|
|
大勝利さんへのお返事です。
大勝利様
発言には諸説あります。
いずれも署名しています。(と聞いています。最高幹部、青年部最高幹部全員の署名があったと。先生はあの時に唯一私を守ったのは、奥さん一人だった。とA谷、H田の面前で発言されています。記憶です。)
H田さんは北海道ではないと思いますが。
たしか、54年当時は。そのタイミングで北海道だったか?
53年には総合青年部長兼任の学生部長だったはずです。原田総合青年部長、野崎青年部長、溝口男子部長体制ではなかったでしょうか?
> 信濃町の人びとさんへのお返事です。
>
> 「時の流れは逆らえません」
> 掲載当時、私はこの発言はA木と聞いていました。
> また、H田さんは北海道に居たため、署名していないと聞いていたのですがどうなんでしょう?
>
>
>
> > だいせいどーさんへのお返事です。
> >
> > > 1979年(昭和54年)の4月24日――。
> > > この日、私は、19年間にわたって務めた、創価学会第三代会長を退き、名誉会長となった。
> > > 全国の、いや、全世界の同志は、その発表に、愕然として声をのんだ。
> > > その背後には、悪辣(あくらつ)なる宗門の権力があり、その宗門と結託した反逆の退転者たちの、ありとあらゆる学会攻撃があった。
> > > 畜生のごとき坊主らの暴圧による、わが友たちの苦悩を、悲鳴を、激怒の声を聞くたびに、私の心は血の涙に濡れた。
> > > 心痛に、夜も眠れなかった。
> > > 私は、けなげな創価の同志を守るため、一心不乱に、僧俗の和合の道を探り続けた。
> > >
> > > 坊主らは、狂ったように「責任をとれ」と騒ぎ立てた。
> > > 私は苦悩した。
> > > ある日、最高幹部たちに、私は聞いた。
> > > 「私が辞めれば、事態は収まるんだな」
> > > 沈痛な空気が流れた。
> > > やがて、誰かが口を開いた。
> > > 「時の流れは逆らえません」
> > >
> > > 沈黙が凍りついた。
> > > わが胸に、痛みが走った。
> > > ――たとえ皆が反対しても、自分が頭を下げて混乱が収まるのなら、それでいい。
> > > 実際、私の会長辞任は、避けられないことかもしれない。
> > > また、激しい攻防戦のなかで、皆が神経をすり減らして、必死に戦ってきたこともわかっている。
> > > しかし、時流とはなんだ!
> > > 問題は、その奥底の微妙な一念ではないか。
> > > そこには、学会を死守しようという闘魂も、いかなる時代になっても、私とともに戦おうという気概も感じられなかった。
> > > 宗門は、学会の宗教法人を解散させるという魂胆をもって、戦いを挑んできた。それを推進したのは、あの悪名高き弁護士たちである。
> > > それを知ってか知らずか、幹部たちは、宗門と退転・反逆者の策略に、完全に虜になってしまったのである。
> > > 情けなく、また、私はあきれ果てた。
> > >
> > > 戸田会長は、遺言された。
> > > 「第三代会長を守れ! 絶対に一生涯守れ! そうすれば、必ず広宣流布できる」と。
> > > この恩師の精神を、学会幹部は忘れてしまったのか。なんと哀れな敗北者の姿よ。
> > > ただ状況に押し流されてしまうのなら、一体、学会精神は、どこにあるのか!
> >
> > 54年の会長勇退に関係した秋谷原田らよ。
> > いつまで会員をだますのか。
> > 秋谷八尋を始め蓄財をした幹部、金を使いこんだ幹部は会員に土下座して詫びなさい。
> > あなたたちの行為は犯罪です。
> > 役職辞任をしなさい。
> >
> > どこから情報もれたかなんて探しても無駄。
> > もう、みんなしれわたっているよ。
|
|