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宗門と正信会との間で争われていた裁判が、日顕の「相承疑惑」が原因でまた宗門側の実質敗訴という結果になった。
事件の舞台は三重県鈴鹿市の光徳寺。正信会寺院だった同寺は2007年、住職の死去により宗門の寺となった。同寺には墓地があるが、
正信会僧侶Aはその後も墓地使用者の依頼により典礼を行ってきた。これに対して、宗門側がAの立ち入り禁止を求め、他方、正信会
側が典礼の制止を禁止することを求めていたのが、この裁判である。
3月11日、最高裁は、双方の請求を却下した1審(津地裁)、2審(名古屋高裁)の判決を支持する判断を下した。判決は、墓地使用
者は日蓮正宗の典礼方式に従うべきとしたうえで、こう述べた。正信会僧侶Aが行う典礼が日蓮正宗の典礼方式に従ったものであるか
否かについては、結局は、Aが行う典礼が日蓮正宗の僧侶たる地位を保持しているか、ひいてはAに対する擯斥処分の有効性について
の判断が必要になる。擯斥処分の有効性の判断は、当時の法主・管長である細い日達から法主の地位継承の条件である血脈相承を受け
たか否かの判断に帰着する。そして、その判断のためには日蓮正宗の教義、信仰の内容に立ち入らざるを得なくなる。よって、本件の
訴えは「法律上の争訟」に該当しない。
日顕の法主・管長の地位の判断については、すでに最高裁で教義、信仰に深く立ち入らざるを得ないとして、裁判所の審判権が及ばな
いことが判例として確立されている。今回も、その判例に従った判断が下されたのである。結局、現状は何も変わらず、宗門にとって
は実質敗訴となった。そして、敗因が日顕の「相承疑惑」であったことは明らか。正信会との種々の裁判で、たびたび日顕の法主・管
長としての地位が争われるそもそもの原因は、日顕が日達法主の後継として登座するに当たって、万人が認めうような形での手順が踏
まれていなかったことによる。何しろ、日顕本人が「受けた」と自己申告するだけで、それを裏付ける外形的事実は一切、存在しない
のである。日顕の“盗座”から35年、日如の代になってからは8年以上が経つといのに、日顕の“ニセ相承”は、いまだに宗門に深い
影を落としている。
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