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長いですが熟読し自分の行動が師匠の心に適っているのか、何を根本とさているのか。
よく考えて欲しいものです。
・師弟不二の道か
・師弟の道か
・単なる師匠利用か
・師匠すらない人生か
2008年2月2日付 聖教新聞
各部合同協議会での名誉会長のスピーチ 下-1
青年よ大指導者と育て
50年前師から弟子への遺言「あとはお前だ。頼むぞ!」
一、戸田先生は、女子部に指導された。
「苦しい環境にあっても、その環境に支配されてはいけない」
現実を、必ず、いい方向に変えていけるのが、信心の福智である。生命力が弱いと、環境に支配され、目標を見失って流されてしまう。
御本尊への真剣な祈りで大生命力を奮い起こし、今、自分がいる環境を動かしていくの
だ。
先生は、「苦労なくして、真の指導者は育たない」「人間は、鍛えてもらったほうが得で
ある」とも言われていた。
試練の中で鍛えられてこそ、人間としての力も、大いなる福運も、わが生命に備わって
いく。
沈黙するな臆病になるな?
一、戸田先生は、厳然と言われた。
「恩知らずの、傲慢な幹部がいたならば、厳しく、遠慮なく叱りなさい。どんどん、自分の真実の思いを言い切っていきなさい」
下から上へ、厳しく叫べ! それが、牧口先生、戸田先生の鉄則である。沈黙してはい
けない。臆病であってはいけない。
ともあれ、幹部は気取りを捨てることだ。
格好ではない。リーダーとして大切なのは、「情熱」と「正義感」と「慈愛」である。
真剣な実践も、拡大の実績もないのに、幹部として偉そうにするなど、もってのほかだ。
役職など関係ない。上も下もない。
戸田先生は、師匠のもとで弟子は皆、平等であると強く言われていた。
どうか皆さんは、広布のために苦労をいとわず、会員のために誠実に尽くし抜いて、本物のリーダーとして成長していってほしい。
先生は、さまざまな角度からリーダー論を教えてくださった。
「立派な指導者となるためには、しつかりした経済観念がないといけない」とのご指導
も、紹介しておきたい。
一、戸田先生は、古今の名著を達して、私たち青年を薫陶してくださった。その中でも、
『三国志』は、じつに思い出深い。私も、何度も何度も読んだものだ。
東京富士美術館では、この5月、堂々たる「新館」が落成する。「新館」のオープンを記
念して、5月3日より、「大三国志展」が盛大に開催される予定である。
ある時、先生は、「劉備玄徳は、優柔不断であるから、魏(ぎ)の曹操(そうそう)に敗
れたのだ」と鋭く指摘された。
優柔不断というのは、リーダーにとって大きな欠点となる場命が多い。
ずるく、卑怯な人間の優柔不断は、結果として、敗北を招く。
つくべき人を誤ってはならない。
正義の人、勇気の人、明快なる人についていく。これが大事である。
先生は、女子部の人材グループであった「華陽(かよう)会」に出席された折、『三国志』
を通して、こう指導された。
「人物を見る場合、地位とか役職とかによって、こちらで決めてかかってしまう。
人を見る前に、この人はこういう人だという一つの映像をつくってはいけない」
大変に重要なお言葉である。
また諸葛孔明は、「礼に欠ける」のは指導者失格であると戒めていた。
傲慢になれば、有能な人材を登用することができないからだ。
リーダーの皆さんは、深く心に留めていただきたい。
若さとは行動!後継の3.16へ
師弟勝利の黄金の歴史を!
