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魔女狩りがない点だけでも、私どもは仏教徒であってよかった。
仮にも、それに通じるような行為、宗教的権威による庶民狩り、信徒狩りがあったならば、それはもはや仏法ではない。外道である。
仏法破壊であり、当然、大謗法である。
無力な信徒を、問答無用に処分するような考え方や行為は、絶対に仏教ではない。
いわんや日蓮大聖人の仏法の世界では、大慈大悲の御本仏への反逆となろう。
仏法はどこまでも「人間尊重」であり、磨かれた「人格」によってこそ、社会の人々に「法」の偉大さも伝えていくことができるのである。
さて、ここに「宗教裁判」を終わらせた一人の無名の勇者がいる。
残酷きわまりない「魔女裁判」は、十七世紀の末の《新大陸》アメリカ(当時のニュー・イングランド=イギリスの植民地)でも行われた。
いわゆる「セーレムの魔女裁判」である。
今から三百年前の一六九二年。ボストン郊外のセーレムを中心に吹き荒れた「魔女狩り」の狂気は、短期間のうちに百五十人から二百人もの《容疑者》を生みだしていった。
しかし、この魔女裁判に対し、一人の壮年が勇気ある《抗議の声》をあげた。
その勇者はボストンの一市民、ロバート・カレフ。彼は織物商人であった。
カレフは、魔女裁判に対する「抗議文」を書き、魔女狩りを支持する有力者に送る。
しかし、返ってきたのは居丈高な反論であった。
なかでもロンドン王立学会会員のコトン・メーザーという人物は、立場にものを言わせて、この一庶民の抗議を封じこめるため、『目に見えぬ世界の驚異』という本を出版した。魔女狩りを正当化する内容である。
しかし、カレフは屈しない。彼は、メーザーの本に真っ向から抗議する本を出版する。
そのタイトルは『目に見えぬ世界のさらなる驚異』。抑圧への痛烈な風刺である。
いつの時代も、庶民の知恵は権力者のさらに上手をいくものだ。
ところが、こともあろうに権威者たちは、この庶民を名誉棄損で訴える。
《狂信の人間》は、手がつけられない。しかし、この度重なる攻撃に対しても、正義に立つカレフは一歩も退かなかった。
彼は《事実》にもとづき、魔女裁判がいかに《不条理》であるかを、正々堂々と論証した。
彼は、ある手紙の中で訴えている。
「もし私の主張が誤っているなら、その誤りを、聖書から、または裏付けのある論理に基づいてお示しくださるようお願いいたします」
――いわば《文証》と《理証》を要求したのである。
彼は、古代ローマの詩人の引用や、スペインのレトリック(巧みな表現の技法)を使っただけの、中身のない《論拠なき攻撃》には惑わされなかった。
文献のうえから、また理性のうえから、納得がいくよう説明してほしい。
それがなければ、どのように言葉巧みに言われても、決してごまかされない、と。
この一人の庶民の率直な《心の叫び》は、やがて世論のうねりを起こし、時流を変えていった。
これまで偽りの自白を強いられていた人々も、勇気をもって《真実》を語り始めた。
これは、それまでの陰惨な魔女裁判の歴史にはなかったことである。
ついに一六九三年五月、獄中にあった人々は全員釈放される。
さらに三年後の一六九六年一月には、セーレムの魔女裁判に立ち会った十二人の陪審員が連名で、自分たちの行った裁判の誤りを認めた。
いわく「われわれが不当にも傷つけたすべての人々に赦しを乞い、二度とこのような誤りを繰り返さないことを、全世界に向かって言明する」(前掲『魔女狩り』)と。
一人の庶民の《正義の叫び》はついに勝った。
勇気ある、そして粘り強い叫びが、人間の中にひそむ恐ろしい《狂気》を押しとどめた。
「人間性の復興」へと時流をも動かした。
このセーレムに「近代の夜明け」をもたらしたのが、一個の無名戦士であったという歴史は不滅の輝きを放っている。
新しい歴史、新しい時代を開くのは有名の人でも高位の人でもない。
地から湧き出るごとき民衆の《心からの叫び》なのである。
【海外・国際部代表研修 平成三年一月十八日(全集七十六巻)】
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