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>戒壇板本尊を真偽等は問題にしておりません。
hide氏のご指摘どおりでも構いません。当時の坊さん方も戦国の世の中で自分の寺院を守り、維持するのは大変なご苦労があったと思います。もし、血脈が存在していたなら、たとえ日有の製作本尊でも、日蓮聖人の御当体と拝してなんら、問題ないと思います。
現代の安全な法律で保護された身だから、あのような無責任な発言が出来るのです。
真偽を問題にしている人の方が僧俗を含めどうかしているのです。
仏舎利なるものを合わせると四トンぐらいになるそうです。
それを問題にしている信者さんが世界のどこにいますか。
むしろ、弥四郎国重なる架空の人物に当てて彫刻されたことの方に意義があると思います。
日本人には呪物信仰というか、これは正宗だけに限ったことではありません。
そういうものが、先祖から摺込まれていて良きにつけ悪しきにつけ、行動・思考を制限して左右しています。
聖人がおっしゃったように、肉身ではなく、法門が体であると拝してご本尊様は、己の心や業を覗く扉である。扉を開くのは正しい法門である。このように考えております。
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