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こういう戦いの中でも戦わないで、遊んでいる職員がなんと多いことか。
赤坂見附や飯田橋のパチンコ屋を覗いてごらんよ。
副会長が3人もいたよ。
それでもSよりはマシか。
先生からメッセージを頂いた。我々は何よりもこの師匠の心にどう応えていけるか、それをきょうからの戦いの中にすべてを込め、1日1日を勝利に向かって前進していきたい。
いよいよこの秋から一大決戦に入る。職員は支援活動の大原動力、一千万達成の大原動力になって頂きたい。メッセージの中にも「本部職員は輝く金星であれ、太陽であれ」と。煌々と輝く月の存在でなければならない。職員の生き生きとした活動が会員にとって希望の星である、信頼の太陽である。そうなって初めて勝利への原動力といえる。
戸田先生はよく言われた。「本部職員は給料をもらっている。会員の方々は給料を一銭ももらわないで戦っている。仕事をしながら組織の指揮を執っておられる。その意味からいうと職員はどれほど恵まれているか分からない。だからこそ本気で戦わなければ仏罰を受けるぞ」。まさにその通りである。
(中略)
しかし「戦うなら勝て。勝てない戦いはするな。戦う以上は断じて勝て」と、戦いということについて、諄々(じゅんじゅん)と先生から話があった。戦いは絶対に勝たなければいけない。断じて勝とう、勝たなければ創価学会がバカにされる。世間が先生をバカにしていく。そして魔性に操られるだけである。絶対に勝つのが仏の仕事であり、我々の広宣流布である。だから絶対に勝つ以外にない。本日は、全職員がその決意を固めて出発しようではないか。
戦いにあたって“敵が弱ければいい、弱ければ助かる”――そう望むこと自体がもう負けである。強い相手を倒し、状況が厳しければ厳しいほど、それに倍する勢いで活路を開いて勝利してきたのが創価学会の今日までの歴史である。困難であればあるほど勇気が出る。「よーし!」という闘志を燃やす、それが学会精神である。大聖人は「強敵を伏して始て力士をしる」また「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」と仰せである。これまでも幾たびかこの御書を思い浮かべながら戦ってきた。今度こそ、まさに一人一人がこの思いで戦い、断じて勝利をもぎ取っていこうと決意したい。
若き日の池田先生が指揮を執られたあの大阪の戦い。だれもが勝つと思っていなかった至難な戦いだった。「まさか」が実現といわれたあの戦いを、先生が一人立ち上がって指揮を執り、「絶対に勝つ!」と決めて戦われたご一念――その先生のご心境がどれほどのものであったか。いかなる思いで先生はあの戦いをされたのか。そのことを我々弟子の一人一人が今、身にひしひしと感じながら戦うのが今回である。
先生は常に「心こそ大切なれ」と言われている。“先生の思いを我が思いとして、必ず勝ってみせる!”との誓いを立てた今回の戦いにしていきたい。
戦いに勝利するには、具体的には、まず「目標を明確に」することが大切である。何をもって勝利とするのか。勝利の道程というのは、途中経過において一つ一つ勝っていかねばならない。その勝利の積み重ねが最後の完全勝利に到達できるのである。途中がいい加減で最後に勝つなんてことはありえない。1週間ごと1カ月ごと、そこに自分の目標、組織としての目安、勝利の一里塚を一歩一歩刻みつけていって、初めて、その積み重ねが完全勝利になる。
目標が明確でない戦いは、戦いそのものが曖昧(あいまい)になってしまう。朝起きた時に「きょうは、何をするのか」ということが決まっていないのは、行き先が分からないのと同じである。「きょうはこれをやるんだ、これに勝つんだ」となれば祈りも具体的になる。行動も明確になる。全力投球の一日にという、その人の行動が生まれてくる。
そうでなければ、本当の意味で責任を持った戦いとはいえない。それが曖昧であること自体、無責任な姿になってしまう。先生は「結局、信心だよ。真剣さだよ。それが勝利なんだ」と言われている。勝利を目指して真剣に祈り、最高の知恵を出し、そこから勝利の道が開けていくのである。
先生は「まず、自分から始める。簡単なことのようだがこれを実行すれば、大波の革命になる」と言われた。一人一人が自分から大波を起こしていく――この戦いに、職員として先陣を切ってまいりたい。
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