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※本部職員の本来の姿は職業としてではなく、先生の手駒となり広宣流布の戦いのお手伝いを し、会員奉仕が使命。
頭が丸めてなく服きていますが要は僧侶と同等。会員さんの浄財で飯を食べているのです。
それを聖職者と世間一般では言うんですよ(笑)
あ=国民の税金で食ってる公務員は聖職者という考え方とおなじですね。
それ「比喩」の範疇ですよ。
会社の社長と幹部は社員の働きで賃金受けている聖職者ですか?
創価学会という組織の「職員」でしかありません。
創価学会の会長とか理事長という肩書に「宗教的権威」を感じるようなら、
信心おかしいとおもいますよ。
いままで数々の大幹部が創価学会から追い出されましたが、その度に
一般の学会員さんが分派でもするならば、たしかに創価学会としての
「宗教的権威」があったといえるかもしれませんが、そういうことは
まずありませんよね。
なぜだと思いますか?
社会的肩書や役職で、信心の厚薄を考えていないからです。
公明党の議員が、現職であっても勇退されたあとでも支援者から「先生」と
呼ばれないのはなぜか?
秋谷元会長を「先生」という人いますか?
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