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慧妙の記事がこちらの掲示版のことであると認識されるかたがおられます。
また、たとえ慧妙編集部が「宿坊の掲示版」のことを伏せて書いているとしても
個人名や役職名をあげた「内部糾弾」をネットで行う事は、創価学会ひいては池田先生の弟子
として「法をさげる」行為ではないかと考えますが、いかがでしょう。
貴殿は「中立」ということで、直接的には論争に参加されていませんが
概ね「内部糾弾運動」をする側にのみ「好意的」であることは、数々の対応をみれば理解できます。
でも、「告発」の動機となっているはずの「組織改革」という点で
本質的な解決策がでているわけではありません。
現場でもない場所であげつらって、特定の人間が追い出せるのなら日蓮大聖人も
創価の三代会長も「ビラ」や「広告」等の世間(外)に問うパターンを積極的に実行されたでしょう。
しかし、いずれもそういった事はされていません。
むしろ、本人がいわれなき「抑圧」、政治的圧力にあわれていても、どこまでも
学会員さん「一人一人」を大事にされていることはいうまでもないでしょう。
◎戸田先生もよく慨嘆されていました。
「人間は嫉妬で狂う動物だ。歴史上、嫉妬の讒言が、いかに多くの正義の人を
苦しめ抜いてきたことか。これが現実だ」
大聖人は正法迫害の構図を鋭く見抜かれ、達観されていました。
( 御書と師弟 第二巻 34ページ 仏勅の「創価の一門」を護れ )
この指導の中にも「師匠の名を叫び切れない弱々しい姿」として、五老僧を
引き合いにだされていますが、なにも「師匠・師匠」と言いまくって
信心強情な所をみせようとしたり、歴代会長の指導をコピペしておれば
よいというものではありません。
ポイントは「獅子身中の虫」も「僭聖」も、和合僧を破るために「 讒言 」という手をつかってくるところではないでしょうか。
つまり、なんとなくそう思うから、とか 熱弁されているから事実かも・・ぐらいの認識で
「同志誹謗」をさせてはいけないという事だとおもいます。
さて日顕宗の機関誌「慧妙」で「内部告発」で炎上している学会員掲示版があると
指摘されています。
こちら「宿坊の掲示版」のことではないだろう・・・等、危険に対して思考停止をされている
方を重んじられるのか
私だけでなく「宿坊の掲示版」のことかもしれない と、危険を未然に防ぐ思考をされるかたを無礙に退ける方をとられるのか、どちらでしょうか。
もちろん「答え」を避けてスタンスを明確にされないというのも一手だとおもいます。
その場合は、こちらでの組織糾弾投稿への「疑問」を書き込む事も認められている
と良心的に理解したいとおもいます。
どうかよろしくお願いいたします。
本日のこちらでの投稿は以上で終わらせていただきたいとおもいます。
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