ヤフーの検索削除新基準とは 有識者会議委員の宍戸常寿・東大教授
2015年05月26日
欧州連合(EU)司法裁判所による「忘れられる権利」判決など、個人がインターネット上のプライバシー情報をどの程度コントロールできるかが関心を集めるなか、国内最大級のポータル(入り口)サイト「ヤフージャパン」を運営するヤフー(東京都港区)は3月末、検索結果の削除請求に対応する新たな基準を発表した。基準を策定するためにヤフーが開催した有識者会議に委員として参加した東京大学大学院の宍戸常寿教授(憲法学、情報法)に、検索エンジンを運営する企業側が自主ルールの策定・公開に乗り出している背景や、新基準の根底にある考え方を読み解いてもらった。【尾村洋介/デジタル報道センター】
◇検索エンジンの役割と危険、ともに非常に大きく
−−なぜ今、検索エンジンによる被害、検索エンジンを巡る状況が社会的に重要な論点になっているのでしょうか?
宍戸さん 従来は新聞、テレビなど表現者が限られていましたが、インターネット、ICT(情報通信技術)が普及した現代社会では、みんなが情報を発信できます。このため、コンテンツが適切かどうかは、誰が表現をしているのかではなく、個々のコンテンツ、表現の内容から評価せざるを得なくなっています。そして、ネットから情報を受け取るとき、検索エンジンは不可欠なインフラで、ネットの根幹に検索エンジンが位置しているからこそ、いろんな問題が起きているといえます。
ネット情報はデジタルですので、いったんサーバーに上げられれば、サーバーに残るだけでなく、別の人がコピー&ペーストして拡散し、また、自分のパソコンやスマホにダウンロードして保存することもできます。ネットにアップロードされたデータは、なかなか消えず、何かの拍子に新しく閲覧されることもあります。
リアルワールドでは、時間の経過とともに関心が失われていくのが通常でしたが、インターネットの世界では、デジタル情報がずっと残り、継続的にプライバシーの侵害がなされているという状態になり得ます。リアルワールドでは、雑誌を出版した段階でプライバシー侵害があったとしても、その雑誌が図書館にずっと保存されていることでプライバシー侵害が継続しているとは考えてきませんでした。
ところが、ネットの場合だと、受け手が能動的にアクセスするし、そうした行動を補助する検索エンジンのようなサービスも発達しているため、事実上、それを世界中の人がいつでも見ることができる状態が継続することが問題になっています。また、ネットでは、有名人でない一般の人でも互いのプライバシーを調べることができます。さまざまな意味で、検索エンジンの役割あるいはそれによる危険が非常に大きくなっているという状況が、今回の議論の背景にあるのだろうと思います。
−−新聞への投書なども、新聞紙面には載せていいけれど、インターネットに載るのは嫌だという方がいます。どのような取り扱いをすべきなのか、明確にできていません。
宍戸さん 今の質問には、二つの局面が含まれると思います。
第一に紙面では、新聞社や投稿者に「見ました」「良かった」という読者の積極的なアクションがないと、自分の記事や投書に対する世間の反応が見えにくかった。これに対し、ネットの場合、アクションが非常に簡単にできますので、発信した意見、情報に対する反応が、リアルワールドよりも見える形で発信した人に返ってきます。これは、メッセージが広く届くという意味で、表現の自由が実質的に拡大していることの表れで、表現者としてはありがたいことです。しかし、その半面、新たな権利侵害の問題を引き起こしている。この問題は、しばしば「著作権の侵害」というかたちで意識されてきましたが、現在では一般の表現者・ユーザーのプライバシー・名誉の侵害という形で表れてくることも多くなりました。検索エンジンの問題というよりも、人々のネットでの行動パターンがリアルと異なるということに起因している面も、あるように思います。
第二に、自分の情報が紙面とネットに載ることに対する感じ方は、世代で違う可能性があります。
若い人には、紙に残っている方が図書館などに永久に残るから気持ち悪い、ということもあるのではないでしょうか。リアルワールドでの伝統的な表現方法とネットでの表現方法の関係は移行期にあり、世代や人に応じて受け止め方が違うのでしょう。
◇新聞社のネット記事の掲載基準から学べること
−−新聞社は起きたことは事実として残しておきたいというスタンスがあります。それと一般の方の残してほしくないという要望とのバランスを考える中で、今、紙面と外向けに販売するデータベース、ニュースサイトに載せるものと、大きく三つぐらい取り扱いを変えている。ネットの世界は従来の制約を離れ、紙以外の情報を出せる部分もあるのですが、逆に紙よりも制限されている部分も出てきている。この検索エンジンの問題も、状況としては同じような変化の中で、対応を迫られているのだなという印象を受けています。