恩師の遺命の実現へ奔走
一、昭和34年(1959年)9月2日、31歳の私は、日記に次のように綴った。
「一日ごとに、老若の差が開かれていく──。先輩よ、牧口先生のこと、戸田先生のことを、もう忘れたのか、と激怒したかった。
自己保身、それよりも、王仏冥合、広宣流布の建設と、恩師の勝利の実証を第一義として、総て考えゆくべきだ」
戸田先生が亡くなられて、約1年半。年配の幹部の中には、師の指導を早くも忘れ、広宣流布への情熱を失って、慢心に陥る人間もいた。
そうした中、私は総務として一人、学会の全責任を担って立ち、恩師の遣命の実現へ奔
走していた。
戸田先生が逝去されたのは昭和33年4月2日。その直前の3月16日の式典で、先生
は、私たち青年に広宣流布の一切を託された。
本年は、この3・16「広宣流布記念の日」の50周年にあたる。
ここで、昭和32年の終わりごろから「3・16」までの師弟の闘争を、私の日記など
をもとに、振り返っておきたい。
かいつまんでの紹介ではあるが、少々長くなるかもしれない。
しかし私は、特に青年の皆さんに、本当の師弟の姿を知っておいてもらいたいのだ。
「必ず成し遂げます!」
一、昭和32年11月20日──。
戸田先生は、予定されていた広島行きを中止された。先生のお体を考え、私がお止めし
たのである。先生は足に力が入らず、歩行すら困難な状況であった。
医師の診断では、肝硬変症とのことであった。
過度の疲労が重なり、黄疸と腹水を併発。全身衰弱が著しく、重篤な状況であった。
そのため絶対安静とされ、先生は、ご自宅で闘病に専念されることになったのである。
11月23日、私の妻が先生のご自宅へお見舞いにうかがった。その二日後、私は先生
から「留守をしっかり守れ」との連絡をいただいた。
鍛えた者が最後に勝つ
戸田先生 苦労なくして人は育たない
30日、私は品川での本部幹部会の後、先生のご自宅へお見舞いにうかがった。少し元
気になられたお姿を拝見し、安心したことを覚えている。
12月10日、私は再び先生のご自宅へお見舞いにうかがった。病状が好転されている
ことを聞き、本当にうれしかった。
先生に、一日でも長生きしていただきたい。広宣流布の指揮を執っていただきたい──
それが弟子としての私の願いであり、祈りであった。
16日の午後には、戸田先生から電話でご指導をいただく。
あの人間には注意せよ! あの人間には厳重に指導せよ!──先生は、病床にあっても、
未来のことを案じて厳しく語っておられた。
翌日の朝、私は先生のご自宅を訪れ、1時間にわたって指導を受けた。
この時、75万世帯を達成した後の目標についておうかがいした。
先生は、命を振り絞るようにして言われた。
「大作、あと7年で、200万世帯まで戦いたい。できるか!」
私は即座に、お答えした。
「やります! 必ず成し遂げます! 勇気百倍、断固、戦います!」
2カ月後、先生はさらに「7年で300万世帯」の目標を示してくださった。この大目
標も、私は4年後に達成した。
師匠が言われたことは絶対に成し遂げる。それが真実の弟子であるからだ。
年末の29日にも戸田先生のご自宅へ、あいさつにうかがった。先生は学会の将来につ
いて、こまごまと注意、指導をしてくださった。
「10年間、苦難の道を歩みゆけ!」
一、年が明けて、昭和33年1月。先生は病気を克服しつつあった。
しかし、2年間の獄中生活をはじめ、長年にわたって酷使を重ねてきた肉体の衰弱は、
いかんともしがたいものがあった。
先生は、ご自身に残された時間をご存じであったのであろう。
「もし私が死ぬようなことがあったら──」と言われ、連日のように、大切な指導をし
てくださった。
17日には、学会本部で先生から、人事などについて注意をいただいた。
その翌日、私は3月の総登山の運営に関して、首脳が現実を掌握せず、現場の青年たち
