B-BOY KAZUHIRO SPECIAL INTERVIEW #1

2013/04/06

沖縄から日本へ、日本から世界へ、常に進化進化し続ける「B-BOY KAZUHIRO」そのルーツに迫る!
【Interviewer:Aki(smove) / Photographer:Ryuji】

まさかカズヒロさんとこんな形で話す事にはなるとは思いませんでしたが、宜しくお願いします(笑)

そうだな、宜しく(笑)

今日はカズヒロさんの、これまでの"歴史"について聞きたいと思ってるんですが、もう今の若い子達が知らないようなローカルトーク全開でいきましょう(笑)

了解!

それでは、まず最初にカズヒロさんが「ダンスを始めたきっかけ」について教えて下さい。

俺がダンス始めたきっかけというか、まず一番最初にダンスに触れたのは、叔父のDJターシーさんが元々B-BOYだったんだけど、親戚の集まりがあった時なんかに、軽く教えてもらったりしてたんだよね。そん時俺はまだ小学校の低学年だったから、何かもよく解らず、とりあえずバックスピンをLAの入りから習ったりし、遊び半分でやってたんだ。

で、その頃にちょうど風見慎吾の「涙のテイクアチャンス」という曲が流行ってたんだけど、その曲の間奏で、風見慎吾がバク宙をしたりウインドミルをしてたんだよね。それとターシーさんから教えてもらったのを重ね合わせながら、今思えば全く出来てないんだけど、ウインドミルとか出来てる気でやってたね。

僕よりも年上の先輩方は、風見慎吾がダンス始めるきっかけになったって方結構いますよね。

そうだね、まずは一度それでブレイクダンスには触れていたけど、ターシーさんとはそんな頻繁に合う訳でもなかったし、周りにやってる子がいる訳でもなかったし、TVに風見慎吾が出る事も少なくなってきて、自然とやらなくなっていったかな。

で、そこから数年間は全くダンスに触れる事はなかったんだけど、中学3年位にMCハマーがブームになったんだよね。それで、その時に夜中に放送してたLIVEを、たまたま親父が録画してて見せてくれてさ、その影響でまたダンスをするようになったんだ。それからは高校に進学しても、家に帰って鏡の前でひたすら練習ばかりしてたね。

その頃は、どんな練習をしてたんですか?


MCハマーは、今でいうニュージャックスイングというダンススタイルなんだけど、基本ニュージャックスイングをしつつ、その当時はあまりジャンルの詳しい区別とか解らなくて、その中にポップやロックの動きを混ぜながら、振り付けとかもうめちゃくちゃで、とりあえず関係無しで踊ってたね。

そうなんですね、その当時は高校の友達と踊ってたんですか?

そうそう、高校の同級生と踊ってたよ。
その当時に那覇の「MAXY」とか「パレットくもじ」でダンスコンテストやってたりしてたんだけど、それに友達と出たりしてたね。

実は俺、その当時の極秘映像見た事あるんですよ(笑)

まじで?それ、4人位で出てた?

多分そんな感じでした。
はっきりとは覚えてないんですが、パレット前で若すぎるカズヒロさんが踊ってました(笑)

そうなんだ(笑)
それ多分、俺が学校以外で初めて踊ったやつじゃないかなぁ。
その時期は、MAXYのダンスコンテストに友達と2人で出たら運良く準優勝できたりして「俺才能あるんじゃない?」って調子のってたね(笑)

カズヒロさんにもそんな時期があったんすね(笑)

その頃は、いつもパレットくもじの屋上で練習してたんだけど、その時にフーミーとか、後のリベラルパーティーのメンバーに会うんだよね。
そのメンバーもダンスコンテストによく出てたから、少しずつ喋るようになっていって、そしたらフーミーが、国際通りの社交ダンススタジオでレッスン始めるから「来てみない?」と誘われて、それで通うようになったね。

そうなんですか、フーミーさんからダンス習ってたのは初耳ですね!

その流れで、フーミーと一緒にリベラルパーティーを作る事になったんだよね。

カズヒロさんが、リベラルパーティーに居たなんて皆知らないですよね多分。
その時のリベラルパーティーのメンバーはどんな感じだったんですか?

