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(発行=14.05.05)
大坊での暴力沙汰は日常茶飯事
朝日の報道「仏教界の暴力事件」に思う ②
「慧妙」の「教宣ハンドブックを破す」を粉砕
朝日新聞に「仏教界に相次ぐ暴力事件」という記事が掲載された(三月十二日
付)のを受けて本紙第一四四二号(三月十三日付)では日蓮正宗の暴力体質を
簡潔に述べたところ、宗内外から多大な反響があり、面白いエピソードなども
数多く寄せられた。
その中には、日如の長女の婿である国島道保(府中市・大修寺)が大坊の学生
は喧嘩が強い理由について「大坊では毎日のように殴られているから殴られる
のに慣れて怖くない。喧嘩は殴られても怖くない方が勝つんだ」と語っていた
というのがあった。これは大石寺の大坊では、暴力沙汰が日常茶飯事だという
ことを裏付ける発言といえる。
また、平成二年頃、富士学林の大学科に通っていた志村道彦(どうげん)が大
学科の仲間に「昨日、ヤクザと喧嘩して勝った。その喧嘩の様子を見ていた暴
力団の幹部からスカウトされた」と自慢していたとのことである。更に、大坊
の学生によると「どんな不良高校生でも『大坊の学生』と聞くと逃げ出す」と
いう。
こうした事実も知らない妙観講らが作っている「慧妙」五月一日付が「『教宣
ハンドブック』を破す」と題し、日如らの暴力体質に関する渡辺雄範氏(改革
同盟)の証言を「針小棒大」「被害妄想だ」等と非難。そして渡辺氏の著書「
大石寺・大坊物語」等は「宗内でも破折はおろか話題にも上がらない」と悪態
をついている。
だが、同氏の著書に記された日顕宗の暴力体質などの内容が真実だから宗内で
は破折できないのである。
特に面白いのは「慧妙」が渡辺氏の証言を否定するあまり、暴力肯定の珍妙な
論を展開している点だ。その駄文の一部を紹介する。
「現今の小・中学校教育において、教師が生徒の手でも叩こうものなら『暴力
教師』として大問題になり、その上に胡座(あぐら)をかいた生徒が教師の注
意を無視し、まったく教育指導のできないケースすらあるが、それと同じ轍(
てつ)を踏んでいては仏法の師弟関係は成り立たないし、立派な僧侶を養成す
ることもできないのである。
時には厳しい指導も、師匠が弟子に対する慈愛の発露(はつろ)であり、将来
へ向けての責務に他ならない」(「慧妙」五月一日付)
「慧妙」は日如ら暴力坊主の暴行を正当化しようとして、暴力を振るう教師を
庇い、殴られる生徒を悪と決め付けて「立派な僧侶を養成する」ためには暴力
も肯定しているようだが、どんな理由があっても暴力を容認してはならない。
教師であっても生徒に体罰を加えるのは犯罪である。殴れば暴力罪であり、怪
我を負わせれば傷害罪だ。
また、生徒が体罰を受けたことによって自殺したケースもあるが、その場合、
教師は傷害致死罪に問われる。教師も僧も同じであり、暴力を許してはならな
い。
それでも「立派な僧侶を養成する」ため暴力は必要だというのか? 大聖人は
日興上人、日目上人に対して日常的に暴力を振るわれたとでもいうのか?
そんなことはあるまい。日如、日顕をはじめ日顕宗の暴力坊主は指導力も教学
力もないから、すぐにカッとなって暴行を働く。だから問題なのだ。(つづく)
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