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ニセ法主・日顕 口先だけで赤っ恥 笑われた「信者倍増」の大ぼら

 投稿者:邪宗撲滅  投稿日:2014年 5月23日(金)22時46分33秒
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  2002年(平成14年)11月22日、本仏気取りで「法礎建立」と称した奉安堂を建てた日顕は、10日間の法要を終えるや、
調子に乗って大風呂敷を広げた。「30万総登山達成の本年よりさらに7年間の折伏と育成により、地涌の友の倍増乃
至、それ以上の輩出と大結集を遂げ」――つまり、7年間で「信者数」と「登山者数」を倍増すると宣言したのであ
る。果たして、結果や如何。その事実に日顕の正体が浮き彫りにされている。

  ―宗教年鑑の数字に明らか―
まず、「信者倍増」。文化庁が毎年、発行している「宗教年鑑」には、各教団の信者数が記載されている。これは、
それぞれの宗教団体からの報告に基づいて作成されたもので、信者の定義・資格についてもそれぞれの団体に委ねら
れている。つまり、まったくの公称ともいえる。では日顕が「倍増する」と言い放った7年間で、日顕宗の信者数は
どれだけ増えたのだろうか。年鑑によると、02年(平成14年)末の信者数は36万2000人。ということは7年で倍増な
らば、09年(平成21年)末には72万4000人以上になっていなければならない。ところが、その数字は40万8000人。数
にして4万余り。倍増どころか、たった1割しか増えていないのだ。「公称」すらこの惨状。しかも、こうした数字
も“眉唾物”なのだから話にならない。また、日顕が放言した信者倍増について、その後を受けて法主になった日如
は、こう言い放った。「要するに、今の世帯数を倍にするということ」(07年11月27日、宗務支院長会議)つまり、
折伏により信者の「世帯」を倍増するというわけだ。しかし、前述のように、自己申告ですら信者数は4万人全てが
単身世帯と仮定しても17万世帯程度。2割しか増えたことにならないのだから、倍増などほど遠い。なお、その後、
日如は何とか数字を稼ごうと目論んで、折伏数のカウントを「世帯数」から「信者数」へ、「本尊下付」から「授戒」
へとシフト。しかし、その結果、全国の末寺で、ろくに対話もせず、寺に連れ込んで授戒だけするという、いい加減
極まりない信者勧誘が横行。信者の自覚もない名簿だけの講員が大量に増殖するという、現在のめちゃくちゃな状況
を招いている。

  ―責任逃れの腰抜け日如―
もう一方の「登山者倍増」に至っては、ドタバタの末、さらにみっともない醜態をさらした。02年(平成14年)、奉
安堂をエサに大石寺に30万の登山者を集めたと放言した日顕が、7年後に、その「倍増」大結集をやると豪語した。
30万の倍増は60万。小学生でも分かる簡単な計算だ。だから、宗内の誰もが“09年(平成21年)に60万登山”の認識
でいた。実際、03年(平成15年)2月22日、日顕の息子で当時、庶務部副部長だった阿部信彰は、こう明言している。
「このたびの御命題たる、平成21年の地涌の友の倍増乃至、それ以上の輩出による大結集とは、実は大変に大きな闘
いであります。何故なら30万の倍増は60万であり…」 また、同年4月6日、大石寺二大法要の一つである「虫払い
法要」の際、全国布教師の楠牟礼慈宝(八戸市・玄中寺)も、日顕の倍増発言を引いたうえで述べている。「御命題
である平成21年、60万人以上の総本山への地涌の友の結集を目指し…」 そして、宗門執行部は、倍増の達成のため
に、布教区別の「広布推進会」を打ち出したうえ、それまで各末寺でバラバラに行っていた行事を、第1週の日曜日
は「唱題会」、第2週の日曜日は「御講」と全国統一にした。また、折伏座談会をやれ、勉強会をやれ、などと命じ、
全国を回って法華講を締め上げてきた。その中心にいたのが、当時、庶務部長だった日如である。ところが、だ。05
年(平成17年)12月に法主の座についた日如は、できる見込みのない「60万登山」の期日が迫るにつれて、責任を負
わされることにおじけづき、登座1年を目前にした06年(平成18年)11月27日、宗務支院長会議で突如こんなことを
言い出した。「大結集については、みんな勘違いをしていたのではないか」「大結集について『次は60万だ』と、何
かそのように勘違いをしていたのです。しかし、よく(日顕の)御命題を拝すると大結集となっていて、総登山とは
おっしゃっておられない」 つまり、“倍増=60万登山”の既定路線を放棄してしまったのである。さらには卑劣に
も、“60万登山は法華講が勝手に言ったこと”と責任をなすりつけたのである。では、何人を結集するかというと、
単なる立正安国論750年の語呂合わせで「7万5千」。とんだスリカエである。60万のはずが、その8分の1にし
ぼんでしまった。しかし、日顕宗はその7万5千すらできなかったのだ。宗門では09年(平成21年)7月26日の法華
講総会には、ノルマを約3千人超える「78423名」が集ったと大喧伝したが、事前発表では、用意されたイス席
は全部で7万6千。結集数が7万8千なら、立ち見が出るはずだ。ところが、満席どころか会場のあちこちが空席だ
らけ。まさに、日顕も日如も法主のメンツ丸つぶれで終わったのである。それにしても、日顕が言った“大結集=60
万”を取り下げた日如は、法主の発言を否定したのだから、それだけで驕慢謗法の極み。厳重処分されるべきではな
いのか。さらには「教義上の異説を唱え」「管長を誹毀又は讒謗し」との「擯斥」の懲戒を規定した宗規にも抵触し
かねない。一方、仮に日如が言ったように「60万」無関係ならば、宗内に虚偽を喧伝した信彰、楠牟礼らの責任は重
大である。

  ―浅ましい名誉欲、保身―
御聖訓にいわく。「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未
来も又しかるべし」(御書1360ページ)) これが「地涌の義」であり、広宣流布の方程式だ。この日蓮大聖人の大
確信の根底には、不惜身命の決意と、その実践にあった。そして現代において、この御精神の通りに、世界広宣流布
という御本仏の未来記を実現したのは創価学会であり、創価三代の師弟の不惜身命の闘争である。口先だけで折伏云
々と言って、やりもしない、できもしない日顕、そして日如。不惜身命どころか、浅ましい名誉欲と自己保身に狂っ
た醜態。この“倍増騒ぎ”は、落ちぶれ果てた日顕、日如が宗祖の精神などかけらもない、全くのニセモノにほかな
らないことを如実に物語っている。
 
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