最初はフーミーとヒーロー、あと宮古出身で今はラッパーのツヨシ、そして当時の俺の彼女のコサキって子と、俺と同じ高校のハルミ、そしてアヤちゃんっていうジャズの上手い子がいて、そのメンバーでコンテストに出て優勝もしたんだよね。

その中に、ハルキさんやユヅルさんは居なかったんですか?

そうだね、その時はまだ一緒に踊ってなかったよ。
ユヅルはその時は、カサハラとかとチーム組んで踊っていて、コンテストでよく顔会わせるメンバーって感じだった。
でも、その後にフーミーとユヅルとハルキさんが仲良くなって、徐々に皆リベラルパーティー入ってくるんだけどね。

そうなんですね、僕がカズヒロさんを最初に見たのは、カズヒロさん、ユヅルさん、ハルキさん、オニギリさんの四人で踊ってる所だったんですが、そこまではどんな流れですか?

その後、リベラルパーティーはどんどんメンバーが増えていくんだけど、その時に色々問題があってチームがバラバラになったんだよね。
それで特に仲が良かった、俺とユヅルとハルキさんの3人が抜けて、よく一緒に遊んでたんだけど、その時にハルキさんと仲の良かったオニギリと知り合い、今度一緒にショウ出ない?て事になった。
それならチーム名が必要じゃないの?って話をして「ホームレス」ってチームが最初に出来たんだけど(笑)

ホームレス!
若い頃につけがちな名前ですね(笑)

そうそう(笑)

じゃあ、それから4人で踊り出すんですか?

そうだね、でもその当時に中部にエクスペルって有名なチームがあったんだけど、そことオニギリが仲良かったから、一緒にイベントを開催したり、4人で踊ったり、他のチームとユニット作ってショウをしたり、そんな感じだったかな。

では、当時はチームや地域で分散してるというよりは、チームは分かれてても皆で一緒に踊るって感じだったんですね?

俺達はそんな感じだね。
イベントでは、ゲストは俺らとエクスペルとリベラルパーティー、コンテストには若い子達が出てくるって感じだったよ。


そういえば、僕がカズヒロさんと知り合う前位に、三越の前でストリートやってましたよね?
ちょうど僕はダンス初めたばっかり位で、凄く衝撃的だったんですが、アレは皆でやろうって話になったんですか?

あれは、多分オニギリが言い出したんじゃなかったかな。
箱でイベントを開いて皆で集まるってのはよくあったけど、外で情報回して皆で集まって、バトルというかサークル作って踊ったのはアレが初めてだったね。

結構、夜遅い時間にやってましたよね。
当時、俺はまだ小僧だったので家を脱走して行ってました(笑)

そうなんだ(笑)

で、その三越のストリートでカズヒロさんを見た記憶が、ブレイキングをしてるイメージなんですよね。
特に印象に残ってるのは、カズヒロさんがスワイプスを連発してて、もうテンションぶち上がってました。

でもあの頃は、まだちゃんとブレイキングをしてるって感じではなかったよ。
その頃位に練習場所で、久米島のB-BOYのハジメやショウゴと知り合うんだよね。

ハジメは東京に住んでいて、ロックステディー東京のチノさんの下でレッスン生として活動してたんだけど、その従兄弟のショウゴが、那覇に住んでてよくパレットに来てたんだ。

で、その練習中に、昔ターシーさんから教えてもらった流れで、スワイプスとウインドミル位は出来たし、冗談半分で混ざって技の練習とかしててさ、だからスワイプス位は出来るってのを見せようと思って、サークルでやったんだと思う。

じゃあその当時は、メインでヒップホップを踊りつつ、ブレイクは遊びでやってる感じだったんですね。

そうだね、そのストリートの時期は、NYのエリートフォースや、最近復活してるマークエストの映像が流れてるアライブTVや、ZOOのプロモーションビデオの撮影風景を更に撮影してるみたいな裏ビデオみたいなのがあって、そういう映像に特に影響を受けてたね。

その踊りは、今ではミドルスクールヒップホップとか言われてるけど、当時の俺らにはアレがニュースクールで最先端だったから、そのヒップホップをずっとやってたんだけど、その頃に東京にロックステディクルーNYが来て、その映像が回ってきて、そういうのにも影響を受けていて、ちょっとオールドスクールもありだな、ていう時期なんだよね。

だからヒップホップもやるし、ポップっぽい動きでタットやティックをしたり、フットワークしたり、ちょうど境目位だね、あの時期は。だから格好もジャージなんだけど、ダボダボのジャージを来てたり、ヒップホップウェアーを着てるけど靴がローテクだったり、色々混ざってる感じだったよ。

確かに、そんな格好でしたよね。
では、その色々混ぜて踊っていた時期から、ブレイキングにスタイルをシフトしていったと思うんですが、それはどういう経緯ですか?