宍戸さん 特に地方紙の社会面ですね。地方紙の場合、その地域の中での公共的な関心というものがあって、その地域の関心に応える形で報じ、その報道が地域社会の中で意味のある情報として流通し、書かれた側も受忍限度内にあると考えて我慢していました。しかし、特に社会面ではセクハラ、痴漢、微罪などの報道について、それがネットに広がり、半永久的に残っていくことの気持ち悪さが意識されてきています。この点についての考え方は、大きく2通りあります。
一つは、ネットでの報道も含め、新聞報道とは基本的にその時点での速報、その時点において正しいと判断されたことを報じるものである、ということについて社会的認知を得る、再定義をしていくという方向です。ただし、この方向をとる場合は、逮捕後に不起訴となったり無罪判決が出たりすれば、当然、それもきちんと報道していく必要があります。インターネットの世界に速報として情報を出し、それがずっと残るきっかけを作った以上は、結果的に事実が異なるということが判明した場合には、新しい情報も上げていくのがプロとしての責任である、という形で報道手法を変えていく。自らが発した情報のその後の経過についても、情報を発した人間として責任を取るやり方です。
これができないとすれば、そもそもネットに情報を出さない、というのがもう一つの方向です。微罪での逮捕のような場合、事態が確定するまではネットに載せない。最終的に有罪になれば、それは社会的・公共的な関心があって、しかも確定した真実ですので、その時点で逮捕時からの情報をインターネットに載せるけれども、進行中で流動的な事態については出さないというのも、一つのやり方です。
◇前向きだったヤフーの対応
−−ヤフー側の問題意識を、どのように考えていますか?
宍戸さん 検索エンジンの責任については、以前からリンクの削除要請はあり、裁判にもなるなど問題に日々対応しているため、問題意識は昔から持っていたと思います。それから、欧州連合司法裁判所(EU司法裁)の「忘れられる権利」判決でグーグルが負けたことが世界的に衝撃を与え、日本でもグーグルに対する東京地裁の仮処分決定が出されました。こうした問題に今まで実務的に対応してきたヤフーとしても、検索エンジンの責任について再度、詰めて考えてみようということだと思います。まずは、法律分野の有識者を集め、ヤフーの考えも説明した上で議論し、修正すべきは修正する。自分たちの役割を踏まえたうえで、どのようにサービスを提供するかを世間に問い、実施するという意味では、良識的、前向きな対応だったと思います。
−−有識者会議の議論はどんな雰囲気でしたか?
宍戸さん 私たちメンバーは法律家で、検索エンジンの専門家ではありませんので、まずはヤフーから検索の仕組みや現実の事例の説明を受けながら議論しました。
法律家の議論の特徴は、社会で起きている問題はどれだけ技術が変わったとしても、何かしら似た問題がこれまで法的に扱われてきたはずだという前提で、その類似した問題をまず出発点にしたうえで、現在の問題との共通点や違いを見分け、修正を加えながら考えを深めていく、という作法にあります。
検索エンジンとプライバシーに類似するこれまでの問題としては、具体的には、ノンフィクション「逆転」事件や出版の差し止めなどの事例がありますので、それを参考にして議論をしました。「逆転」事件は、表現者によるプライバシー侵害が問題でしたが、現在は表現者によるプライバシー侵害と、検索エンジンによるプライバシー侵害の両方が問われているという共通点と違いを、新しい技術・サービスとの関連で考えるという出発点と方向性で、議論を進めました。
その際、検索サービスの社会的意義と、それによるプライバシー侵害が従来の表現者によるプライバシー侵害とどこが違うのかという点を議論しました。その観点から、表現者によるプライバシー侵害の場合の考えを大枠としつつ、検索の社会的意義と役割、表現に対する関与の度合い、権利侵害の判断は表現の発信者でないとできないということなど、考慮しなければいけない要素を検討していきました。
それから、インターネットの世界から情報を消すためには、発信元の情報を消すことが重要です。逆に検索結果だけ消しても、発信元が残っていれば、別のワードで検索すれば同じページが出てきてしまう。問題のある表現それ自体を消すことが本筋であって、それでも不十分であるとか、固有のプライバシー侵害を検索エンジンがもたらしている場合に対応すべきだろう、という方向で議論が収れんしていきました。
