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セイデは、それでも、情けない夫を守った。彼女は、信じ、尽くし、支えた。
まさにわが身を削って守ってきたのである。ところが、ついにその彼女が、夫を見限る時が来る。
捨て去る時が来る。いったい、何が起こったのか。
ある日、彼女の隣の家で牛が盗まれる。その家では、夫が戦死し、残された妻が三人の幼い子どもと寄り添って生きていた。
その貧しい母子にとって、一頭の牝牛だけがかけがえのない命の綱であった。
あどけない子どもたちが、その牛のミルクをどれほど待ちわびていたことか。
いわば、その家の牛だけは、だれ人も《絶対に盗んではいけない牛》であった。
ところが、それを盗み、殺して食べてしまった人でなしがいた。それが、なんと脱走兵のわが夫だったのである。
もっとも弱い人間を苦しめる――人間として最低の行動。彼女は断じて許せなかった。
彼女の命がけの献身の真心は、結局、夫に裏切られ、踏みにじられた。
彼女の誠心誠意が、逆にあだになった。夫のどうしようもない《甘ったれ》を増長させてしまったのである。
悲劇といえば、これほどの悲劇もなかった。
彼女は、夫の正体を、底の底まで見極めた。いかなる理由があるにせよ、人間として許せぬ悪行である。
彼女の目は、もう情には曇らされなかった。道理に照らし、人間性に照らして、絶対に妥協しなかった。
「不幸のさなかに自分の人民を捨てた人間は、いやおうなく人民の敵となるのよ!わたし、そこからはあんたを守れなかった、そう、守ろうにもできなかった!・・・・・・」――と。
そして、彼女は夫を、深い悲しみとともに、脱走兵、また牛泥棒として、裁きの手にぬだねる。
彼女は、もはや迷わなかった。決然と行動した。
ラスト・シーン。
――兵士たちに追われた夫は、盗んだ機関銃で身構える。
さあ、来てみろ、撃つぞ!と。
この期におよんでの、見苦しき反抗。
その夫にむかって、セイデは、腕に赤ん坊を抱いたまま、一歩また一歩と近づいていく。
周りにいた兵士たちは叫ぶ「戻れ!」「殺されちまうぞ!」。
しかし、彼女は立ち止まらない。厳然と歩く。
私も、いかなる迫害があろうとも、戸田先生の弟子として、厳然と歩む。進む。
アイトマートフ氏は、次のように書く。
「彼女はまるでどんな脅しにも屈しないといった様子で、落ち着き払い、平然と歩いていた。唇はきつく閉じられ、両目はかっと見開かれ、その視線はゆるぎなかった。そこには内面の大きな力が感じられた。それは公正とおのれの義(ただ)しさを疑わぬ女の力だった」と。
機関銃を傲然と構えた脱走兵。赤子を抱えたその妻。
二人の間隔はだんだん狭まっていく。やがて二人は面と向かいあう。苦労のあまり、若い妻の頭は、すっかり白髪でおおわれていた。
その妻を前にして――。
「彼は突然、彼女がはるかな高みに立ち、おのれの卑小な悲しみをもってしては近づきえないけだかい女であり、その前では自分が無力で、まるでみじめであると思えたのだった」
ついに、脱走兵は気づく。ただ生きたいがために、妻の献身的な真心を貪るだけの、卑しくちっぽけな己の姿を。そして自分の言いなりにできると思って、あなどり、わがままを押しつけてきた妻の本当の気高さ、偉大さを――。
負けた。かなわない――脱走兵は機関銃を投げだし、降伏する。
人間の偉大さと、人間の卑小さ――。
その対比を、アイトマートフ氏は鮮やかに描いている。人間として、だれが勝利者なのか、敗者なのか。
ずる賢く、うまく立ち回って、世の拍手をあびる人間がいる。
正義を曲げないがゆえに、世の指弾を一身にあびる人がいる。
友を裏切り、自分のその負い目を隠し、正当化したいゆえに、裏切った友を悪人に仕立てあげようと策謀する人間がいる。
裏切られても、なお自分だけはと、崇高な誓いを貫こうとする義人がいる。
表面のみを見れば、要領よく生きたほうが得かもしれない。
しかし、心はみずからの悪の泥にまみれる。
胸中は、光の差さない、真っ暗な洞窟となる。
友情の花も咲かない。
希望という新鮮な空気もない。
誓いに生ききった、さわやかな満足もない。
ただ、うしろめたく、ただ、むなしい。
これで幸福といえるであろうか。人間らしい一生といえるであろうか。
一方、「正義」に生きぬいた人は、青空のごとき人生となる。《人間性の城》の城主として、王者として、塔の高みに立って晴れわたる大空を仰ぎ、大満足の緑野を見渡し、つねに未来への希望の風を胸いっぱいに呼吸して生きる。これこそ「勝者」である。これこそ、私どもの人生である。
「幸福」の要件は、みずから決めた使命の道を歩みぬいていく「勇気」にある。
そのことを、どうかみずからの尊き人生で証明していただきたい。
【第四十三回本部幹部会 平成三年六月一日(全集七十七巻)】
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