言葉にするとほんと一瞬のような感じがするけど、俺の中ではすぐ切り替えたという感じではなくて、1年位かけてゆっくりシフトしていった感じかな。

ぶっちゃけその当時は、ブレイクは凄いとは思ってたしリスペクトはあったけど、全然やろうって気持ちは無かったんだよね。ヒップホップをやってると、やっぱりグルーブ系の動きが好きだったから、どうしてもフットワークとか凄く固いイメージしかなくて、そんなに好きという訳ではなかったんだ。

でも、その頃にドイツのB-BOYストームの映像を貰って見た事があって、そのビデオでやってた動きがムーブにウェーブを通したりしながら凄く柔らかくブレイクを踊っててさ、その映像に凄く衝撃を受けて、これを自分のヒップホップのスタイルに混ぜれば、面白いのが出来そうだなと思ったんだよね。

確かにあの頃のストームの映像はキてましたよね。
当時のB-BOYは皆、凄く影響受けてたんじゃないですか?

そうだね、当時は、凄い影響受けたダンサーを一回真似してそっから自分なりに変えていくみたいな流れだったから、真似してみたんだけどやっぱり全然出来なくてさ。
それで、その時にショウゴからフロアーの動きや、東京のハジメから色んな情報を教えて貰ったりして「だからストームはあんな動きが出来るんだ」って、自分なりに分析し始めたんだよね。

それまでは、B-BOYの映像は持ってても殆ど見る事はなかったんだけど、そのきっかけで、家にあったビデオを改めて見直しだすようになったかな。
その映像の中には、ロックステディークルーのケンスイフトやフローマスター、ネクストワンなんかが出てたんだけど、それまではあまり好きじゃないと思ってたのに、研究し始めるととても奥が深くて、だんだんハマりだしてさ、気付けば練習場所ではブレイキングばっかり練習するようになってたね。

好きな事をやってたら、いつのまにかB-BOYになってたんですね。

うん、そんな感じ。でも夜クラブとかに行くと流れる曲はずっとヒップホップだし、そういう時はずっとヒップホップ踊ってたけどね。
だから自分の中では特別にスタイルを切り替えたいう訳では無くて、ゆっくり1年位かけてシフトチェンジしてたいった感じだよ。

アーキーと知りあったのは、多分そのタイミング位じゃないかなぁ。
まだ俺もちょっと、ヒップホップっぽい格好してたでしょ?

そうですね。
まぁ、ちょっとというか僕的にはゴリゴリでしたけどね(笑)
見かけたら逃げてましたし(笑)

そうなんだ(笑)


じゃあ、その頃から徐々にブレイキングにシフトして、それからオリジナルクエスト結成になる感じですか?

そうだね、リベラルパーティーを抜けた後はオニギリ、ハルキさん、ユヅルとトップラインというチームで活動してたんだけど、方向性の違いとか、生活の転機もあり、オニギリと離れる事になったんだよね。
そのタイミングで、練習場所で一緒にいたショウゴやマコト、そしてショウゴがアーキーやノビタを連れて来てオリジナルクエスト結成になる感じだね。

そーいや今でも覚えてるんだけど、当時俺ボウリング場で働いてたの覚えてる?サラダボウル(笑)

働いてましたね(笑)

その休憩時間にマコトに「オリジナルクエストってどう?」
てメールした記憶があるんだよね(笑)

そうなんですか、まさかオリジナルクエストの始まりがサラダボウルとは(笑)

では、オリジナルクエストが結成されてからは、僕も一緒に活動させて頂いてると思いますが、結成後の話を聞かせて下さい。

オリジナルクエスト結成後は、暫く沖縄県内だけで活動してたんだけど、その活動を続けてる内に、先輩のDJヒロシさんと叔父のDJターシーさんの2人が、ディスコのゲストとして東京からジャングルのオウジさんを呼ぶから、「お前らプロダンサーから技術だけじゃなくて感覚的なものも学べ」と言ってくれて、一緒にショウをさせて貰う事になったんだよね。

もちろん俺らはオウジさんの事知ってたけど、プロダンサーと一緒に踊らせて貰ったのはアレが初めてだったね。

あれは、場所は確かOPA上のワイルドチェリーでしたよね?

