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師恩

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2014年10月 1日(水)08時54分46秒
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  池田先生のご指導を紹介します。

戸田先生ご逝去の後、池田先生が最初に行った活動が、確か報恩抄の講義であったと、
記憶をしています。

それは、恩を報じることが、
弟子として、仏法の実践者として、
また、人の道として
もっとも正しい行為であるからと
拝察いたします。

その師恩に報いために、今何をすべきか。
それを自分の命の中心におかなければ
ならない。
そう感じる昨今です。

 一、インドの提婆達多は、師匠である釈尊の恩を裏切った。
 仏弟子たちは、師敵対の提婆達多に激怒し、責めたと、経典は伝えている。
 ──提婆達多よ、釈尊は、あなたの師匠ではないか。師・釈尊のおかげで、あなたは仏法を知り、深い境地を得られたのではないか。その師匠に敵対するとは何事か──と。
 弟子が大事である。
 弟子が愚かであれば、増上慢の人間に、和合僧の組織を破壊されてしまう。
 恩知らずの人間に対しては、弟子が立ち上がり、戦うことだ。恐れず、言うべきことを言っていくことだ。
 一、師恩に報いるための要諦は何か。
 不惜身命で広宣流布のために戦うことであると、日寛上人は、報恩抄の文段で明快に示しておられる。
 いくら口先で師匠を讃えても、「戦い」がなければ、師恩に報いたことにはならない。
 「行動」である。「戦う」ことである。
 大難が競い起ころうとも、身命を惜しまず、邪悪と戦い抜く。そして、正法を弘めて、人々を救っていく──これこそ、師恩に報いる真の道なのである。
 〈「報恩抄文段」に「大難競い起るとも身命を惜しまずして詩法を呵責し、能く大難を忍んで法華経の行者と顕れ、父母・師匠等の大恩を報ずべしとなり」等とある〉
 その通り、一分の狂いもなく、創価の三代は、健気な真実の同志とともに、戦い続けてきた。
 「師恩に報いる」という根本の道を示し切ってきた。
 だからこそ、現代史の奇跡とうたわれる、世界広宣流布の時代が開かれたのである(大拍手)。
 
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