が苦しんでいることを、先生にご報告した。
先生は、厳然と言われた。
「やりづらくとも、君たちが、学会を支えてゆくのだ」と。
"青年の手で新しい学会をつくれ! 君たちが次の時代を開くのだ!"との深きお心であ
った。
2月13日の夜、私は先生のご自宅へうかがった。
先生より、
1.学会青年部の未来性への指示2.学会幹部の指導原理
3.仏法と社会へ
の指向
4.学会の究極の使命について、種々、お話をいただく。
2月19日にも、先生のご自宅へ。私が3月から学会本部の職員となることについて、
先生は「君の本部入りは天の時だ」と語られた。
また、「10年間、苦難の道を歩みゆけ」と厳愛のご指導をいただいた。
さらに2月22日、先生は師子吼された。
「阿諛諂佞(あゆてんねい)の輩(口先巧みにへつらう、邪な心の人間)は全部切る!」
「組織を乱しゆく者、信心利用の者も、また同じである」と。
未来を見すえての、遺言のごとき、烈々たる叫びであった。
大詩人タゴール
君の心を束縛するすべての鎖を断ちきって前に向かって突進せよ
次の50年を託す
一、そして3月。
私は、20万人総登山の運営の全責任を担った。
1日、戸田先生とともに、学会が建立した大講堂の落成の式典に出席。終了後、エレベ
ーターの中で、先生は私をじっと見つめて言われた。
「これで、私の仕事は終わった。私はいつ死んでもいいと思っている。大作、あとはお
前だ。頼むぞ!」
電撃が私の五体を貫いた。
5日。大阪事件の裁判で関西に向かうため、私は戸田先生にごあいさつ申し上げた。
先生は言われた。
「君は罪を一身に背負おうとした。本当に人の良い男だな。でも、だからこそ安心だな、
学会も」「最後は勝つ!」「真実は、必ず明らかになる。堂々と、堂々と男らしく戦え!」
先生は、私の苦衷をすべてわかってくださっていた。本当にありがたい師匠であった。
どんなことがあっても、必ず裁判に勝利して、先生にご報告をするのだ──私はそう固
く心に誓った。
2008年2月2日付 聖教新聞
各部合同協議会での名誉会長のスピーチ 下-2
このころ、戸田先生に対して、ある青年都幹部が「これからの学会は、何を敵として進
んでいけばよいのでしょうか」と質問をした。
先生は、厳しく言われた。
「敵は内部だよ」
この質問をした幹部は、後に名聞名利に信心を食い破られて退転し、学会に反逆した。
先生は、その本質を鋭く見破っておられたのである。
そして3月16日──。
広宣流布の模擬試験となる儀式が、晴れやかに行われた。
式典には、時の首相が参加する予定であったが、残念ながら出席できなくなった。代理として首相の夫人と娘婿らが参加してくださった。
式典の司会を務めたのは私であった。
戸田先生のお体は、すでにかなり衰弱しておられた。しかし、全生命を振り絞るように
して、男女青年部を前に話をされた。
そして、「創価学会は、宗教界の王者である!」と高らかに宣言されたのである。
3・16の儀式については、これまでもさまざまな形で語ってきた。
この日、戸田先生は、私を中心とした青年たちに、広宣流布の一切を託してくださった。
それから50年。今、私は、だれよりも信頼する青年部の諸君に、広宣流布の「炎のバ
トン」を託したい。
若き君たちに、雄々しき師子となって、次の50年の勝利を開いていってもらいたいの
だ(大拍手)。
誠実で道を開け
一、戸田先生は言われていた。
「指導者になろうとする者は、何があっても読書を忘れてはならない」
先生の厳しい訓練のもと、私は徹して読書に挑戦した。その一つ一つが、すべて私の血肉となっている。
ここで、世界の先哲の言葉を紹介したい。
インドの大詩人タゴールは歌った。
「君の心を束縛するすべての鎖をたち切って/前に向かって突進せよ──/よろこびと
悲しみとを超えているものに向かって」(片山敏彦訳「渡り飛ぶ白鳥」、『タゴール著作集第
1巻』所収、第三文明社)
