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師子吼 二十五
広宣流布のために師と共に戦い、学会を、わが同志を守るために生涯を捧げるというのが、職員の心である。
その行動があるからこそ、学会員は職員を信頼し、生活を支えてくださるのだ。
ゆえに職員とは、広布に生きる「不二の師弟」の異名である。その本義は、ここにあることを絶対に忘れてはならない。
職業の選択肢はさまざまである。高額の給料を取り、楽をすることが目的ならば、職員になる必要はない。そうしたことを欲している人間を職員にする必要もない。
師と一体になって、広宣流布への奉仕、会員への奉仕に徹してこそ職員なのだ。
日蓮大聖人は、「御義口伝」の「第五作師子吼の事」で仰せである。
「師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり作とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作すなり」(御書七四八ページ)
<「師」とは師である仏が授ける妙法であり、「子」とは弟子が受ける妙法であり、「吼」とは、師匠と弟子が、共に唱える音声をいう。「作」とは「おこす」と読む。末法において、南無妙法蓮華経を作すことをいうのである>
これは法華経勧持品の「仏前に於いて、師子吼を作して、誓言を発さく……」(創価学会版法華経四一七ページ)についての御言葉である。
一言すれば、師から弟子へと仏法が受け継がれ、師弟が共に題目を唱え、広宣流布の戦いを起こすことが、「師子吼を作す」ことになる。
その中核こそ、本部職員であらねばならない。そして、仏法の正義を叫び、人類の幸福と平和の道を示す聖教新聞は、師弟共戦の師子吼の象徴である。
したがって、その聖教の記者は、一人ひとりが広宣流布の一切を担い立つ決意に燃え、勇猛果敢に師弟の道を行く、誇り高きペンの勇者でなければならない。
職員は、万人を奮い立たせる師子であれ。
戸田城聖は叫んだ。
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