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怒るべき時に怒る。それは人間の権利である。
イタリアのある町に、一軒の鍛冶屋があった。
一人の鍛冶工が、詩聖ダンテの傑作『神曲』の一節を、自分勝手に改変し、卑猥な文句をまじえて歌いながら、仕事をしていた。
そこへ、通りかかった一人の長身の紳士が飛び込んできた。
そして、いきなり鍛冶工の手にしていた金槌を取り上げ、往来に放り出した。
「何をするんですか!」
鍛冶工が驚くと、紳士は、「自分が懸命につくったものを、めちゃくちゃにされて、黙っていられるか!」と。
「何ですって? 私があなたの何を壊したというのです!」
紳士はさらに、往来じゅうに響くような大声で言った。
「わが心血を注いだ『神曲』を、おかしな文句で壊したではないか!」
ダンテその人であった。鍛冶工は黙って下を向いてしまった。
ダンテは、今度は穏やかに、「お前でも自分の作ったものを壊されたら、腹が立つだろう?」と。
「はい。もちろん怒ります」
「私も同じことだよ」
ダンテは、そう言って金槌を拾って返した――。
こういうエピソードが伝えられている。ダンテの人柄をしのばせる。
詩聖は、かくも真剣であった。一行一句に、精魂をこめ、生命をこめた。
《わが詩を壊す者は、わが生命を壊す者だ。黙っていられるか!》《人生は戦いだ、戦いは真剣勝負だ!》
晩年にいたるまで、この怒り、この情熱、この率直さ、この自負と確信で、彼は生きた。
ゆえに最後まで若々しかった。こと「詩」に関しては、絶対に妥協がなかった。
いわんや、私どもは「正法の和合僧」を心血をそそいでつくっている。
恩師が「戸田の命よりも大事」といわれた「広宣流布の組織」を営々とつくってきた。
御本尊を根本に、御本仏の御遺命のままに、歴代会長をはじめ幾百万の尊き庶民が、地涌の闘士が、全人生をかけてつくりあげた「妙法流布の宝城」である。
生命を削った辛苦の結晶である。また全人類の希望である。
それを、だれ人であれ、破壊することは極悪の所業である。
そうした策動を前に、黙っていることは、私どもは絶対にできない。
一人の信仰者を一人前に育て上げることは、どれほどたいへんか。
折伏の労苦の並大抵でないことは言うまでもない。
入会してからも、毎日通って勤行を教え、確信を与え、ありとあらゆる問題を乗り越え、祈り、語り、励まし、それこそ赤子を育てる母のごとく、忍耐と慈愛の限りを尽くして、育んできた。
それを、育て上げるまで、自分は何ひとつせず、まるで果実だけを盗む泥棒のように、獲物をねらう卑しい猫のように、すきを見ては横取りしようとする。
まともな人間のすることではない。
それで、誘惑された本人が幸福になるはずもない。
せっかく心田に植えた成仏の種を、芽を、めやくちゃにされるだけである。
私どもの、せっかくの労苦も台無しである。
御本仏のお嘆きは、いかばかりか、わからない。
もし、そうした動きが、いささかでもあるとしたら――。
私どもは断じて、このような卑劣な悪に黙っているわけにはいかない。
戦わず、黙っていることは、悪を黙認し、悪に手を貸す結果となる。
そもそも、自分に本当の確信があるのなら、世界は広いし、日本にも正法を知らぬ人が幾千万人もいるのだから、そうした人々に、自分が苦労して弘法していけばよいではないか。
【第四十三回本部幹部会 平成三年六月一日(全集七十七巻)】
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