同じ作法を共有する法律の専門家と、ヤフーの事務局の人たちの間で認識を共有しながら、かなり突っ込んだ専門的な議論ができたと思っています。
◇「忘れられる権利」は、これからの問題
もう一点、「忘れられる権利」をどう位置づけるべきかということは、まだ、私たちにも見えていないことが多い。EU司法裁の「忘れられる権利」判決が問題になった事例に限っていえば、日本の法律の下では「忘れられる権利」という新しい問題としてとらえて対応をしていくというよりも、今までの判例、「逆転」事件判決の枠内で考えていける問題で、まったく新しい要求ではないだろうということで、有識者会議の見解は基本的に一致しました。ただ、今後それで終わるかというと、終わらないかもしれない。これまで日本の判例が認めてきた「パブリック・レコード(公衆の正当な関心事で、報道されるべき事実)に属していたものが、時の経過によりプライバシーに転化し、それを暴くことがプライバシー侵害になりうる」というものとはまた違う内容の権利を、EUデータ保護規則案が今後、「消去権」という形で法制化する可能性がある。そして、それが日本国内でも主張される場合には別の対応が必要になるかもしれない、ということでも一致を見ました。
◇個人の「黒歴史」、どんどん消してよいか
−−一般の人の中には、裁判所が認めたわけではないけれど、忘れられる権利という言い方でプライバシーを守るための要求をしていくケースが既に出ています。それを裁判官や学者がそれをどう考えていくかは、これからの問題と。
宍戸さん その意味での「忘れられる権利」を認めるかどうかは、まさにこれからの問題ですね。インターネット上で、過去に自分が表現したこと、あるいは過去に誰かが自分について表現したことが、現在の現実と一致しなくなっていることはよくあります。
「過去の事実」として言われた表現内容が、「現在の現実」として受けとめられる可能性があり、そしてそれが現在の状況からズレている。そのような事態が、人が人として生きるために不可欠な「固有の人格的利益」を侵害しているとして、消去を求めるという特別な権利を認めるということは、非常に大きなことで、いわば「黒歴史」をどんどん消していけるということになります。それは、表現の自由についてのこれまでの考えや、我々の社会の成り立ちを根底的に変える可能性を秘めていますから、そのような権利を今の段階でただちに認めることには、慎重でなければなりません。
◇グーグルとヤフーのスタンスの違い
−−グーグルなどと比較して、今回のヤフーの基準はどういう特徴がありますか?
宍戸さん あくまでリンク先の表現があって検索結果が表示されるのであり、プライバシー侵害が起きるとすれば、それはリンク先で起きているという前提にグーグルは立っています。だから、リンク先を見てプライバシー侵害がひどいという場合は検索結果から落とす、そうでない場合は落としませんというのが基本的な考えだと思います。
ただし、リンク先のプライバシー侵害と表現の自由の衡量を行って、なお、検索エンジンとしてリンクから落としていいものかどうかの判断はつかないことが多いだろうと思います。こうした基本的な出発点は、ヤフーの報告書も同じです。
もう一つ注意すべき点としては、検索をすると、その結果として、タイトル(見出し)とスニペット(見出しとともに表示される文章)の一覧が表示されますが、これまでの日本の法的な枠組みで考える以上は、検索結果の表示でプライバシー侵害が起きていると評価される可能性を考えざるをえないところです。現に、グーグルに対してリンクの削除を命じた東京地裁の決定もそういう思考をとっています。
そこで、例えば人の名前を検索で打ち込んだとき、タイトルやスニペットに、「誰それは前科がある」「誰それは痴漢である」「誰それの住所はどこ」といったような表示が出てくるような、明確にプライバシー侵害といえる限定された検索結果については、それを表示しないということが、法的な責任であるかどうかは別として、検索エンジンの取り組みとしてあってもいいのではないか。従って、タイトルそれ自体がプライバシー侵害になっていると評価できるものについては、タイトルは表示しない。ただし、この場合は、スニペットやリンク自体は残る。また、スニペットに問題がある場合はスニペットを非表示にするが、リンク先には行けるようにする。このように、ヤフーは検索結果からすべてを落とすのではなく、できるだけリンク先に飛んでいけるようにするという形での限定的な処置を行うことにしています。
