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鉄齋さんへのお返事です。
全くの正論ですね。どちらが正邪か。
おかしなことを指摘して何が誤りなのか。
彼らの言いがかりは意味不明です。
> 先ほどからの佐渡御書と同時期の諸法実相抄であります。
> 卑しくも創価学会員であり、池田先生門下
> であるならば、
>
> 蓮祖の仰るごとく、学会は霊山一会の
>
> 不思議にして厳粛な団体・和合僧団で
> あり、
>
> そこでの身口意の三業は全て蓮祖大聖人
>
> のご照覧の所であります。
>
> であるからして、我人も共に
>
> 蓮祖・三代会長先生にも恥じる所
> なしやと恐れる所でもあるし、
>
> 本陣にあってもし、仏のお叱り
>
> を恐れぬ愚か者あれば、諌めんとの
>
> 皆さんのご意向に深く同意する
> ものであります。
>
> 地区や支部にて地湧の菩薩の皆さんの
>
> お給仕をさせて頂くのも、本部に
>
> ありて会員奉仕に精励するも
>
> 精神は全く同じでありましょう。
>
> むしろ職員は常不軽菩薩の敬虔さ
> で執務し、身を慎むのが当然でありましょう。
>
>
> 日蓮は其の座には住し候はねども、経文を見候に少しもくもりなし。又其の座にもやありけん、
>
> 凡夫なれば過去をしらず、現在は見へて法華経の行者なり、又未来は決定と して当詣道場なるべし。過去をも是を以て推するに虚空会にもやありつらん、
>
> 三世各別 あるべからず。此くの如く思ひつゞけて候へば流人なれども喜悦はかりなし。うれしき
> にもなみだ、つらきにもなみだなり。涙は善悪に通ずるものなり。
>
> 彼の千人の阿羅漢、仏の事を思ひいでて涙をながし、ながしながら文殊師利菩薩は妙法蓮華経と唱へさせ給
> へば、千人の阿羅漢の中の阿難尊者はなきながら如是我聞と答へ給ふ。余の九百九十九 人は泣 く
> 涙を 硯 の水として、
>
> 又如是我聞の上に妙法蓮華経とかきつけしなり。今日蓮 もかくの如し。かゝる身となるも妙法蓮華経の五字七字を弘むる故なり。釈迦仏・多宝 仏、未来日本国の一切衆生のためにとゞめをき給ふ処の妙法蓮華経なりと、かくの如く
> 我も聞きし故ぞかし。現在の大難を思ひつゞくるにもなみだ、未来の成仏を思ひて喜ぶ にもなみだせきあへず、
> 鳥と虫とはなけどもなみだをちず、日蓮はなかねどもなみだひまなし。
>
> 此のなみだ世間の事には非ず、但 偏 に法華経の故なり。若ししからば甘露の
> 涙とも云ひつべし。涅槃経には父母・兄弟・妻子・眷属にわかれて流すところのなみだは四大海の水よりもをゝしといへども、
>
> 仏法のためには一滴をもこぼさずと見えたり。
> 法華経の行者となる事は過去の宿習なり、同じ草木なれども仏とつくらるゝは宿縁なる べし、仏なりとも権仏となるは又宿業なるべし。
>
> 此の文には日蓮が大事の法門どもかきて候ぞ。よくよく見ほどかせ給へ
> 意得させ 給ふべし。
>
> 一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ。あひかまへて、あひかまへて、信心 つよく候ふて三仏の守護をかうむらせ給ふべし。
>
> 行学の二道をはげみ候べし。行学たへ なば仏法はあるべからず。
> 我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。 力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし。
>
> ◯諸法実相抄より
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