|
|
寡分にして、そういう史実が有った事は存じ上げませんでした。
そういう権力者に媚を売って祈祷をしていたのですね。
私の存じ上げていました故人の僧侶は安産祈願・病気平癒祈願を導師と祈願者が一緒になって勤行しながらご祈念は致しておりましたが、あくまでも信者さんの信心の確認とご本尊様への帰依を再確認する事を確信させる事も含んだ行事であり、真言や日蓮宗の修法とは意味合いが違うと言われておりました。あくまでも一生成仏・宿業の転換が本宗の眼目である。
そして、冥益・冥罰が出てきながら一生を通じて宿業を変えながら信心を深めて行く、罰即利益で長い目で信心を見て、励む事こそ肝要であるともいわれていましたね。
今の日顕師に爪の垢でも煎じて飲んでほしいものですね。
http://www.geocities.jp/hmatsuw3/tate/mandara.htm
|
|