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※仏法義に於いて、原本の有無などは二の次であって、要は、そこに示される文義が
何(いか)に正義であるのか、という判釈こそが重要なのであり、
又、其れだからこそ、写本を含めて成る相伝の意義こそが重要となるので ある。
本より、信心に資するとは、その内容が正義であるから信心に資するのであって、
そこに真蹟原本の有無を挟み込むは、これ邪義と疑判するから原本の有無を持ち出すのである。つまり、信心に資するとは、そこに示さる内容を正義と判じ、其れを実践する事であり、
その信心に於いて、原本の存在は余事となるのである。本より、原本の有無が内容の正邪に
直結しない事などは、余程の馬鹿でないかぎり、容易に判断出来るであろう。
http://megalodon.jp/2014-0418-1750-08/6238.teacup.com/tsurutaro33/bbs/45109
一ヶ月近くの沈黙を破って第一声がこれとは、日顕宗の教学力も地に落ちたものですね。
仏法義において原本の有無にこだわってきたのが日蓮正宗だし、創価学会への教学的批判もほとんどが元(原本)の有無じゃないか。
学会側につっこまれると「原本2の次」
自分たちが批判する時は、法の源が云々・・
ダブルスタンダードもほどほどにしましょうよ。
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