結論においては、そんなに大きな違いはないように思いますが、ヤフーの今回の報告書は、これまでの日本の法的な枠組みを踏まえて情報を削除していくということを出発点としている点で、グローバル企業であるグーグルの対応と違いが出ているのではないか、と思います。
−−今回のヤフーのスタンスは、検索結果の表示についても、表現者の1次情報による人格権侵害と類似の状況がある場合は、自らが対応すると。
宍戸さん そうですね。ただ、注意したいのは、1次情報がプライバシー侵害をしているかどうかという評価が非常に難しいことを前提にしている点です。1次発信者によるプライバシー侵害が明確な場合にしか対応しないというのでは、何も対応しないということにもなりかねない。微妙なところですが、こうした取り組みはヤフーが厳密に法的な責任を負うとか、裁判で争われた時、このような基準で判断されるべきだ、ということとは、ひとまず切り離して考えています。
−−ヤフーの基準では、一般人が非公表にしている住所氏名がネット上で公開されている場合、削除対象になっていますね。
宍戸さん おそらく今までもそうだったのではないでしょうか。何か理由がある場合や公人には別ですが。ただし、これもリンクを消すのではなく、スニペットなどに住所氏名が出てくる場合、それを見えなくするということですね。
−−リンク自体を消すのはなるべく避けたい気持ちがあると。
宍戸さん そうだと思います。リンク先で情報を発信している人の表現の自由、また、その情報を見るというユーザーの「知る権利」を考えたときに、検索エンジンがリンク自体を落としてしまえば、インターネット上の表現は届かなくなります。ネット社会における検索エンジン、検索サービスの使命、社会的機能から考えれば、その表現が裁判で争われたときに明確に制限されるというもの以外、検索エンジンが勝手にリンクを落としてしまうことには、慎重であるべきだと思います。
−−タイトルやスニペットに、人格権侵害が明白であるような文言が出てきた場合にはそこを見えなくするのですね。
宍戸さん そうです。リンクのURLは残して、できるだけ限定的な処理を行うということです。もう一つ、検索エンジンを利用するユーザーの側の行動の仕方にも注目した議論を行いました。例えば、ユーザーが「宍戸」と打ち込むのと、「宍戸 犯罪」と打ち込むのとでは違います。「宍戸 犯罪」とまで打ち込んで調べようとする人は、いろんなことをわかって調べようとしている可能性が高い。そうすると、「宍戸と打ち込んだときに出てくる検索結果を消してくれ」と言われている時に、「宍戸 犯罪」と打ち込んだ時の検索結果まで消すかどうかは難しい。削除を求める方が、このキーワードあるいはその組み合わせによる検索結果という形で、削除の対象を指定していただき、合理的な範囲内で消していくということが自然でしょう。
◇緊急・重大な侵害ケースは別の対応が必要
−−消してほしいという側からの観点に立った場合、今回のヤフーの基準は実効的でしょうか。例えば最近の川崎の事件。少年事件ですから、新聞社は加害者の少年の名前は出しませんが、インターネットでは「この人が加害少年だ」というかたちで顔写真などの情報が掲載され、検索でもたどり着くことができる。この状況に何らかの対応をすべきでしょうか?
宍戸さん 有識者会議の報告書が想定しているのは、検索エンジンを通じた、いわば通常のプライバシー侵害です。川崎の事件のような緊急かつ重大なプライバシー侵害についても一定の検討は行いましたが、そうした問題については、別途、ヤフーがこれまでも対応してきています。ネット上の違法有害な情報の流通の問題は非常に幅広い。プライバシーの観点から、検索エンジンをめぐる対応は一つの切り口にすぎず、全体をカバーできるものではありません。
川崎の事件のような問題は少年法の趣旨も踏まえ、また、犯人探しのような形で一気に過熱するような事件が起きた時にどう対応するかというのは、別の切り口でより突っ込んで検討すべき問題だと思います。
ただし、この場合でも、犯罪という社会的な公共性が高い事案なので、検索エンジンがどんどんリンクを切っていいのかは考える必要があります。このような事例では、まとめサイトや情報を集約する掲示板サイトの方が根底的な問題で、そういうサイトをどうするかの対応がより優先されると思います。一般のプライバシー侵害よりも、より大きな対策が必要で、児童ポルノサイトをブロッキングしているのと近い対応を迫られるかもしれません。
インターネット上で起きている違法有害情報の流通は非常に多種多様です。それぞれについてきちんと考え、プライバシー侵害がどういう状況で起きていて、どのような対処が効果的で、かつ、正当な表現の自由の行使に対する影響が小さいか、また、インターネットのあるべき姿について丁寧に議論を積み重ねていく必要があると思います。