|
|
これを載せると、またまたアンチとか
どうでもよい批判をする方がいますが、
象様が言われている、一部幹部の悪は悪として攻め抜きますが、
その先に何があるのか、
これを考えないと、単なる糾弾大会に終わります。そこは像様が指摘いただいた通りです。
以下は、ご存知だと思いますが、非活動を標榜する"うんちゃん"のブログから抜粋したものです。
法華経の敵とは何か
何故悪を攻めるのか
これは日顕臭の悪を攻めてきた学会員が、
この先、日顕臭に巣食う悪は何か
そして、学会に巣食う悪は何か
この本質に迫らないといけない。
そう感じたからです。
ここに投稿を始める前に
様々な情報提供をしてくれた方々
知り合いの本部の職員と意見を交わしました。
その中で正義とは何か。
それをずっと考えてきました。
組織全体を批判していないことを前提に
敵の本質、攻め抜く先にあるもの
学会の目指す万人の幸福とは何か
そこから、今の創価学会の何が悪くて
(一部の幹部の何が悪くてにつながります)
未来に向かい
どうするべきかを考えたいと思います。
できれば皆で考えたいです。
そこで一度下記を読んでいただき、
どんなテーマで論議をする必要があるか、皆様の率直な意見がお聴きしたいです。
なお、秋谷、八尋、矢野、谷川、佐藤らは、
先生を利用し、会員をだましてきた。先生を裏切った事実は忘れてはいけないし、随時かれらを批判、糾弾することをやめるつもりはありません。たた、糾弾する悪の本質、これを明確にしないと、未来に同じことが再び起きる。
仏と魔との闘いは止むことはないからです。
敵の正体を明らかにする。それが必要です。
この考えに批判をされる方はどうぞ率直な意見をお願いします。
【20140903】法華経の敵とは
最近、ツイッターで見かけた以下の言葉、これを見て少し考えた事を今回は記事にしてみます。
「法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし(曾谷殿御返事P1056)」
以前、聖教の「寸鉄」に記載された言葉を載せました。
ここでは「仏敵」と書いていますが、創価学会が「仏敵」と呼ぶのは「学会を迫害する悪人」の事を言っています。創価学会もそうですが、特に大石寺系の教団では、攻撃姿勢を強力に打ち出すところが多いですよね。
日蓮正宗もしかり、顕正会もしかり。
この組織風土の淵源には、先にあげた御書の一文を書いた日蓮という鎌倉時代の僧侶の攻撃姿勢というのいうのが根底にある事は誰も否定する事は出来ないでしょう。
日蓮とは鎌倉時代において、既成の仏教教団と権力(幕府)の癒着、またそもそもの仏教教団の不実に対して、そこに社会の混乱や悪化の原因があると戦い続けた人物です。「日蓮自伝考」「日蓮伝再考」などの著者である山中講一郎氏の言葉を借りるのであれば「常に刃の下にいた人物」とも言えます。
そうであれば当然、言葉も過激になる事もあるでしょう。しかしその「過激な姿勢・言動」が日蓮という人物の本質ではないと思います。
さて日蓮が先の御文で述べた「法華経の敵」とは何なのでしょう。
それは「万人の成仏を否定し、社会を破壊する存在」の事ではありませんか?
ここで「成仏を否定」と言いましたが、言い換えれば「人間の尊厳」と否定する存在であると言っても良いでしょう。また日蓮が「せめる」と述べているのは、「誰かが責めてくれるだろう」という事ではなく、人々が己の価値を理解し、その己の価値を否定するもの、また社会の中にいる人間一人ひとりの価値を否定するもの、また破壊するものを「法華経の敵」といい、それに対して、一人ひとりが責める事を指しているのではないでしょうか。
また「責める」ですが、それは存在を罵る事や悪事を暴くということではありません。
その存在の根っこにある原因を見極め、それを明らかにして人々に知らしめていく事を言うと思うのです。
つまり人々がその自覚に立つことを求めていたのかと思いますし、その自覚に立つ人が多くなる事も「広宣流布」の一部なのではありませんか?
「仏敵を責め抜け」
この言葉は良く使われます。しかしそれは単純に組織悪を行使している人物の過去を暴くとか、言動を暴きだして責めてたるとか、そういうことでは無いと思います。そんな事をしても、所詮行く着くところは「泥仕合」であしかありません。
問題はそういた組織悪を生み出した根源、そこにある問題点を明確にいぶりだし示す事、そして本来どうあるべきであったかを指し示す事が大事だと思います。
そういう行動こそが「法華経の敵を責める」という事につながるのではないでしょうか。
まあ創価学会では組織を貶める行動を取る人を「仏敵」と呼び、僕の様に組織の矛盾点を指摘したり、その事で幹部を責める人物も「仏敵扱い」になったりします。
現に過去、活動家から「運ちゃんの言動は法華講を利する事であり、裏切り行為だ」と言われた事もあります。
でもそもそも組織である以上、様々な意見が出て来るものであり、その事を議論もせずに「仏敵」と断じて、俗人的に個人の名前を挙げて組織行動として攻め抜くというのも、いかがなものかと思いますけどね。
山崎正友、福島源次郎、藤原行正、竹入義勝、龍年光、矢野絢也、原島嵩。
こういったお歴々の「仏敵」を俗人的に「裏切り者」「恩知らず」「昔からわがままな奴だった」と批難することはしても、そういった組織を利用する人物、組織を壊そうとした人物を何故創価学会は生み出してきたのか、そういった根源的な批判というのは、未だに為されていません。
そこが一番の問題なんですけれどもね。
こいった事、創価学会の活動家は気づくべきです。気付かないとしたら、そちらこそが問題ですよ。
|
|