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ちょうど、2013年12月6日付けの聖教新聞に
「なぜ迷惑行為はなくならないのか」というコラムが掲載されていました。
その記事によると、迷惑という感情は「人が不快と感じる行為」で成立する
そうです。したがって「迷惑だ」と告げられ、他人が不快だと感じる事が
は妥当性があるといえます。
でも、「みんなやっているから」とか「ルールで決められているわけではない」
という言い訳は、自分さえ良ければ良いという行為だと書かれていました。
また、迷惑なことをする人もされた人も「自分を守る」事に必死になる
あまり、思考停止に陥って“自分が不快に思うこと=間違っていること”と
思い込んでしまえば、相手の主張を聞くことができなくなり、解決の道は
閉ざされるとも。
そう考えれば、「それはやめて欲しい」と言われたこと自体が大問題であるかの
ように喧伝するのは、迷惑をしている人となんら変わらない事を読者にも理解
していただくことが出来るのではないでしょうか。
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