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ロム男さんが引用された有師化義抄の一節をみてください。
『他宗なんど祈祷を憑みて後は、此の病、御祈祷に依って取り直し候わば御経を持ち申すべき由、
約束の時は祈祷を他宗に憑まれん事子細なきか、左様の約束も無くして他宗の祈りを成さん事は
謗法に同ずる条、更に以って遁れ難し云云』と。(富要① 68P)
現代語訳すると
他宗派の人から加持祈祷を申し受けた場合、祈祷のおかげで病が治ったなら、日蓮正宗に帰依する事を約束したうえでなら謗法にはならない。
このような約束もなく、他宗の人の祈祷を受け付ける(供養を貰う)ようならば謗法与同となり
更にその罪過からは逃れられない。
といった感じでしょうか。
江戸当時の大石門派では、この化義抄の文意、また日興跡条条事を曲解し、
他宗からの供養を受け付け祈祷をする際は、後に曼荼羅を下付し門徒ということにしてしまえば
よいという考え方をしていたことがうかがえます。
一度「門徒」ということになれば、あとは大手ふって銭が貰えますからね。
現代でも講頭が神社の氏子総代になっていようが謗法不問です(笑い)
よほどの財産をお持ちなのでしょう。
ちなみに
敬台院 天英院とちがって、天璋院篤姫が存命中に大石寺に参詣したという記録はありません。
後付けの事実をもって、それより前からの事実を打ち消す手法は
あの、神本仏迹を唱え僧籍を奪われたはずの小笠原慈聞の僧籍復活劇の時にも使われています。
(参考リンク:地涌選集 第1章 謀 計 発 覚)
http://www.houonsha.co.jp/jiyu/01/049.html
大石寺は、坊主の沽券に関わる事例を無理矢理もみ消し、信徒にのみ責任を取らせることに長けていますので、彼等の歴史的な主張は、話半分で聞いたほうがよいでしょう。
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