いい言葉だ。
我らには妙法がある。御本尊がある。
どんな苦難も乗り越えて、さっそうと進むのだ。わが生命の凱歌をあげゆくのだ。
近代日本の詩人であり、作家の国木田独歩は綴った。
「要は、誠実に働くのみ。其のうちに意味あり、希望あり、幸福あり」(「家庭小話」、『国
木田獨歩全菓第1巻』所収、学習研究社。現代表記に改めた)
大事なのは誠実だ。誠実が、人の心を動かす。誠実の行動が道を開くのである。
19世紀フランスの科学者ルイ・パスツール。
彼は、恩師であるジャン=バチスト・デュマヘの感謝を、こう語っている。
「先生の講義の後で、何時も私はソルポンヌから恍惚として、時としては涙ぐむ程感激をして出て来たものであります。
この時以来、先生の教授としての才能、先生の不朽の業績、先生の高貴なる性格は私の心に崇拝の念を起させ、それは私が齢を重ねるに伴って、強まるばかりでありました」
(ヴァレリー・ラド著・桶谷繁雄訳『ルイ・パストゥール』冨山房、現代表記に改めた)
パスツールは、偉大な師であるデュマを「心の灯」と呼んだ。
輝かしい業績を残した晩年においても、"私は、師匠デュマに激励された弟子である"と幾度も語ったという。
師弟に生き抜く人生は美しい。
師弟に生き抜けば、無限の力を発揮していくことができるのである。
真剣に訓練を
一、必勝の条件とは、何か。その一つとして、中国の古典『管子(かんし)』は、こう説いている。
「たゆまぬ訓練を行なうこと。たゆまぬ訓練は無敵である」(松本一男訳『中国の思想8
管子』徳間書店)
広布の戦にあっても同じだ。
戸田先生は、一面、本当に口やかましかった。そうやって、青年を育ててくださった。
今は口やかましい人が少なくなった。"我関せず"と、悟り澄ました格好をする。それでは、人が育つわけがない。真剣に訓練していかなければいけない。
『管子』も、戸田先生のもとで、暗記するくらい懸命に学んだことが懐かしい。先生の訓練はすべて、学会の将来を見すえたものであった。
「中央アジア・ウズベキスタンの大詩人ナワイーは、高らかに歌った。
「疲労やわびしさ、悲哀など吹き飛ばすのだ。迫害の嵐にさらされる運命にあっても、
心軽やかに乗り越えていこう。
どんなに大きな困難があっても、心軽やかに立ち向かう人が勝利者となるのだ」
この言葉を、自分に言い聞かせながら、あらゆる苦難をバーツと吹き飛ばして、心軽や
かに前進したい。
一騎当千たれ!
「きょうは大事な協議会である。そして、学会が一段と発展していけるかどうかの分か
れ目が「今」である。
この時に、心に隙があれば、大きく崩れてしまう。今いる皆さんで、未来は決まる。ゆえに、断じて手を抜くことはできない。
未来のために、もう少々、語っておきたい。
学会は、大きく発展した。これだけの世界的な学会になった。盤石な土台ができ上がった。
その上に見事な大建築をつくり、広げていくのは、若き君たちである。
すべては「人」で決まる。これからの「人材」で決まる。
一人一人が一騎当千の将となって、世界一の大人材城を築いていただきたい(大拍手)。
「慈悲」を世界へ
一、私が現在、月刊誌「潮」で語らいを連載している、中国の国学大師の饒宗頤(じょ
うそうい)博士は、次のように述べておられた。
「私は池田先生と出会って、今、『創』という言葉を、人生のテーマとしようと決意して
います。『創価学会』の『創』、牧口常三郎初代会長の言われた『価値創造』の『創』です。
池田先生は常に、尽きることなき創造力をもって、多くの人々を鼓舞してこられました」
「池田先生が法華経の本義に則り、慈悲の精神を宣揚し、これを世界に広め、人材を育てていらっしゃること──そこから学ぶ者は『火宅も清涼となる』の感を抱き、『暗闇も暁となる』という目覚めの讃歎を叫ばざるを得ないのです」
すべて創価の平和・文化。教育運動への評価である。世界の知性の声を、ありのままに紹介させていただきたい(大拍手)。
