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大石寺総代が神社の氏子総代を兼務 日顕・日如、前代未聞の大謗法を放置

 投稿者:邪宗撲滅  投稿日:2014年 6月 9日(月)05時13分52秒
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   屋根が激しくへこみ、みっともない姿をさらしている日顕宗の総本山、大石寺の本堂「奉安堂」。この醜態同様、
日顕宗の信心もまた、根幹から腐りきっている。謗法厳戒――日蓮仏法の根本精神の一つである。ところが、大聖人
の末流を名乗る日顕宗では、信徒の代表である大石寺の檀家総代が、神社の氏子総代を兼務。その大謗法を法主・管
長が平然と放置していた。宗開両祖の精神など微塵もない日顕宗の実態を示して余りある、落ちぶれた現実である。

―「神札」購入まで奨励―
 衝撃の事実が発覚したのは2013年(平成25年)年頭のことだった。大石寺の檀家総代である井出氏が、富士宮市内
の曽我神社の氏子総代を兼務していたことが明らかになった。井出氏は、同神社の祭事を主導。神体が祀られている
同神社の例大祭にも参列し、宮司の真後ろの最前列に座って、一緒になって神体を拝んでいた写真を白日の下にされ
された。さらには、神社に寄付を行った上、自らの名前で、地域住民に曽我神社の「神札」購入を奨励する文書まで
配布していたことも発覚した。井出氏は宗内にわずか3人しかいない大石寺の総代。その中でも井出家は、代々、総
代を務めてきた家柄である。大石寺百貫坊の総代等を経て、05年(同17年)6月から大石寺総代を務め、13年(同25
年)7月には、再任された。まさに信徒の模範たるべき人物である。一方、曽我神社は神社本庁に属し、伊勢神宮を
本宗と仰ぐ、れっきとした神社である。この事態には、御用機関誌「慧妙」も反論に窮し、10カ月後にようやく「総
本山として『謗法を放置』したり『黙認』していたわけではない」、また「所属寺院の指導教師住職」や「周辺の方
達」が「厳重注意をされた」(13年11月1日付)などと力なく弁解するしかなかった。 しかし、厳重注意されたはず
の井出氏は、その直後の11月3日、またまた「神札」購入の奨励文書を地域に配布。そのうえで、何事もなかったか
のように御影堂の法要に出席、11月14日の本堂遷座の際には、法主・日如らを先導して、大石寺境内を練り歩いてい
たのである。いかに詭弁を弄したとしても、もはや「謗法厳戒」の精神など日顕宗には存在しないことを如実に物語
る一コマだった。

―法より保身の行動規範―
 御書の御文に照らして、どうなのか。宗開両祖のお振る舞いに照らして、どうなのか――。これこそが協議を判ず
るうえでの永遠不変の基準であるはずだ。そして、その判断の模範を示し、宗内のすべての僧俗を正しく教導するの
が法主の責務であろう。では、こうした「謗法」に対して大聖人、日興上人はどうされてきたのか。御書には、謗法
の罪科について、「何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし」(1056ページ)と記されている。そ
して、それを放置することについても、「謗法不信の失を見ながら聞きながら云わずして置かんは必ず無間地獄へ堕
在す可し」(御書842ページ)と厳しく断じている。故に、大聖人は「万事を閣いて謗法を責むべし」(同494ページ)
と、厳しく処断することを訓戒している。また、大聖人の弟子として、その精神を寸分違わず継承された日興上人が、
大聖人門流として謗法に対する姿勢を明確に示されたのが身延離山であろう。日興上人が身延離山を決意された要因
が堕落した日向と、地頭・波木井実長の謗法の一つが、伊豆山・箱根の両権現と三島明神への参詣、すなわち神社に
詣でることだった。日興上人は再三にわたり、日向と波木井を教訓したが、彼らは聞き入れなかった。そして日興上
人は苦渋の末に、「地頭の不法ならん時は我も住むまじき由」(編年体御書1729ページ)との大聖人の御遺言に照ら
して謗法と決別し、断腸の思いで身延を離山されたのである。この時の心境について、日興上人はこう綴られている。
「面目なさ、本位なさ申しつくし難く候へども、打還し案じ候へば、いづくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世
に建て候はん事こそ詮にて候へ」「日興一人本師の正義を存じて本懐を遂げ奉り候べき仁に相当って覚え候へば本位
忘るること無く候」(同1733ページ) 弟子として託された身延を離れることは、日興上人にとって本来、相ならな
いことであった。しかし、大聖人を外護した地頭であったとしても、その謗法を許すことはできず、この謗法の身延
の地では、もはや宗祖の真実の法は立てられない――これが思慮に思慮を重ねたうえの日興上人の決断であった。だ
からこそ、日興上人は後世の門下のために残した26カ条の遺誡置文の中で、謗法について厳命されている。「檀那の
社参物詣を禁ず可し」(御書1617ページ)「謗法と同座す可からず与同罪を恐る可き事」(同1618ページ) こうし
た御金言と宗開両祖のお振る舞いに照らして、今回の、井出氏の神社氏子総代兼務と神札奨励の所行を判じた時、厳
格な対処は当然である。具体的には、大石寺総代の即刻解任、大石寺境内への出入り禁止などがそれにあたろう。と
ころが、そもそも井出氏を登用した日顕は見て見ぬふり。再任を認めた現法主の日如も、代々の法主がカネに困って
幾たびも助けを乞うたり、ろくな重宝もなかった宗門が、行事のたびに、井出家所蔵の日興上人書写の御本尊を借り
るなどして井出家には頭があがらない。挙句の果てには、御影堂の法要の際には、その大謗法の井出氏の先導に付き
従って歩いたのだから笑いものである。なぜ、こんな事態になったのか。それは、日顕・日如が仏法の眼で物事を見
ることができない、ニセモノであるからにほかならない。宗開両祖より自分、法より保身、正義よりその場しのぎ―
―呆れたことに、これが日顕・日如の行動規範なのである。

―祈り叶わぬ不様な惨状―
 御聖訓いわく。「よき師と・よき檀那と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり」
(御書550ページ) 「よき師」「よき法」「よき檀那」――この三つがそろってこそ、祈りの叶う正しい信心である。
では、今の宗門はどうなのか。
 師……嫉妬と謀略と堕落の“ニセ法主”日顕と、その2代目の日如。
 法……歪んだ血脈、法主絶対、僧俗差別など大聖人とは無縁の邪義
 檀那……信徒の模範たるべき大石寺総代が前代未聞の大謗法
つまり、今の日顕宗には正しい信心の要素となる三つが何もない。それどころか「悪しき師」「悪しき法」「悪しき
檀那」が結託しているのが現宗門なのである。これでは何を祈ったとしても、叶うはずもない。信徒総代の大謗法を
ごまかし、宗内の批判の目をかわして、御影堂の法要をうまく乗り切ったつもりの日顕・日如だった。ところが、そ
れから100日も経たないうちに、宗派の根本である本堂の奉安堂が、屋根がベコベコに歪むという無様。しかも修
理もできず放置されたまま醜態をさらし続けている。これは一体、何の現証なのだろうか。
 
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