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だいせーどーさんへのお返事です。
掲示板では投稿をすれば相手からも返事があります。
自分は批判しておいて返事はするなというのは、幼稚に写りますよ。
また最低限、内容を批判をするなら相手の文章は読むべきです。
読まずに来るのは、それ自体、逃避した自分の姿ありきです。
> いつかやるのだから、それで何が問題があるのですか?
問題が無いとお考えなら、そう明言してください。
> 理由は著作物だけではないよね。
> レポートにはほかにも書いてあるよ。
一例です。それは説明済みです。
> 今までも版が変わる中で表現が変化していることをしらないの?
> 聖教新聞社等が変更していますよ。勝手にね。
知っています。それが許される(とする)根拠も示しました。
でも先生が御存命中の間と、その後では、意味が違います。
> 先生の意向を知らないのは無理もないけど、先生はあらゆる角度からの
> 著作や発言を残しています。それで、そのまま、あるがまま残せというのが
> 先生のご意向です。
それは分かります、現実に詳細な発言に踏み込むと、版を改訂して、説明を
加えたり、訂正したほうがよい(かもしれない)ところがあります。
それを加筆訂正できるのは、先生御自身だと私は述べているのですが。
私は、自分の見解から述べているのではありませんから。
教学レポートの報告者が、そう考えていると述べています。
「これらの箇所をどうするかについては、時間をかけて慎重に検討していかなければなりません。」
と。
私はそれは無理だと指摘しています。私の指摘になんの問題がありますか。
> それを今急展開してやる大義がないでしょ。
いつまでなら大丈夫とお考えなのですか。誰に言えるのですか。
今でなくてよいという危機感の無さは何を根拠にされていますか。
人はいつかは去ります。そのときに考えはじめるのですか。
そんな組織なら、そんな考えの時点で終わっていますよ。
> 知ってもあなたには意味をなさないから教えない。
私は知っている範囲で述べています。あなはたはさらに知っているのに、
説明することができないとされる。理がありません。
> つまり象の結論は逃げ
私の結論をどう受け取ったのか、はなはだ疑問ですね。
あなたが頭がおかしくなりそうなのは私のせいではありません。
> もう結構です。気持ち悪いだけですから。
問題を直視することが出来ないのだなとの認識です。つまり精神的に逃避と。
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