身長178センチとテニス選手としてはそれほど大きくないものの、世界的スターに成長した錦織圭は、日本の興味深い改革プログラムを通じて誕生した。ウィンブルドンでベスト8に入った松岡修造(世界ランキング最高46位)が1998年に引退すると、松岡をしのぐ選手を育てるという「プロジェクト45」が始まった。当時日本のテニス協会で会長を務めていた盛田正明が、兄でソニー創業者の盛田昭夫会長と共に1999年、「盛田正明テニス・ファンド」を興し、14歳以下の有望な人材を米国の有名なテニスアカデミーでトレーニングを受けられるよう支援した。国内に安住しようとする「風潮」がある中、新芽を初めから先進国の土壌に植え替える「自己否定を通じた革新」、といった発想だ。錦織圭は今年1月、タイム誌アジア版のカバーストーリーの主人公になった。錦織圭は「文化的にアジア人は米国人のような自信を持っていない。米国で長い間過ごしたことが私を違う人間につくり替えた」と話す。1テンポ速いストロークに相手の隙を突いて出る野性的なプレースタイルは、米国生活でのたまものというわけだ。
日本とも比較にならないほど底辺が小さく、インフラが貧弱な韓国テニス界も、チュ・ウォノン現大韓テニス協会会長が指導者だったころ、パク・ソンヒ、チョ・ユンジョン、イ・ヒョンテクらを掘り起こし、世界の壁に挑戦。徐々に底辺を拡大していった。チョン・ヒョンにはイ・ヒョンテクのコーチだったユン・ヨンイルが専任コーチを務めているほか、現役を終え留学を通じて博士号を取得したパク・ソンヒがメンタルトレーナーを担当している。
イ・ヒョンテクも自分のノウハウを精いっぱい伝えている。ここ30年間で世界とぶつかりながら感じた韓国テニスの弱点とハングリー精神が、チョン・ヒョンの栄養素となっている。今もなお劣悪な環境から竜が出ることを夢見ている韓国スポーツの現実が残念でならないが、チョン・ヒョンがグランドスラムでトロフィーを手にする姿を想像するのは心地よいことだ。