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この頃の時代背景について、若い衆に説明しとか。
平成3年7月31日、日蓮正宗の坊主から学会幹部に送られてきた、いわゆる能化文書の中に
「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。したがって、この根本の二つに対する信心は、絶対でなければなりません。」とある。
日顕が日蓮大聖人と同じであると言った瞬間やな。だから、創価学会はこれ以降、日蓮正宗は日顕宗と言うようになったんやで。
この文書を意識されての発言が、河内平野はんが引用してくれた下記内容やな。
> 「究極的なもの」とは、仏法でいえば「本尊」にあたろう。
> 有限な存在でありながら、たとえば自分を「本尊」の尊厳にまで高め、《一体不二》などと主張する者がいたとしたら、そこに「宗教の悪魔化」が始まるというのである。
> そうなると、他の存在すべて見くだし、自分の「統制下」に服従させようとする。
> まさに「権力化された権威」である。そして、自分に奴隷のごとく「服従」しないものがいると、それを「破壊」しようとする、と――。
> 【アメリカSGI第一回総会 平成三年九月二十九日(大作全集七十八巻)】
その後、平成4年8月11日、池田先生は日蓮正宗から信徒除名処分
平成9年12月1日、創価学会の各個人は日蓮正宗から檀徒資格喪失される
この経緯から分かるように、この平成3年は日蓮正宗と創価学会が明確に別々になったんではないややこしい時期やった。
日顕を天魔だと初めて見破り、破折されたのがワシらの師匠やった。その他の創価学会の幹部は破門されるのが恐くて、まだまだビビりまくってたでw
ワシの手元にある浜中和道という坊主の歴史的資料や河辺メモからもよーく読み取れるで。
この頃、妙観講や坊主連中が現場の学会員さんのとこに学会の悪口言って脱会を勧めに来たり、近所迷惑になる行為を散々しよったか、ワシらも対応しとった。けど、寺信心が抜けきれない古い創価学会幹部達は、そんなワシらを迷惑がっとったがなw。
もっと穏便にせ~や、とか、誰の許可があって法論してるんや、みたいに学会内部で言われてきた。
そやけど、こういう池田先生の発言があったからこそワシらが戦えたんやと思うで。
「日顕は天魔か!よし、キッチリとケジメつけたら!」と思い、勇気百倍やった。
今なら誰でも言えるけど、当時は「日顕!」と呼び捨てにすることなど、まだまだ学会幹部からさえ怒られる時代があったってことや。
ま、現在、創価学会の中でこういう同じコトが起こってるんやったら、ワシも昔のようにバリバリせなアカンな(鬼笑)
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