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フェイク 第1447号

 投稿者:宿坊  投稿日:2014年 4月 9日(水)00時38分48秒
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  (発行=14.04.08)

御書に照らし「日顕宗は法華経の敵」
虫払い法要の初日に雹、春季登山は春の嵐
祈祷抄「法華経の敵を霜雹となりて責む」

 日顕宗では恒例の虫払い法要を今月六・七日の両日、大石寺で行なった。初
日の六日、大石寺の周辺には物凄い稲妻が走り、雷鳴が轟く中、大粒の雹(ヒ
ョウ)が叩きつけるように降ってきた。この雹に直撃された登山者もいて、そ
れを見ていた人は「痛そうで可哀想だった」と語っていた。

 日顕宗の行事の時は豪雨、強風、地震、大雪、霙(みぞれ)などに襲われる。

 先月末の春季総登山の時も大変な〝春の嵐〟で大雨の中、車椅子で移動して
いた人などがズブ濡れになっていた。このような大石寺への登山会や日顕宗の
行事には参加しないに限る。

 特に〝雨坊主〟〝魔僧〟の異名をもつ日顕が動くと天候が荒れ狂う。その代
表例が平成五年六月、日顕が早瀬日慈(日如の実父)の葬儀に出るため、東京
・池袋の法道院へ着いた時だった。日慈は六月二十日午前七時過ぎに順天堂病
院で死亡。この日、日顕は金沢市の妙喜寺で説法した後、日慈の死を悼むどこ
ろか、山中温泉の高級旅館「胡蝶」で豪遊し、翌二十一日の正午前、羽田空港
に到着。午後一時五十分頃、法道院に着いた。

 日顕が動くと悪天候に

 日顕の到着とほぼ同時刻、法道院上空の一点から黒雲が広がって真夜中のよ
うな暗黒が真昼の東京を包んだ。

 間もなく強風が吹き始めて横殴りの豪雨が降り出し、雷鳴が轟き、ピカッと
閃光が走って約一センチ大の雹までも降ったのだった。

 日顕の行く先々での異常気象は、平成四年十一月の関西親教でも快晴が一転、
暗雲に覆われて周囲は真っ暗になって大荒れ。翌五年一月の九州親教の際には
異常寒波で日顕の到着直前に黒く汚れた雪が舞っていた。

 宮城県・徳妙寺、北海道愛別町・法宣寺、大阪府・経王寺など行く先々で雨
を降らせた日顕が平成九年十一月、所沢市の能安寺に行った時は豪雨、強風、
雷に加えて震度3の地震までも起こるなど荒れ狂った。

 日顕と悪天候の例は枚挙に暇がない。忘れられないのは平成二十年四月二十
九日、法華講の北海道決起大会の際の気候の急変だ。

 日如と日顕が上陸する前日まで温暖な日が続いていたが、二人の到着に合わ
せて旭岳は猛吹雪に見舞われ、渡島半島ではビー玉大の雹も降り、霜と雹で農
産物は大被害をうけた。

 この霜と雹について日蓮大聖人は「祈祷抄」に次のように記されている。

 「かかるなげきの庭にても法華経の敵をば舌を・きるべきよし・座につら(
列)なるまじきよしののしり侍りき、迦葉童子菩薩は法華経の敵の国には霜雹
となるべしと誓い給いき、爾の時仏は臥(が)よりをきて・よろこばせ給いて
善哉善哉と讃め給いき」(御書一三五一ページ)と。

 これは釈尊の入滅を前に、その場に集った門下が「法華経の敵」への対応を
述べ、迦葉童子菩薩は「法華経の敵の国には霜(しも)や雹(ひょう)となっ
て責(せ)めます」と誓った。

 その時、釈尊は起き上がって「善きかな、善きかな」と喜んだということだ。

 この日蓮大聖人の御金言に照らし、今の日顕宗こそが「法華経の敵」である
ことは明白である。
 
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