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信濃町の人びとさんへのお返事です。
結局 。。。。 ちゃんと基本を押さえずにやってるからなんでしょうね。
戸田先生じゃないけど『教学が無かったから退転した』の実例というか。
教学が苦手でも自らの実体験、他の人に見る状態、これらからでも何が自分にとって幸せなのか試行錯誤ぐらいできるでしょうに。
しばらく拝見してましたが、あまりに身近だとかえって『良さ』より『欠点』が目につくものなんでしょうね。そしてたぶん、我々が感じてるほど先生の『偉大さ』を感じとりにくい悪循環があったかもしれないですね。
その『欠点』とはなんのことはない。『利己』を基準にして見ての『欠点』なのでしょうね。
> その後の矢島周平である。
> 第二代会長が誕生した昭和二十六年五月に、矢島は理事長を更迭され、指導監査部長に
> 転じた。さらに九月には、自ら申し出て、この役職も辞している。
> この手の男には、あまり追跡リポートがないものだが、翌二十七年四月の聖教新聞に消
> 息が掲載された。
> 「指導方針が真実の大聖人様の教からはずれたため、大きな錯誤を学会員の指導及び自
> 己の生活に暴露した」
> 幾多の証言と一致する。「教えからはずれた」何かがあったようである。
> 昭和二十八年六月の続報。
> 「会長推戴の前後より事業に失敗し、以後しばらく学会より離れていたが、昨年一度再
> 起せんとして果さず」
> 事業に失敗し、そのまま立ち直れなかった。その後、戸田会長の情けで出家し、学会が
> 寄進した寺におさまるが、反省の色は見えなかった。
> 戦前は自分を拾ってくれた牧口会長を捨て、戦後は戸田会長を裏切った。やはり一度、
> 裏切った男は何回でも繰り返すものと言えようか。
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