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富士宮さんへのお返事です。
※わたしが言いたかったのは悪を叩き出すには内部革命(内部を強くする)
しなければなりませんよね。
池田先生は54年、内部の魔性と戦いましたが潜水艦のごとく広布功労者宅を
中心に訪問激励を始めました。
そして内部を強くし魔との闘争に挑まれました。
おっしゃる通りですね。
当時内部にも「魔」がいたということは厳然たる事実です。
ただし、その「魔」の所作とは仏法の上からみて、“だれにでもおこりえる”事だと
いう感覚が大事だとおもいます。
※訪問激励で池田先生は「山崎と坊主が悪い」「あいつらは繋がっている」と
言って回っていったのですか?違いますよね。
この点については、私も富士宮さんに詫びなければいけません。
信濃町くんに大白蓮華の「部分」を答えてもらおうとしたのは、「破邪」の行為
と、その目的が「正法を守る」ためであることを教学をベースに考えて
いただきたかったのです。
他のかたも懸念されていましたが、彼が「現役の学会員かどうか」で排除をする
かどうかといった目的で質問を繰り返していたのではありません。
従って、答えられない=なりすまし決定 ではありません。
富士宮さんがおっしゃるように、誰々が悪い・・あいつらは派閥だと示した
ところで、「魔」が斬れるわけではありません。
むしろ、私との行きがかり上の対話で、富士宮さんが「信濃町氏」に対して
偏見をもってしまっていたのなら、私にも罪があります。
※結局は愚痴や怨嫉など魔に食い破られているのはあなた方なのです。
たとえ同志であってもその己身の「魔」と対峙するにあたって、一番大事なのは
自分が「魔」を見破る目をもっているからといって、「魔」に食い破られるはず
がないとは思わないことだとおもいます。
※部外者とわたしは見ていますが
この点について池田先生の指導を引用させていただきます。
◎法華経とは、末法の法華経、すなわち御本尊であります。
「法華経をば経のごとく保つ人人も」とは、御本尊を受持している人々すべてに
共通いたします。
たとえ、そういう「法華経をば経のごとく持つ人々も」、それは形のうえのみで、
実際は、もし「法華経の行者」―――別しては、御本仏日蓮大聖人お一人であられる。
また、総じては、日蓮大聖人の門下、すなわち正法を持って広宣流布に向かって、
日夜、真剣に活動している人―――を憎んだり、謗る者には、功徳がないばかりか
かえって罰をうけてしまうという御金言なのであります。
(以上引用)
【「日如御前御返事」尊く同志を信頼しあおう 御書要文講義 池田大作大作全集24~】
これは創価学会とか日顕宗とか処分者がどうのではなく「日蓮門下」として、
どのように「善導(指導)」をしなければならないのかを考える上で、とても
重要な部分だとおもいます。
残念ながら、信濃町くんとそのオトモダチ、また「組織の悪(?)」という
概念に囚われてしまっている人は、おなじ池田門下の同志といえど「個人」を
憎み謗れば「罰をうけてしまう」という部分を、自分がもっている「情報」を元に
責任者に「罰(社会的制裁)をうけさせる」と勘違いしているのです。
この考え方はおかしいのです。
戸田先生が言われるように、謗法を犯したものは「御本尊様」によって罰せられる
のです。
「私たち」が「御本尊」に成り代わって罰するのではありません。
この考え方では、月に変わっておしおきよ!の正義の味方「セーラームーン」です(笑い)
往々にして原理主義者的な方は「御本尊になりかわって処罰する」ことを好まれる
方が多いことも否めません。
俗っぽい言い方になりますが、他者を善導するには
@罪を憎んで人を憎まず@の心構えがもっとも大事だとおもいます。
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