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(発行=14.04.15)
盟友で宿敵の死に苦悩する日顕
日顕と死亡した久保川法章の共通点を探る
大御本尊を否定、相承詐称で本仏気取り
極悪坊主の日顕が最近は心身共に弱っているという。宗門関係者によると、
先月末、幼馴染の久保川法章が死んだことで、日顕は相当、ショックを受けて
いたとのことである。それは久保川の死を悼んでの心労からではなく、日顕自
身も己の死が近いのではないかと苦悩してのことのようだ。
久保川の生まれは大正十二年五月二十日で、日顕より半年ほど遅い。二人は、
かつて盟友の間柄であったが、久保川が正信会に走り、その中心的な存在にな
ったので宿敵にはなったものの、二人には共通点が多い。
まず、日開の弟子であった二人は自己顕示欲が強く相承を詐称した。私生活
では酒色を好み、よく歓楽街を飲み歩いていた。そのため久保川は日顕の遊蕩
ぶりを熟知していた。
例えば、昭和十八年十一月二十日、日顕と久保川は浅草の小料理屋で酒を飲
み、久保川は砂町教会(後の白蓮院)に帰ったが、日顕は吉原遊郭に泊まって
遊女と戯れていたため、父・日開の死に目に会えなかった。
この事実を暴いたのが久保川であった。かつて山崎正友が日顕に宛てた密書
の中で「(日顕の)お若いころのスキャンダルの出所は、すべてあの人(久保
川)です」と書いていたように、日顕の淫らな女性問題なども久保川は把握し
ていた。
日顕は若い頃から大石寺塔中坊の娘、秋田県の旅館の娘、深川・熱海・大阪
の芸者やホステス、京都の芸妓、売春婦等々、手をつけた女性は枚挙に暇がな
い。
久保川の女性関係は日顕ほど数多くはないようだが、胃癌だった妻の死から間
もない頃、女性信徒を出家させて尼僧にして同居。周囲の目を誤魔化すために
愛人を出家させたのだが、若い僧も信徒も離れていった。
一方、信仰面では日顕が日達法主から相承を受けたと詐称したのに対し、久
保川も「日開上人から血脈相承を受けた」と、似たようなウソをついていた。
また日顕が「大御本尊は偽物」と鑑定したことが河辺メモに明記されて有名
になったが、久保川も大御本尊を否定し、しかも日顕と同様に〝生き仏〟〝本
仏〟気取りで周囲の者に「日源上人」と呼ばせていた。
これも日顕が「猊下じゃなく御法主・日顕上人と呼べ」と学会最高幹部に強
要したのと酷似している。
日顕の〝盗座〟を非難していた久保川が、大聖人の歯骨と言われている御生
骨(御肉牙)について面白い解説をしていた。
「御生骨は全体が金色に輝いて見え、御肉と歯を明瞭に区別出来なかった」
「然るに阿部信雄(日顕)が偽法主となっての代替法要の時、拝観した御生骨
は全体がどす黒く変色していた。これには当の阿部及び周囲の僧侶が吃驚仰天
し、ヒステリックな声をあげて照明を暗くさせ、信徒に見えないようにしてし
まった」
久保川は昭和四十年に蓮華寺の住職になり、正信会に移った後も居座り続け、
平成十八年十月二十八日、維持費がかかるとの理由で宗門に返還。法源寺に尼
僧と二人で住んでいた。
晩年の久保川は奇声を発しながら本堂の畳の上を這いずり回っていたと、二
月一日付「慧妙」は書いていた。似たような悩乱坊主の日顕も、こんな悲惨な
末路を辿るのだろう。
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