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次は発言集ね。
まるで上層部が幼稚であるかのように罵って、そんな説明ばかりで批判している。
ここからは、各発言について説明したい。
教学部である報告者からみれば、各上層部の幹部が、こんなことも知らないのかと、面白おかしく
指摘することなんか、いとも容易いはずで、むしろそんなの、当たり前のことなのだ。
原田会長以下が教学で虚勢を示したならともかく、知らないと言ってるのだから何も問題は無い。
教学部の見解を尊重しているのだから、何もおかしくはないことなのだ。
この報告者だって、自分の部下から、任せた専門分野で、「ちょっと聞いてくれよ、うちの上司は
こんなことも知らないんだぜ。」と言われるのが可能だろうことは、また当然だろう。
部下の発言とはそんなもので、非の打ちどころのないほど尊敬されて万能な人間なんていない。
上層部の発言だって、それほど馬鹿馬鹿しい見解ではないことは、報告者も一部認めている。秋谷
議長の発言を受けて、報告者が「そう主張したい気持ちは理解できますが、」(教1-3頁)と述べて
いるのでもわかるように、両者に基本的な見解には大きな隔たりはない。
あるのは困難な状況を打開する方針がまとまらないだけのことだ。
報告者が指摘した中で、目についた発言を挙げる。
谷川総長の「過去との整合性などどうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。」とか、
「結論は決まっているんだ。教義なんて、それを後付けすればいいんだ」を「何度も繰り返して」
いたのが、相当に嫌悪したようだけど。これも誤解されやすい言い方にしてあるわけ。
この表現だけとったら、本当の阿呆みたいで傲慢に聞こえるけど。谷川総長が良い人なのか、
傲慢で嫌な威張りん坊なのかは知らない。だが、ここ違う。
ここも重要な教義理解が伏せてある。これで4つ目かな。
みんな今一つ、学会のことを舐めているのか、これを逸脱だと思ってたら、それは違うから。
話の大、大、大前提として、地涌の菩薩には、三大秘法を含めて自由にできる権限があるのだから。
本来、そういう教義なのに。経文に地涌の菩薩に「譲った」とある通りで、全部、譲られたものを
どういう表現に変更してもよいの。
もちろん自由といっても手放しということではないけど、本来、自由度は決して低いものではない。
宗旨の根幹のことでも、事情があれば変更してもよいというのが、日興上人の見解であり、日寛上
人の見解でもあったのだから。何よりも清浄な信心が保たれるかどうかが優先事項なのだ。
私たちもそう。それを認めないならば戸田先生が戒壇の御本尊に決めた意義も薄れてしまう。
それは私が勝手に言ってるのではなく、平成5年の学会の御本尊の下附の時に使用されている。
下附の時の公式見解で、広宣流布をすすめた地涌の菩薩の権限から始めたんだと明言されてるよ。
それで具体的には多くの人の理解が得られやすいようにと、浄圓寺からの提案を受けたことになっ
てるけど、根本的な責任は要請があったからとか、お寺だからよいというところには無い。
学会が広宣流布を進めた唯一の和合僧の団体、御書の通りの法華経の行者だから、それが許される
んだ。そして、それをこの報告者が知らないはずなんて、ありえないの!
平成5年の学会の見解だよ。
そして今また、御本尊の見解を変更するかもしれないというときには、地涌の菩薩という見地から、
教義理解の責任を示す、この見解が発動するときなのだ。そういう次元の話なのは論を待たない。
実際には、過去の経緯を踏まえることなんて分かりきってるけど、こんなふうに大きな問題があって
何十年も立ち往生して動かない教学部をうながすのには、根本教義をあえて提示してみせるのは、
無い方がおかしい。その言葉を端的な口調になれば、こうなるよね。
「教義は後付けでいいから、みんながやりやすい形を考えてくれ」とか、それぐらい出てくるわ。
それを好き勝手で万能感丸出しみたいに言ってるから、そんなアホじゃないでしょと。
困るっていうことを上層部が認識しているのは、この報告者も述べていることなんだから。
だから何のためにやってるかって、上層部は使命感であって、他にどんな原動力があるというのか。
もう一点、付け加えれば、この地涌の菩薩の権限といっても、現実的には先生がおられるから発動
できるので他の誰がそれを言えると言うのか。
もしも後年、200近い海外組織のどこか1国でも嫌と言ったら、もう「和合僧の総意」ではない
ことになってしまうのだよ。そんなときに何か決まるとでも思ってるなんて、この報告者は、だから
本気でどうにか答えを出そうと考えてる人ではないと、そういうことになるんだ。
先生亡き後、どうやって決議し、「和合僧の総意」を得るつもりなのか、答えられる人がいたら
教えてほしい。。。
だから今しかないと上層部が焦る、あるいは急ぐのは、ある意味、当然のことで、だから無理を承
知でせっつかれる教学部がキレて、「出来るかよ」というような話になってるわけ。
あとは、八尋弁護士の「多少の退転はやむを得ない。9割は付いてこれる」という趣旨の発言を聞き
及んだとか。これもまあ愚痴だね。冷酷な気がするけど、冷酷な発言をする人がいないような会議が
よいのかなと。それは弁護士の職責ともいうべきだね。
こんな意見を会長が言ったとか、この発言にみな頷いたとかなら、私も怒るけど、あるのはいい。
大切なことを決めるのに、冷酷な事実を語る人間もいない、そんな決め方のほうが恐ろしいわ。
八尋弁護士は語ってそのあと、どうなったのか、そのあとのことも報告書には無い。
同じように原田会長が、嘘を付いて先生の指導だと騙ったと報告者は憤っている。
そんなこともありそうだから、私はそれをひどいとは思わないけど。嘘はいけないとは知ってるよ。
原田会長もそんなに酷い人間なのかな?
火急の案件で、にっちもさっちも動く責任感がない人たちに、もうこの後、役職の解任が待っている、
そこまで追い込まれている部下に、もう、先生も言われているからと促したとがそれほど悪いことな
のかな。
あとでどう説明するつもりだったのかは知らないけど、私にはそれがそれほど悪いとは思えないな。
そう言わないと、もうこの人たちは居場所さえ失うところまで行ってたのだから。
それとも原田会長は、いつも都合よく先生に嘘を報告する人だったのかな。それなら、部下のほうも
今更こんなことで驚いたりしないだろうね。だから衝撃だったわけで、裏切られた感で罵っている。
もうこの当たりだと口調は義憤そのものなので(でも自分たちの責任放棄については一言も語って
いないから)、話を全面的に受け取るのはどうかとも思う。
あなたなら、自分の正義を主張して外部に漏えいまで考える部下、もう役職の解任も考慮されるほど
我を張った部下なら、清く正しく切り捨てるのか、それとも自分が悪人になってでも、嘘でうながし
てでも、もうやってくれやと仕事をさせるのか、どちらの人間がよいのだろう。
【結論】
誰がどうだとか、誰が正しいとか、そういった話とはこの教学レポートは別ものだと思う。
非を見て戦う気を起こさないとか言われても、この報告書には、悪行があるとは私には思えない。
かなり常識的な上司と部下の範囲で、異常というのは、それをレポートにまでしたことくらいか。
そんな暇があるのなら、とも思うのだが。
私の地区の人にちらと聞いたら、自信満々の返事が返ってきた。
「うん、今度、原田会長に会った時に聞いておくよ。」と。
「いや、あんた、会うことないし、絶対(笑)。」
人情の機微の範囲ではないのかなと。
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