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Kヶ谷やY尋も、女好きでは人後に落ちない。
たとえば、昭和四十六.七年ごろ、沖縄復帰にともない、沖縄創価学会の合併手続きのため現地に滞在したときのことである。
Kヶ谷は、石垣島で〝夜の女〟を買った。その体験を、山友やY尋頼雄に自慢話した。
二人は散々冷やかした。
「あの女は、額に吹き出ものがいっぱいあったぞ。変な病気をもっていたに違いない。あの手の女は危ないからな……」
Kヶ谷は青ざめて、那覇に帰るとさっそく皮膚科の医院に駆けつけた。医者は抗生剤等を処方したうえで、 一カ月ばかり性行為を控えるように指示した。帰国したKヶ谷は、毎日のように抱いていた女房との交渉を断った。女房が誘っても応じない。
一カ月が過ぎて、晴れて女房を抱いたとき、感極まってKヶ谷は思わず口走った。
「ああ、お前がやっぱり一番いい!」
とたんに女房は、Kヶ谷を突き放した。
「ちょっと、 一番いいって、誰と比べて言ってるのよ「誰か他の女とやったの?」
あわててあれこれ言いつくろおうとしたが、もはや手遅れ、あとの祭りである。
女房はKヶ谷を許そうとしない。
「あれほどナニが好きなあんたが、 一カ月も何もしないなんて、本当におかしいと思っていたわ。それと、私に隠れてこっそり薬を飲んだりしていたら、なおさら分かるわよ」
Kヶ谷は、ありのままを自状し、平身低頭謝ったが、許してもらえない。
翌日、女房は、夫婦の仲介人である山友のところへ、自分が印鑑を押した離婚届をもってきて、
「あなたにも責任がある。主人に印鑑を押させてください」
と言って置いて帰った。
山友も閉口して、あの手この手で必死になだめ、何とかもとのサヤにおさまらせた。
そんなKヶ谷は、それでも一向に懲りず、その後もソープ遊びなどに率先して付き合った。
一方、Y尋も、その方面では人後に落ちない。
学生時代、下宿していた家の女房(学会員・その折伏で入会)とねんごろになり、家賃を免除してもらい、亭主に隠れてうまい食事にありついていたチャッカリ派であるが、創価学会本部に入った直後、「レストランはくぶん」のウエイトレス(女子部幹部)とねんごろになり、結婚すると言い出した。周囲がいろいろと手配して、池田大作のOKを取り、どうやらメデタシとなりかけたとたん、Y尋はこの女性に飽きて、婚約を解消した。創価学会のなかで出世する
には、結婚相手の女も選ばなくてはならぬということに気づいたのである。
やがて、池田大作の指名で第一庶務の女性と結婚、山友が結納を納める役をおおせつかった。結婚式には、池田大作の妻香峯子が出席した。ところが、子供もできたこの女性と、また離婚してしまった。そして再婚しようとしているが、娘の反対でままならないという。
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