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黒人意識運動。

 投稿者:河内平野  投稿日:2014年 9月 5日(金)11時40分48秒
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  池田先生の指導です。

初めに南アフリカ共和国の反アパルトヘイト(人種隔離政策)の詩人オズワルド・ムチャーリ氏と、「黒人意識運動」について紹介しておきたい。

氏とは先日、東京でお会いしたが、私はその《戦う詩魂》に感動した。
「差別なき世界」へと生命を賭して闘争されている。その意味で、私どもと目的を同じくする。仏法にも深い関心を寄せられ、「ここにこそ私の求めていたものがある」と言われた。

ご承知のように、現在、南アフリカでは、長年、抑圧され、奴隷状態に置かれてきた黒人による「人権闘争」が続けられている。

この炎は、いよいよ激しく、とても消えそうにない。なぜか――。
それは《炎》を支える、十分すぎるほどの精神の《燃料》が蓄えられているからだ。
その《燃料》とは、たんなる憎しみではない。憎悪だけで進んだのでは、「人格」は自壊へと向かう。
「人格」が壊れれば、「人権闘争」の主柱を失うであろう。

今、燃えているのは「誇り」である。権力を振り回す、悪しき白人を、むしろ《卑しき、ちっぽけな存在》として見おろしている――いわば《黒人の尊厳》の自覚が燃えているのである。

このように、黒人の《境涯を上げる》ことを目的とした運動が、一九七〇年代の「黒人意識運動」である。
それは長い支配の間に奪い取られた、自分たちの《人格を取り戻す》啓発運動であった。

《私たちを解放するのはだれか?白人なのか?白人のお恵みで私たちは自由になるのか?そうではない!私が私を解放するのだ。ただ黒人だけが自分を自由にできるのだ》

発想の転換ともいえる。差別する側を巨大な存在として恐れ、彼らが心を入れ替えて差別をやめるのを待っているだけでは、いつまでたっても真の解放はない。

まして彼らを見習うなんて!彼らの悪を弾劾し、改善を要求するのは当然として、それだけでは社会の真実の「人間解放」はない。
まず自分を解放することだ。そこから、確実なうねりが始まるのだ――と。

この「黒人意識運動」は、「自己変革」が焦点であり、一種の「人間革命」運動である。
運動の若きリーダーであったビーコ(一九七七年、逮捕、拷問され、三十歳で死亡)は、無気力にされてしまった同胞の姿を嘆いた。

今や「全体として黒人はもぬけの殻、完全に打ちひしがれ自らの惨めさの中に深く埋没沈潜している影の存在、奴隷、羊のような臆病で抑圧のくびきにじっと耐えている牡牛になり果ててしまっている」と。

白人は、不当な差別を合理化するために、「白人は優れ、黒人は劣る」という神話、迷信を、何百年も教え続けてきた。
いつのまにか、黒人の側でも白人をむやみに敬い、劣等感をいだく、固定観念が生まれた。

この《意識のカベ》を破らない限り、解放はない!若きリーダーは、そう洞察し、行動した。
「黒人を自分自身に目覚めさせ、空っぽの殻に生命を吹き込み、誇りと威厳を注入し、自分の国で虐待に甘んじ、暴虐な悪政のかぎりをほしいままにさせておくことは白人の犯罪の共犯者に自らがなり下がることであることを、黒人に想起させることが大切である」
《悪と戦わない者は悪の共犯者だ》と叫んだのである。

仏法でも与同罪(正法誹謗の人に供養したり、その非を黙認したりすれば、誹謗の者と同じ罪を得ることを説く。

《ここは、自分の国、おれたちの国ではないか!おれたちが、おれたちの先祖が築いてきた国ではないか!何を遠慮することがあるのか!》こう彼は叫びかけたのである。

こうした「意識変革」運動に、火をつけたのが、詩人のムチャーリ氏である。
氏の処女詩集『牛皮のドラムのひびき』は、人々を、自分たちの優れた「文化」に目覚めさせた。白人によって破壊された、原点たる「アフリカの魂」を思い出させた。

私どもでいえば、御書に仰せどおりの「日蓮大聖人の御精神」にあたろう。
彼はアフリカの同胞に呼びかける。

わたしは話そう そなたの高価な遺産のことを
征服者たちが踏み荒らし 伝道師たちが破壊してしもうた
そなたらの栄光の 過去のことを

彼の詩によって、とくに若者たちが、魂を揺さぶられた。
白人を恐れ、白人を見習うことはやめよう!ありのままの尊厳な「人間」として生きよう!彼らは「誇り」を表明し始めた。

「自由な自我」の境涯までみずからを高め、白人を「哀れな野蛮人」として見おろし始めた。
まさに彼の詩は、人間解放の武器であった。
この変化は重大だった。主人への下僕の反乱とは違うのである。
限られた組織的運動のみとも異なる。お願いして待遇を変えるのでもない。
海のごとく、広範な青年たちのエネルギーが燃え始めたのだ。

「人間」としての「誇り」が燃えているのだ。こうなっては、いかなる政府も抑えきれるものではない。
人々が自分の尊厳を心から自覚した時、歴史は大きく回転を始めたのだ。
「誇り」に背筋を伸ばし、胸を張った時、人々の背中にのしかかっていた権力者たちは、あわてふためき始めた――。

「誇り」――日蓮大聖人の仏法は、妙法を持つ人は「皆仏なり」(御書一三八二頁)と教える。これ以上の「誇り」はない。

私どもの運動は、こうした世界の「差別される民衆」の側に立った人権闘争である。
ここヨーロッパでは「人権」意識が発達しているが、日本では数百年も遅れていると言われる。
人権意識が低いゆえに、人権闘争の意義がわからず、的はずれな批判や妨害をする場合も多いようだ。残念なことである。

【ドイツ広布三十周年記念総会 平成三年六月八日(全集七十七巻)】
 
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