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池田先生の指導です。

 投稿者:河内平野  投稿日:2014年 9月 6日(土)10時02分42秒
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  「未来」は青年のものである。「世界」は青年の舞台である。「世界広宣流布」の未来は、すべて、SGIの青年部の皆さんに託す以外にない。
この壮大な新世紀の道を継ぎゆく《新思考の旗手》、代表八十万人による記念総会、本当におめでとう!

さて、皆さんの唱題に支えられ、大成功で終えることができた今回のヨーロッパ訪問――。
公園の横では、《朝市》が開かれ、手作りの工芸品などを売る店が並んでいた。
私はそこで一枚の絵画を求めた。スペインの巨匠ゴヤの有名な「一八〇八年五月三日」の複製である。

ゴヤのこの絵は、実際に行われたフランス軍によるスペイン農民の銃殺の場面を描いている。
一八〇八年、ナポレオンのイベリア半島侵略に対してスペイン国民が立ち上がり、「半島戦争」が勃発した。

ゴヤの「五月三日」は、前日の二日に起きた民衆の決起に対するフランス軍の弾圧の模様を題材としている。
ナポレオンの命令によりフランス軍は、決起に関係したと思われるスペイン人を、裁判にもかけず死刑に処した。
刑を執行する兵士たち。命令に従ううちに殺人が手柄のようになり、農民たちを次々と冷酷に射殺していく。

この時、マドリードの市民はフランス軍兵士への怒りに燃えて、ゲリラ戦を展開していた。
スペイン語で「小規模な戦闘」を意味する「ゲリラ」という言葉も、この戦いから有名になった。

「どうすれば横暴な権力を倒し、祖国を守れるか」――。民衆が苦しみのなかから生みだした戦術であった。

そして一八一三年、ついにナポレオン軍はスペインからの撤退を余儀なくされたのである。
傲慢な権力の敗北であった。
民衆の「勇気」と「団結」の勝利であった。
「信念」で勝ち取った栄光であった。
その史実は、祖国の平和と広宣のために戦う、スペインはじめ各国の同志の姿と二重写しになって、私の心に鮮烈に燃えついている。

「小規模な戦い」とは、学会の実践でいえば「ミニ懇談」など、形式にとらわれない自在な価値創造の行動にあたるであろうか。
少人数で、自由闊達に「人生」と「信仰を」語り合っていく。
一人一人が知恵を発揮し、いわば自分の口を広布への《武器》にしながら、納得と共感の輪を広げていく――。

農民たちの貧しい身なり。
死に直面しての緊迫した表情。
ゴヤは「一八〇八年五月三日」の悲劇を描くことによって、権力・暴力の残酷な歴史を後世にとどめた。
権力への燃えるがごとき、「怒り」、正義のために戦う「誇り」、死をも恐れぬ「信念」と「勇気」――こうした民衆の無言の叫びを、彼は感じ取ったにちがいない。

それはまさに「学会精神」「青年部魂」そのものである。
一身をなげうって戦う先駆者なくして、庶民の幸福を守ることはできない。
「世界広宣流布」の偉業を完遂することはできない。
そこで私は、青年部結成四十周年を記念し、万感の期待をこめて、この絵を青年部の皆さんに贈りたい。

かつて戸田先生は、「社会に信念の人を」と題して論じられた。
その冒頭に、「私は、いまの日本国をみて、なんとなく、ものたりなさを感じている」と。
「もはや戦後ではない」(この年の『経済白書』)といわれた時代である。
景気も順調であった。社会のさまざまな分野で、ある程度、《組織》ができあがり、一応のまとまりをみせていた。
人心も、それなりに安定したように見えた。

だが先生は、その時代相に満足されなかった。
「なんとなく、ものたりない」「なんとなく底が浅い」との印象を率直に述べられた。

なぜか。
先生はそこに、「事なかれ主義」の風潮を厳しく見抜いておられたのである。
つまり「上から命令されたことを、ただ間違いなく、こなしていればよい」
「自分の持ち場に失策さえなければ十分だ」
「与えられたことだけを、責任を追及されない程度にやっておけばよい」
――そんな《小利口さ》の蔓延を、鋭く指摘されたのである。

それはまた、近年の管理会社への、先見的な洞察でもあった。
そして、だからこそ、「社会に信念の人がほしい」と。みずからの信念のままに生き、ちっぽけな《限界》や《枠(わく)》など打ち破って、縦横に活躍する人がほしい――これが、戸田先生の心情であられた。

その「信念の人」をつくるには、どうするか。
先生は、よく「生命力を強める以外にない。そのためには、信心しかない」と述べられている。
一人一人が、「生き生きとして、はちきれるような生命力」「ぴんと、はじけるような生命力」をわき立たせていくことだ。それには大聖人の仏法によるしかない、と。
この戸田先生の心のままに、学会は現実社会のなかに、はつらつたる生命力を脈動させながら、「信念の人」を育て、送りだしてきた。

「信念の人」を育てゆく広布の組織である。
何より、まず自分自身が挑戦また挑戦の「信念の人」でなければならない。
仏法者の人生は、あえて苦難に挑む開道の人生である。
「事なかれ主義」の正反対なのである。

御書に「難来たるを以て安楽とう意得可きなり」(御書七五〇頁)――法華経安楽行品に説かれる「安楽」の意義とは、難が来ることを安楽と心得るべきである――と。

何も行動しなければ、何も難は起こらないかもしれない。
しかし、それが「安楽」なのではない。
そこには向上も歓喜も充実もない。幸福とはいえない。当然、成仏もない。
三障四魔や三類の強敵を恐れて、《ほどほどに》行動し、《適当に》頑張り、小さく固まって生きる――そうした臆病は信仰の死であり、青春の死であろう。

だれ人が何を言おうとひるまない「信念の人」、《世界最高の「勇気」と「正義」の人》――それこそが、信仰者なのである。
いずこの世界であれ、組織が大きいほど、また整備されるほど、「形式主義」と「事なかれ主義」が横行する。
多くの場合、そこから組織の衰退が始まる。

大切なのは、「前進すること」である。つねに前へ、また前へと、進み続けることである。
そのたゆまざる歩みのなかにのみ、組織の真の安定はある。
「前進」を忘れた組織は、それがいかに安定して見えようと、発展への鼓動はない。はつらつたる喜びはない。

まして、学会は、「広宣流布」の団体である。
「信心」の団体である。信心に後退はないし、《もう、これでよい》との停滞もあってはならない。つねに前進、つねに挑戦が信心であり、学会精神である。

「学会精神」とはまた「建設精神」である。
「開拓精神」であり、「闘争精神」である。旺盛な生命力で、いかなる組織悪も打ち破り、いわば「組織善」の模範を築き、また築いていく。その繰り返しのなかに、「広宣流布」の道はある。

また、広布の組織を支え、守り、発展させゆく戦いは、そのまま、「自分」のためであり、「社会」のためである。
さらには、「家族」「先祖」「子孫」「後輩」等々、縁するすべての人々の幸福へと通じていく――このことを、強く確信していただきたい。

「妙」とは、「蘇生の義」「開く義」「具足の義」と説かれる。つねにみずみずしき生命の息吹で、あらゆる行き詰まりや限界を超えて、新しき創造の道を開く。勝利の道を開いていく――それらの力はすべて、「信心」に含まれている。ゆえに「信心」だけは強く、また強くあれ、と重ねて申し上げておきたい。

【結成四十周年記念青年部総会 平成三年七月十四日(全集七十七巻)】

 
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