〈饒博士は、こうも述べている。
「(日本や世界の青年に知ってもらいたい文学・芸術作品は何か、という質問に)もとも
と読書が好きな人に対しては、私が紹介するまでもないかもしれません。しかし、今日、平和な世界を築くという意味において、池田先生の思想と境涯を、皆が深く学ぶべきだと思います」
さらに「池田先生が強固な信念のもと、中国のみならず、世界の各世代、各分野のリーダー、そして民衆と友情を結んでこられたことは、誠に偉大です。これほど広範かつ長きにわたって交友を温めてこられた方は、極めて稀ではないでしょうか」と語っている〉
若々しい声で
一、リーダーは、声一つ、言葉一つで、皆に勇気と希望を与えていくのだ。
覇気のない、枯れ果てたような声では、だれも感動しない。
「春が来た!」「いいな!」と感じさせるような、生き生きとした声で、同志を鼓舞していっていただきたい。
妙法を持つ我々は、年齢には縛られない。年を重ねても、若々しく、福徳を増しゆく不可思議の法であるからだ。
大科学者パスツール 師匠は私の「心の灯」
全員が責任者!
「リーダーは、「全員が会長」「全員が広布の最高責任者」との深き自覚に立っていただきたい。
これまでも、どんな嵐にも揺るがず、わが地域の同志を守り抜き、道なき道を切り開いた庶民の王者がたくさんおられた。その方々のおかげで、学会は、もっているのだ。
今や、世界190カ国・地域に広がる創価の大連帯である。
中核となる人材を、100人、1000人と、今、つくっておかなければ、大変なことになる。
中国の古典『書経』に、「指導者の心得」が記されていた。
「不測の事態に対する備えを怠らない」
「安逸に流されない」
「すぐれた人材を登用し、信頼して仕事をまかせる」
「悪に気づいたら断固取り除く」
〈守屋洋・守屋淳著『中国古典の名言録』東洋経済新報社)
すべてのリーダーが心に刻み、実行していっていただきたい。
「師を求めれば王者となる」
一、キューバ独立の父ホセ・マルティは綴った。
「行動力は若さの象徴である」(柳沼孝一郎・青木康征訳『ホセ・マルティ選集第2巻』
日本経済評論社)
行動しなければ、人も、団体も、伸びない。学会は、行動し抜いてきたからこそ、すべてに晴れ晴れと勝ってきたのだ。
中国の『書経』には、「能く自ら師を得る者は王たり」──「自分から師とすべき人を求めえたものは天下の王者」となれるともあった(小野沢精一著『新釈漢文大系26 書経(下)』明治書院)。
反対に、師を求めようとしない人間には、成長も、進歩もないであろう。
戸田先生は私に、「お前は、本当に師匠を大事にした。王者だよ」と語ってくださった。
これこそ、わが青春の誉れである。
戸田先生との思い出は尽きない。
戦後間もないころ、学会はまだ小さかった。一番大変だったその中で、私は先生に、「将来必ず、学会を世界的に大きくします!」と申し上げた。
弟子の誓いに、先生は涙しておられた。
肺病の私を心配され、「俺の命をあげたい」とまで言ってくださった先生である。
この先生の心があったから、私は戦えた。
師弟があったから、学会は勝ったのである(大拍手)。
次は、君たち青年の番だ。青年部に、一切を託したい。
役職が上だから偉いのではない。信心で決まる。行動で決まる。青年が、下から上を動かしていくのだ。
そのためにも、若き諸君が、学会精神を忘れることなく、しつかりと戦い抜くことである。こんなに素晴らしい団体はないのだから。
未来は、すべて若き皆さんにかかっている。よろしく頼むよ!〈会場から「ハイ!」と
力強い返事が〉
きょうは長時間、本当にありがとう!(大拍手)
(2008・1・29)
各部合同協議会での名誉会長のスピーチ 下〔完〕
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