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信濃町の人びとさんへのお返事です。
※悪に対して何も言わない。破折しない。
それでは、魔をかばうことになる。己心の魔に負けているのだ。
このスピーチの前段には
「17年前、嫉妬に狂った邪宗門に対し、村山の有志が正義の師子吼を
あげたことも、永遠に刻まれるべき歴史である。
そして今再び、ここ第2総東京から、創価の正義の新しい勝利の大音声が
響きわたったのである。
(略)
罪なき仏子を苦しめる人間。正しい人を陥れる嫉妬と謀略の人間。
学会を食い物にしようと狙っている私利私欲の人間。
こうした悪い人間が出たならば、放置してはいけない。早く糾すことだ。
声が「仏」の仕事をする。真実をありのままに叫ばなければならない」
(2008・3・11 )
とありますね。
日顕宗がC作戦を創価学会に対して行った際、東村山の有志が声をあげた。
基本的には「坊主」(主犯格)と「お先達」(実行犯)が対象ではありませんか?
で、この理屈を信濃町さんの問題提起の論拠とするには、主犯格と実行犯の
共犯関係が証明されなくてはなりません。
ただたんに学会員に対して「怪しい」というだけで突き上げれば破和合僧の大罪を
負うことになります。
池田先生は「指導の仕方」についてこのように指摘されています。
第三は、感情的な面のみで反対する人。
彼が、地区部長になってしまったから、面白くないとか、あの幹部に叱れたから、
というように我をはっている人たちです。
(指導集 165ページ)
基本貴殿等の「憂慮」は、書かれている内容を見る限り感情論が先立ち
結論ありきのような気がします。
なぜなら「問題提起」はできても、それをどうすれば解決できるかが結局
「人任せ」だからです。
ただたんに、そういった危険分子がいたとして、その人物を「排除」をしたところで
変わりの誰かが選出され任につくだけです。
そうなった場合、信濃町さんは納得できますか?
創価学会員(幹部)として指導できるのは「信心」「折伏」と「功徳」だけだと
戸田先生は指導されています。
◎ただ、班長、地区部長が、偉大なる確信をもって言える指導は、信心と、折伏と、
御本尊様の功徳のことだけである。
(昭和三十年十一月一日:戸田城聖先生指導集109ページ)
こうかくと、あべひは「法律」を出していたじゃないかといわれるかもしれませんが
「法律」などを出す場合は、処世法の「見識」をもって意見を述べているだけです。
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