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池田先生の指導です。①

 投稿者:河内平野  投稿日:2014年 9月26日(金)10時10分53秒
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  舞台は古代インドへと変わる。
釈尊の「九横の大難」の一つに、釈尊の一族が波瑠璃王によって滅ぼされたことがある。

御書にも「はるり王と申せし王は阿闍世王にかたらはれ釈迦仏の御身したしき人数百人切りころす」(御書一五三八頁)

――波瑠璃王という王は、阿闍世王にそそのかされて、釈迦仏の御身に親しい一族の人々、数百人切り殺した――と仰せである。

(王は、成長してから、自分の母が釈迦族の使用人であったことを知り、恥辱を受けたと復讐を誓う。そして父王を追い出し、王となってすぐ兵を出して、釈迦族を襲撃し、ほとんど全滅させたといわれる)

この悲劇の時のエピソードが、仏典に伝えられている。
全員が処刑されようとしている時のことである。
一人の老人が王の前に進み出た。
王と血縁のある釈摩男(釈尊のいとこともいわれる。仏教に深く帰依した在家の信者)であった。

「王よ、たった一つ願いを聞いてほしい。私が水中に入って、それから水面に浮かんでくるまでの間、せめてその間だけは、皆がここから逃げるのを許してほしい」

《せいぜい数分のことであろう。逃げた連中は、また捕まえればよい》――義理のある老人の頼みを、王はしぶしぶ聞いた。

老人は池に飛び込んだ。
釈迦族は、われ先に門から逃げた。一分また一分。人々はどんどん門から出ていってしまう。
王は、じりじりした。
「まだ浮いてこないのか!」
「まだか」「まだか」と繰り返した。
しかし、いつまでたっても老人は浮かんでこない。
「見てまいれ!」――王は、しびれを切らした。
部下が池に入って確かめた。

見ると、老人は、自分の髪の毛を水中の木の根っこに結びつけ浮かばないようにして、すでに死んでいた。
壮烈な死であった。
老人は、自分が犠牲になって時をかせぎ、皆を救ったのである。
このことは教典に記され、今なお伝えられている。

真の指導者は、後に続く人々のために、忍耐強く、時をかせぐ。
自分が犠牲になって、人々を守る。
しかし多くの指導者は、反対に皆を犠牲にして、自分を守ろうとする。

真のリーダー、とりわけ仏法の指導者は、決して、人々を犠牲にし利用する《抑圧の権力者》ではない。
仏子をこよなく慈愛し、守り、たたえ、わが身をなげうって、人々の「幸福」を実現していくのである。
この根本的な違いを、皆さまは賢明に見極めていただきたい。
仏子に尽くすリーダーには大福運がつく。
仏子を見くだす指導者は大罪をつくってしまう。

【第一回日米交流研修会 平成三年九月二十三日(大作全集七十八巻)】
 
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