|
|
信濃町の人びとさんへのお返事です。
※組織や幹部全てを否定していないが、追求されている側は余程困るのだろうね。
レッテル貼り、反逆者、追放
谷川らしい。
信濃町くんの目には聖教新聞の記事すら「谷川」氏の意向だと
バイアスをかけるているという好例ですね。
だから、聖教新聞社が発刊する大白蓮華の内容にも触れることができなかった
のだと考えれば、彼が口をつぐんだ理由も解る気がします。
信濃町くんのように「憎しみ」「謗り」の心を「改革」の看板の元で「是」と
するかぎり、いくら新聞でも大白蓮華を出しても、「~をされるとよほど困る」
という結論に導かれます。
ようするに学会員として、信心の研鑽の糧とする「聖教新聞」のとらえかたではなく、
すでに「我見」に凝り固まり囚われた“谷川氏(現執行部)批判の糧としての
「聖教新聞」。
内部アンチさんや日顕宗の門徒と同じ発想です。
そういえば、本日付けの社説にはこうありました。
※”誰ともつながりうる”社会は、逆に言えば”嫌な人とはつながる必要がない”と
いうこと。
ネット上では、価値観や考え方の似た人とつながりがちだ。
それは、情報ネットワークを基盤とするグローバル社会の落とし穴といえる。
信頼を深め合う「一対一の対話」が要請されるゆえんでもあろう。
相手の善性を信じ抜き、共々に、豊かな人間性を輝かせていくのが、仏法の説く
生き方だ。
( 2014/8/28付 聖教新聞社説
「あす「国際部の日」 光放つ”信頼のネットワーク”より抜粋 )
おそらく池田先生の指導に則ったこのような主張も、信濃町くんのように
「斜め読み」をする人からすれば、“谷川とその手下がなにをいうか”と
一笑に伏すでしょう。
あらためて考えてみてください。
そういった皮肉にまみれたコメントを言わざるをえない生き様をネットで晒す
事は、学会員さんや、そうでない人からみて信心をして「絶対的幸福」
を得ている人に見えるでしょうか。
|
|