全く異なる考えを持った人たちが、フェミを名乗って好き勝手言ってるからです。
いわゆる、フェミは1人1派というやつね。
だから、あらゆる層からヘイトを集めやすく、フェミ叩きが目立つ(ように見える)。
しかし、フェミ叩きを紐解いてみると、その時々で右だったり、左だったり、男性ヘイトだったり、
フェミとは直接関係ないその人自身の考え方が叩かれてる場合が殆どです。
問題は発言主がフェミと名乗っているので、「フェミが○○と主張してる」という形で反発されやすいことと、
そういった反発を受けて今度は発言主とは正反対の考え方を持ってるようなフェミまでもが
「フェミが批判されてるぞ!」と参戦してきて、最初の論点なんかどっかいって、極めてワンパターンな
泥仕合的罵り合いで終わってしまうことですね。
話は変わりますが、弱者男性論争で個人的に興味深かったのは、フェミが普段とは逆の立場に置かれたことですね。
フェミを攻める弱者男性の側が特定の個人ではなく、各々が弱者男性を名乗って(あるいは代弁して)
いろいろ主張してるので、フェミが「弱者男性とはどんな人なのか」、「要求はなんなのか」と当惑していたのは、
見ていて少し可哀想でもありました。
この声に答えるなら、弱者男性の実態も、要求も、特定することは不可能なんじゃないのかなぁと。
弱者男性というのは、結局誰でも名乗れる自称で、そこに何かしらの共通的見解はないでしょう。
もちろん書いてる当人には何かしらの主張はあると思いますし、掘り下げれば出てくると思いますが、
それをイコール弱者男性の主張とみなすことは不適当ですよね。それはあくまで個人的見解ですし。
そういった点では、弱者男性というのは形式的にはフェミ的で、ただでさえフェミが関わると話が
発散しやすいのに、弱者男性までそうであっては、まともに議論などできるわけがないよなぁと
眺めていて思うわけですね。