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一度、私の思うことについて話しておいたほうがいいのでしょうか。
みなさんへの要望は端的です。“もっと自身のある態度で応対をお願いいたします。”
ほんと、つまらない誤解は避けましょう。
たとえば教学レポート。
私は興味はありますが、その内容の信憑性については懐疑的です。
それは私のことだからいいでしょう。でも公開していないとのこと。
ですから“ここで話題にするのなら説明してほしい”とお願いしましたが、不可だと。
本来ならここで話は終了です。説明責任はどうあっても提供者側にあるのですから。
私のほうに説明責任があるわけがないでしょう。ホント、そうですよね。
ところが、ここで、そうではなくて、本当だよと、私の信用する人が言っているので、
だからすんなりとは袖を振れないややこしい状況に。
だけれどもお聞きしても答えは得られない。有るとか無いとかばかり。それよりも、
どうして真実と言えるのか、どこまで確認したって、私には確証できるとは思えない。
それを、ただ見ただけで信用してしまうようなことになるのか、私には不思議です。
どうなのかなあ、というところですが、出すつもりと言われるので待てと。OKですと。
多少の誤解はあってもそういう状況なのかなと。
ところが、なぜ、それを取り巻いてこんなに神経質になっているのかが分かりません。
どうして手を尽くして探してこないのかとか言われて。(なぜ私が?)
いまだ手にしてない者は師敵対とか。(この人も末端の人たちを馬鹿にしすぎ。)
末端の隅々まで簡単に文章が回るとでもお思いなのか?それとも単なる言葉の勢いか。
私はともかく多くの人たちまで馬鹿にしたような発言で不謹慎極まりない。
そうして。
論評もままならないまま、調べて否定できないと、制約だと。アクセス禁止にすると。
そうしてまたまた人格批判へと。
また他の投稿者からもそれが当然だと。(正直わからんです。なぜそんなことで盛り上が
っているのかもです。)
私の良心からみて、私の胸は痛々しい感じがします。
法華講と思わしき人が悠々と学会を批判しているのは放置なのに?どうして?
どうして普通に話せることに、こんなに神経質になるのか。それとも何か伏線があるのか。
どうしてここの人はこんなに一方的になりがちなのか。
今までどんな環境だったのかと疑う気にまでなります。
あるいは反対意見を追い出して、宣揚だけをやりたいということなのでしょうか。
でも圧力や一方的な言辞では、広がりもしませんし、嫌悪感しかもたらしませんよ。
私には理解できないことばかりなので、相変わらず、同じことを述べますが。
時間がかかるのは致し方ありません。
出していただけるのならお話しましょう。またそれが真実かどうかも別です。
ただ。
でも特定の学会さんに嫌な思いをさせるのはやめて、言論で話しましょう。
それができないのですか?
ついでに私の疑問は昨日に述べたのですが。どなたが答えていただけると嬉しいです。
お聞きする内容では以下の合点がとてもいきません。
・谷川副会長が仮に悪人でよほど稚拙でも、こんな下手なプランを提示しない。
・どうして教学部はここまで要求されても、明確な回答を示さず、批判のみなのか。
いつも言いますけど、いいとか悪いとか“まだ”言ってませんから。疑問なのです。
普通の企業だって、こんな無茶な課題をどうやってとか途方にくれるようなことを上司から
というか、社会から要請されますよね。一般世間でも無茶ぶりは当然です。
それでもし、文句を言って告発するだけの役職だったら、とても信用されません。上層部の
悪行を告発する目的の文章であっても、自身の文章のなかでは、自身の役職を全うすべき
整合性を持たせねばならないはずですから。答えのない報告書はありえないはずです。
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