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信濃町の人びとさんへのお返事です。
それは違います。それだけの言葉で断定するのでは不足すぎます。
たとえば池田先生も退転者を救わないのかとインタビュアーに対して
信仰は各人の自由です。会への出入りも自由であるべきですと答えて
います。受け取りようによっては非情な言いかたです。ですが、これ
に批判を加える人はまさかいません。なぜなら常識的であるとともに、
現実にそれしかできないことが誰にも容易にわかるからです。
日顕が20万残れば良いとの発言は、上の一割発言と類似していますが、
意味が全然、違います。何も社会的な理由がないのに、本人の都合で
勝手に画策して、20万残ればよいと言ったわけですから。
人々を切り捨てることは絶対にしない、それはそうあれねばなりません。
今回は、教学レポートにあるのは、現実的な理由があります。指導者
としては決断しないと、何もしなければ・・・悲惨な将来が待っている
かもしれません。リスクは厳然とあります。目の前に課題があって、今
どちらかに舵を切らねばならない、眼前に逸脱していくだろう人をどう
減らせるのか。
心情だけでは、どうしようもありません。ですから具体的に対応策が
あるのなら万人を納得させる、つまり1割を離脱させない具体案を提
示していただいてから、その上で批判を加えるべきです。
非情なようですが。
言葉だけでなら、大聖人も信じる人は爪上の土のようだと表現されてい
ます。あとは謗法の罰なのかといっても、その意味で言ってませんから。
日本中の人を救うのではないかと文句を言っても、意味がありません。
ですから、単一の発言だけで、どうのと言われてもピンとは来ません。
普通の人はそうだということです。
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