そうそう、その時にオウジさんに、好きなスタイルの話や、こういう気持ちで踊ってるとか色々聞いてもらったんだけど、そしたらオウジさんが、今度横浜でポップというジャンルを作ったと言われている「エレクトリックブーガルーズ」のポッピンピート、スキーターラビット、ポッピンタコの3人が来るから、お前ら見に来いと言ってくれて、オリジナルクエスト皆で横浜に行く事になったんだよね。

それで、横浜で実際、本物の海外のレジェンド達をみて凄く衝撃を受けたし、その前座で大阪のテツさんやチェリーさんや、オズさんとか、日本のトップダンサー達も沢山見る事が出来たし、確か早稲田ブレイカーズも出てたよね。

はい、海外ゲストも衝撃でしたが、僕はあの時の早稲田ブレイカーズが凄く衝撃的で、今でも忘れられないですね。

そんな感じで、沢山の刺激を受けたのはもちろんだけど、そこでオウジさんが会場で色んな人を紹介してくれてさ、その中には日本のダンサーで特に好きだったテツさんも紹介してくれたんだけど、その時にテツさんが「今度連絡するから連絡先教えて」と言ってくれて、連絡先を交換したんだよね。

まさか連絡来るなんて思ってなかったけど、本当に一週間後位に連絡をくれて「今度沖縄に俺の後輩が行くから遊んでやって」みたいな連絡が来てさ「は…はい」みたいな(笑)

そうなりますよね(笑)

で、その時に来たのがJAMのヒロさんと、ケイジが来るんだよね。
そこで2人と色々遊んだりした流れで、テツさんが「今度はお前も大阪に来い」と言ってくれて、修行がてら大阪に行く事になったんだ。

それで、大阪でテツさんのレッスンを受けたり、色んな人を紹介してもらったりとか、色々お世話して貰ったんだけど、その大阪の暖かさがとても良くて、当時母親も兵庫に住んでた事もあって月1位で大阪に通うになっていったね。
その流れから、チームの皆もどんどん大阪に出ていくようになったかな。

そうですね、あの頃は皆お金もあまり無かったけど、頑張って行ってましたよね。

それからは、どんどんテツさんとコミュニケーションがとれるようになってきて、テツさんを沖縄のイベントのゲストに招待したりレッスンをして貰ったり、そこで基礎的な事や精神的な事も、沢山教えてもらったり、それ位からかな、チームのモチベーションがグッとあがったんだよね。

確かにあの頃、先輩方の気合いは凄く感じてました。
僕はもう着いて行く事に必死すぎて、モチベーションどころでは無かったですけど(笑)

(笑) まぁそんな感じで、ここまで話したオウジさんからテツさんと知り合うまでの1つのストーリがあるんだけど、それとはまた別に同じ時期にもう1つ違う流れがあるんだよね。

お!そこにもう1つの流れがあるんですね。

では、今日は沢山お話を聞けたので、ここで一区切りつけさせて頂いて、また次回にここからの続きを聞かせて下さい!
つか、これ5話位書けそうですね(笑)

そうだな(笑)
了解!じゃあ続きはまた今度!

ではカズヒロさん、今日はありがとうございました!

それでは次回パート2「もう1つの流れ」お楽しみに!!



B-BOY KAZUHIRO

沖縄出身。世界で活躍するBBOY CREW“ALL AREA”のメンバー。10年以上、国内外でジャッジ&バトラーとして活動し、2009年、BOTY ASIAやR16 WORLD等アジア大会や世界大会で優勝。BBOYとして活躍する傍ら、日本POP界のパイオニア的チーム“OGS”のメンバーとしても活動している。ま た、アーティストのツアーダンサーやコレオグラファー等もこなすマルチダンサー。
DA PUMPやB'Zのコレオグラファー&ツアーダンサー、ドラマ・映画・舞台出演、ゲームキャラクター、テーマパークのアトラクションの振付、全国のダンスイベントのゲストやジャッジ等でも活躍。


  • UNIMODE
APERUNZLAB