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池田先生の指導です。
さて「戦争の世紀」といえば、最近、日本で発刊された作家チンギス・アイトマートフ氏の小説にも、第二次大戦中の一人の女性の《忘れ得ぬドラマ》がつづられている。それは脱走兵の妻を主人公にした物語で、タイトルは『セイデの嘆き』(邦題)という。
この作品は、このほど潮出版社から発刊された『チンギス・ハンの白い雲』に収められている。
なお、本の題名ともなっている中編小説『チンギス・ハンの白い雲』は、検閲と思想統制の厳しい時代には、描きたくとも描けなかった歴史的悲劇の側面を伝える作品であり、ゆえに、この本は「ソ連にペレストロイカが起こらなければ、発刊されなかった」といわれる。(=『セイデの嘆き』も、一九五八年に初めて発表された元の作品をペレストロイカ後に書き改め、『チンギス・ハンの白い雲』と同じく九三年、旧ソ連で発表された)
アイトマートフ氏は、ゴルバチョフ大統領と私の、共通の親友である。
氏は《ナイト(騎士)》の精神の人であり、革命児である。「正義」と「友情」のためには、命を賭して闘う男性である。
「友情」の強き絆――それは人間としてかけがえのない宝である。
金品や術策などで決してあがなえるものではない。真の人間性の世界を知らない者には、それがわからない。
卑しいことである。悲しいことである。
ゴルバチョフ大統領の来日を記念して発刊された『チンギス・ハンの白い雲』は、氏との「友情」の一つの結晶であり、私にはとくに大切にしたい一書である。
小説『セイデの嘆き』は、戦争中、十四歳の氏が故郷キルギスの村で目のあたりにした事件をもとにしている。
ここでそのあらすじを簡潔に紹介したい。
舞台は、ポプラの梢が風にそよぐ美しいキルギスの村。
可憐な花嫁セイデは嫁いでまもなく、夫を遠い戦場へと送り出さねばならなかった。
召集である。夫が出兵してから生まれた乳飲み子をかかえ、老いた病弱な姑の面倒を見ながら、彼女は隣人と励まし合って懸命に夫の留守を守っていた。
第二次世界大戦のころである。日本でも何百人という女性が、苦しみ、悲劇を味わった。
いずこの国でも、もっとも弱い人がもっとも悲惨な目にあうのが戦争である。ゆえに絶対、平和主義でいかねばならない。
そんなある日、突然、夫が戻ってくる。再会の喜びは大きかった。
しかし、彼女はたちまち果てしない不安につき落とされる。
夫は脱走兵として、戦場から一人逃げ出してきたのである。
かつての働き者で優しい夫とは、まったく別人になっていた。
スターリンの独裁の時代であった。たしかにたいへんな苦労もあったろう。ある意味で、彼も戦争の犠牲者であった。
だが、いまや夫は、自分が生き延びることしか考えない、浅ましい男に変わり果てていた。
それでもなお、彼女は、献身的に夫に尽くす。《どんな時代でも夫婦は一心同体》と思っていたのである。けなげな姿であった。
彼女は、脱走兵の夫を、村人に見つからぬようにかくまって懸命に守った。
貧しい村の食料が底をついていくなかでも、彼女は必死にやりくりをして、夫がひもじくないよう、食べ物を用意する。
夜中、人目をしのんで、隠れ家の洞穴まで、そっと届けるのだった。
しかし夫は、しだいに貪欲さを増していく。
「家には、まだ何か残っているだろう。隠すな!」と彼女につめ寄る。
口を開けば食べ物の話ばかり――。妻や子どもへの思いやりも、まったくなくなってしまった。
「信念」を失った人間は怖い。欲望の奴隷になってしまう。
まして、その人間が権威をもっている場合は、そのもとにいる人々は悲惨である。
彼女は、それでも夫をかばった。守りに守った。自分の夫が卑怯な脱走兵であるという恥ずかしさや、みじめな思いも耐え忍んだ。
ただ、逃亡してきた夫と入れ違いに、弟のような青年たちが出征する。
わが青年部のように生き生きとした若者が、愛する村人を守ろうと戦場に赴いていく――。
そうした姿を見るにつけ、彼女は自分が身代わりになっても、青年たちを助けてあげたいとの思いにかられた。
また、他の妻たちの境遇を思うと、自分の夫だけがおめおめと逃げて帰ってきたことへの、負い目、引け目は、どうしてもぬぐえなかった。
彼女は葛藤した。このまま夫を支えるのが正しい道なのか――。深く悩み、苦しんだ。
さらに彼女を励ましてくれた姑が亡くなった。
けれども夫は、実の母が死んだにもかかわらず、捕まることを恐れて弔いにはこられない。哀れな姿であった。
――昨年、恩師の三十三回忌を盛大に営んだ。
弟子として、絶対になさねばならない責務である。
しかし、学会を裏切り、同志を裏切った輩は、参列もできなかった。
彼らが、いかに「戸田門下」と名乗り、「元幹部」と胸を張ろうが、その背信の実体はこの一点だけでも明らかである。
いかなる理屈をつけようとも、この事実の姿が、恩師を利用するだけの、彼らの卑しい心根を、何よりも雄弁に物語っている。
【第四十三回本部幹部会 平成三年六月一日(全集七十七巻)】
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