続けるなど、死んでも御免だ」
「死んでもと申しますか」
「たとえ明日死んでも後悔しない為、やりたいことだけやって生きる! それがオレの矜持だ」
クッと眼鏡を上げ、堂々と言い放つマサ。
ヤナギの時も思ったことだが、何でもかんでも堂々としていればカッコいいワケではない。
「『明日世界が滅ぶとも、今日リンゴの木を植える』。ルターの残した言葉にそんなものがあるが、馬鹿馬鹿しい! 明日世界が滅ぶなら、オレは今日リンゴを買って食う!」
「いや、だから意味分からんがな」
頭の良い雅近が言うことは、時々夜行には上手く理解できない。
彼が確固たる信念の元に『不働(誤字に非ず)』を掲げていることは何となく分かるも、どうしてそこまでダメな方向に一途なのか。
「働いたら負けだ! 労働に生き甲斐を見出したら人間終わりだ!」
「左様で」
「人間に必要なのは痛みや苦しみではない! 娯楽とゆとりだ! 人類は皆ニートでいいんだ!」
「社会回らないからねそれ」
勢いに気圧されつつも放った夜行の突っ込みは、しかし雅近の心にどころか耳にさえ届かなかったらしい。
普段のまるでやる気が感じられない姿から一転、演説を並べ立てる政治家の如き気迫を放っていた。
まあ、雅近は政治家になどなりたいと思わないだろうし、もしなったら日本が滅ぶだろうけれど。
国民全員ニートになって。
「――ん? この気配……チッ、ついにここも嗅ぎ付けられたか。済まないが夜行、オレは逃げる」
「は? なんで?」
「さらばだ明智君! はっはっはっはっは!」
明智じゃねーよ、戌伏だよ。
そんな返しをする暇もなく、やけに綺麗なスプリントフォームで走り去って行く彼の幼馴染。
どうでもいいが、『幼馴染』と言うフレーズは基本的に異性を連想してしまう場合、ギャルゲーのやり過ぎだと思われる。
「ここかぁっ!!」
「うおわ!?」
いきなり生垣から人の顔が飛び出してきて、思わず変な悲鳴を上げてしまう。
見てみると、昼間にマサを探し回っていたピンク髪の少女が。
「居ない……相変わらず勘の良い男ね!」
「って、まだ探してたのか!?」
「あら? アンタは確か……丁度いいわ、バカチカサイケデリックⅢ世がどっちに逃げたか教えなさい!」
「サイケデリックⅢ世!?」
何処から出てきたのだろうそのフレーズ。そして何故Ⅲ世。
吊り上がった少女の双眸が「隠し立てするとためにならない」と如実に語っていたので、反射的に雅近が逃げた方向を指差す夜行。
「あっちね、あのバカ! まーちーなーさーいぃぃぃぃぃぃッ!!」
芝生の上を走っているのにどんな理屈か砂煙を上げ、凄まじい速さで駆け抜ける少女。
その恐るべき執念に、夜行はしばし唖然として彼女の背を見送っていた。
「……何だったんだ一体」
「むぐむぐ……追われる男に追う女、これもひとつの青春ですね」
「姫様、物を食べながら青春について語るのはお止め下さい」
「…………」
そして、いつの間にか彼の左右に陣取る形でクリュスとホイットニーが立っていた。
既に突っ込む気力も失われていた夜行は、ただひとつだけ大きく嘆息するのだった。

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